序曲はオペラコンテスト(作者 大丁)
オーケストラの奏でる厳かな調べが、大広間のパーティー会場に満ちていた。
「フルーティア様におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」
「まあ、オペラコンテストの優勝者に、お近くでお会いできて光栄ですわ」
紳士淑女が、上流階級での立ち居振る舞いをしている。
かのようでいて、フルーティアと呼ばれた女性は、たしなみとはほど遠い。僅かな布だけあしらったドレスを着ていた。
小悪魔の角を生やした、文字通りの淫魔である。
その小さな唇が、そっと優勝者の男性に囁きかける。
「あとで私の部屋に忍んでいらして……。どうか、舞台で歌った愛の言葉を、私のためだけに聞かせて……」
「はっ……! もちろん、喜んで」
だが、この男性が城から帰ってくることは無かった。
すがりついた淫魔に、紳士の堕落を吸いつくされ、命まで墜としたからである。
新宿駅グランドターミナルのホームのひとつには、時空間移動の列車、パラドクストレインが到着していた。
すでに、車両側壁に沿ったロングシートの左右にわかれ、ディアボロスたちが腰掛けている。
彼らの視線は、通路中央に立つ女性に注がれた。
「ごきげんよう。わたくしは、ファビエヌ・ラボー(サキュバスの人形遣い・g03369)と申します。この車両の行き先を感知した、時先案内人ですわ」
一礼するとファビエヌは、情報を語り始める。
「断頭革命グランダルメの勢力圏であるオーストリアの町々は、自動人形の支配下に入っているクロノヴェーダ、淫魔によって支配され、退廃の都と化しております」
耳慣れない言葉に戸惑っていないか、案内人は一言ずつ確認するように、紫の瞳をディアボロスにむけてくる。
「町の人々を救うためには、支配している淫魔を撃破せねばなりません。通常では接触することさえはばかられる相手ですけど、当の淫魔が開催しているコンテストで優秀な成績を収めれば、淫魔のパーティーに招かれることができますわ」
察しのいい何人かが、頷いた。
「ええ。淫魔が開くパーティー会場ならば、警備は薄く、淫魔の撃破が可能かもしれない、というワケです」
ファビエヌの人差し指が、なにかの拍子をとる。
「開催されるのは、オペラコンテストです。まず、淫魔フルーティアが支配する町に潜入し、住民の様子を調べてはいかがでしょう」
確かに、いきなりオペラを歌わされるより、傾向を掴んでおいたほうがいいだろう。
クロノヴェーダを撃破する勢いでシートから腰を浮かせた面々も、いったん座り直した。
「劇場の舞台に立って、オーケストラの伴奏を受けながら、一場面だけを歌と演技で表現します。放蕩な男が女性を口説いている場面だそうですわ。判っているのはそれだけです」
審査には、淫魔の趣味趣向が反映されている。
それを探り出し、優勝を狙うのだ。
「優勝できなくとも、淫魔の目に留まるような活躍をすれば、パーティーに招いてもらえます。親族や友人も招くことが出来るので、入賞者以外も参加できます」
細い指先が、電車の吊り革を順番につついて揺らした。
「会場では淫魔と会話などをしつつ、頃合いを見計らって戦闘を仕掛け撃破してください。お気を付けいただきたいのは、町には多くのクロノヴェーダが居ること。異変を察知して敵が駆けつけてくるよりも早く、素早く撃破して素早く脱出してくださいませ」
ファビエヌはいま一度、座席を見回した。
「淫魔のコンテストは独特です。あなた様方の知恵と工夫で乗り切り、そして……イイコトしましょ♪」
「さあ、私と来るのだ、この色男の胸に抱かれに」
「いやいや、俺こそが、愛のしもべなるぞ」
マントにペルソナマスクの男がふたり、路地裏で花売りの女を取り合っていた。
「そんなこと言って、あんたたち、どうせオペラコンテストの練習代わりなんでしょっ」
憤慨した女は、花籠をひっつかんでぷいと顔を背けた。
が、こっそりニヤケている。
どうやら、三人とも既婚者で、互いにバレていないつもりのようだった。
淫魔の町のそこかしこには、放蕩を気取る輩がいて、自由というにはあまりにおぞましい、不貞を働いているらしかった。
「あんたたち、私のどこをそんなに、好きになったのよ」
花売りは結局、マスク男たちを振り返ってたずねた。
が、花籠を揺すられ、視線を下に向ける。
「なーなー!」
「ち、ちいさい男の子が?」
そこにいたのは身長100センチに僅かに届かない、錢鋳・虎児(無敵の御ガキ様・g00226)。
まるで甘えたような目ですがりつかれ、女は動揺した。
「なーなー! この辺でおぺらこんたくと? ってのをやるらしいけどよー!」
マスク男たちも、顔を見合わせるなか、虎児はかまわず問うてくる。
「それってどこで何をするやつなんだー?」
「こんたく? ああ、オペラコンテストのことね。まもなく中央広場に面した劇場でひらかれるんですよ」
「そうとも、私のような色男が、歌を競うのだ~♪」
虎児の聞きたいことが判ったからか、マスク男は拍子をつけてしゃべりだす。
「いやいや、俺こそが、優勝をいただくの、だ~♪」
オペラコンテストは、おもに男性の出場者が、用意された女性役を口説くものらしい。
女性役で出場して、助演賞をもらうこともでき、ペアでの参加、あるいは知らない者同士、単独での参加も可能、ということだった。
「花売りなんかせずに~♪ 私だってお城のパーティに招かれたいわ~♪」
3人の声が重なって響く路地裏。
そこへもうひとり、背の高い男性の影がさした。
「ほう、君たち。すでに熟練者のような、いい声じゃないか」
エトワール・ライトハウス(執行人・g00223)である。
「オペラか……。俺も昔、父上に連れられて観たことはあるが、あれは素人にできるものなのか?」
競いあっていたはずの男たちは、なぜか頬を赤らめ、ペルソナごしにも判るほど、瞳を潤ませていた。
「熟練者、だなんて。そんな旦那」
「肉屋と八百屋を褒めすぎですって」
口説かれるのは、女ばかりではないということか。あるいは、エトワールの卓越した鑑定眼と交渉術によるものか。
町民たちが教えてくれたことによれば、こうだ。
前回までの優勝者をはじめ、歌の技術よりも、歌詞を自作して相手の喜びそうな言葉を浴びせかけるほうが、男女とも評価されている、と。
それで、町中が口説き合戦になっているほどだ。
「でも……坊やを見てたら、家で待ってる家族のことも……はぅ!」
「か、カーちゃん?」
虎児は、肩を抱かれていた花売りを、思わず母と呼んでしまった。
だが、女は彼をほったらかして、広場に足を向ける。肉屋と八百屋も、マスクをかけ直してフラフラと。
「俺たちが、正しい放蕩っぷりを啓蒙してやろうじゃないか」
エトワールは、追おうとする虎児を引き止めた。
彼らの洗脳をとく情報は手に入っている。
舞台の上ではまだ、リハーサル中だった。
予選を突破したコンテスト出場者は、舞台下のオーケストラピットにむかって注文を付けている。
市民用の観客席は、ピットからさらに後方に向かって階段状に登っていくが、上流階級のためのボックス席というものがあって、バルコニー型のそれらが、劇場周囲の壁に3段にわたって設えられていた。
もっとも高級なのは、舞台の真横といっていい位置の最上段。
天夜・理星(復讐の王・g02264)は大胆にも、そのボックスからリハーサル風景を眺めていたのだった。
「歌で人々がこうも熱くなって狂って……。まさに夢だよね、これってさ♪」
振り返った先には、本来の主人。
このオペラコンテストの主催者にして、町を支配する淫魔、フルーティアの姿があった。
「お世辞はけっこうですよ」
バルコニーの奥には、くつろぐに十分なひと部屋が用意されている。
ひじ掛けのついた椅子で足を組んでいる淫魔は、しかし指先ひとつで護衛のクロノヴェーダたちを呼べる立場にあった。
「私は人々に夢など見せない。もっと、現実的な世界に生きているのです」
不遜なクロノヴェーダへの復讐心を抱えつつも、理星は一抹の希望も持っていた。
「歌で、世界は変えられるのかな?」
「現に私は、そうしてきました……」
淫魔フルーティアが、視線を部屋のすみにむけると、長ソファにふたつの人影が折り重なっている。
仰向けに寝そべっている小柄なほうは、ミルフィ・ブランラヴィット(ナイトオブホワイトラビット・g01705)。
社交用のドレスはすでに乱れて、いや元から露出度が高かったようだ。
その胸元を隠すように、陰陽符を並べさせられているのは、青龍院・桜(元陰陽師の占い師・g03997)だ。
お札でも、タロットカードのような配置である。
淫魔は嘲笑まじりの声をかける。
「占い師の桜さん。ミルフィ嬢のお胸は、まだ大きくなるか、お分かりになりまして?」
「ええ。あなたの趣味ともども、よく理解させてもらったわ」
「あの……フルーティア様……わたくしのことを占っていただけるのはうれしいのですが……その、恥ずかしゅうございます……」
桜とミルフィが、あやしげな遊びに抵抗できないさまを見せびらかし、「どう?」と理星に両手を広げてみせた。
豊満な胸がひと揺れする。
世界は意のまま、それがフルーティアにとっての現実、と示したいらしい。
バルコニーを離れた理星は嘆息し、長ソファに向かった。
「こうも歌を響かせているんだから、邪なだけじゃなく、人々に対して思うところがあったらなあ」
「芸術を理解する心をお持ちだとばかり……」
「ほんと、そうね」
アヴァタール級の淫魔が余裕をかましているあいだに、3人のディアボロスは通路への壁を一刀両断にし、脱出してしまった。
「あ……お待ちになって」
「オペラの催し……楽しみに致しておりますわ……♪」
ミルフィの言葉だけが、ボックス席に残された。
しかし、逃走しながらも、理星がたずねると、淫魔のお仲間に思わせてご機嫌取りにいく作戦が、いつのまにか桜とからむことになり、桜も占いを持ちかける前段階が、ああなったのだと言った。
「情報を得るために、よ。おとなしく従うしかなかったわ。どんな命令でも、ね」
そんな、桜の頬は、みょうに艶めかしく火照っていたのだった。
本番のステージに立つと、観客からのプレッシャーはすさまじかった。
(「インドア系の僕に人前で歌えなんて無理な話だし……」)
陣・頼人(武装騎士ヴィクトレオン・g00838)は、ぎこちなく首だけを下手(しもて)に向ける。
金髪に碧眼の美女が、薄絹をまとって佇んでいた。
ごくり、と喉がなる。
(「ましてや、今からこの人をナンパしろって事だろ?」)
相手が本職の役者なのは判っている。
それでも、緊張してしまう。
気付かぬうちに、指揮者がタクトを振っていた。
第一音の大きさに驚いて、視線を観客席に戻す。
すると頼人には、さっきとは違った景色が見えてきた。
ここにあるのは、洗脳されて囚われている人々の群れなのだ。
(「町のみんなを正気に戻す為!」)
勇気を胸に、天を指さす。
「君の瞳に映る夜空~♪ 僕はそこに輝く綺羅星~♪」
少し遅れたが、声は張れている。みずからの情熱に後押しされ、自作の歌詞が口をついて出てきた。
「もしも君が寂しいのなら、君を導く光になるよ。どの星よりも輝いて、君を優しく照らしてあげる~♪」
大きく手を広げると、女優が数歩、寄ってくる。
「連れていって、私の綺羅星よ~♪」
「さぁ手を取って、さあ行こう~♪」
本当は、このあたりで審査員の淫魔を意識した仕草をいれよう、などと考えていたが、もう目の前の美女と呼吸を合わせるので精一杯だった。
「「二人だけの、愛の旅路へ~♪」」
くるりとターンを決めて、拍手をあびて。
舞台袖にはけてから、頼人は控えていた天夜・理星(復讐の王・g02264)に、耳打ちせずにはいられなかった。
「……言っておくけど僕だって恥ずかしかったんだからね」
「いやいや、カッコいい先陣をきってくれて、仲間として心強いよ」
ねぎらう理星は、ボックス席で淫魔と対峙したときとは違い、男装していた。
衣装と剣の借り物で、若い王を演じる。
上手(かみて)から登場すると、すぐさま最上段のバルコニーを見上げた。
フルーティアが、悠々とした態度で席についている。
(「世界は意のまま……か」)
君臨する審査員に一礼すると、王の姿の理星は、妃に迎えたい女性の元にむかった。
(「あくまで夢じゃなく、世界を変えられるからこそ現実を見てるんだね」)
先ほどの脱出劇の首謀者と、看破されてはいないようだ。
(「でもさ、世界を変えられるのはこっちも同じだよ?」)
王は剣を抜き放つ。
「燃ゆる焦がす、この心には~♪ ただ彼方に想う、貴女だけさ~♪」
女優のほうをむいて跪き、剣をさしだした。
「この剣を、勇気を、貴女に委ねよう。この命も、心身体も、全て預けてしまおう~♪」
「全てが一つになるのね~♪」
愛の囁きに、薄絹の女性が応える。
「僕らは光、黒に浮かぶ星々さえもが眩む、未来の焔~♪」
剣の柄をふたりで握って掲げた。
「「さあ共に行こう、夜明けの先へ~♪」」
顔をあげると、淫魔が立ちあがって拍手をしているのが、横目にチラと見えた。
観客の反応もいい。
女優は一礼すると、下手の舞台袖に戻っていく。
歩くたび、身体のラインがはっきりとした。
同じ薄絹の衣装を纏った、茨原・なる(Thorn Heart・g03623)は、我が身を想って照れる。
「あははっ。やっぱりちょっと大胆かもー」
愛を囁かれたり、口説かれたり。
お芝居とはいえ悪い気はしないんだろうと、女優の後ろ姿を見送る。
「オペラかー。馴染みなかったけど、なるでも楽しめそうかなあ。えへへー」
出番の合図で、ほいほいと、照明のあるところへ進んでいく。
「なるはみなし子、一人ぼっちの女の子~♪」
歌声は、しっとりとしていた。
「いつも笑顔でいるけれど、ホントは寂しくて満たされたいの~♪」
オーケストラも切なげな旋律を奏でる。
本心のまじった歌だった。
そこへ、金管楽器の高らかな響き。
空砲がダン、ダンと鳴って、上手からなんと、無双馬が駆け込んできた。
「我は貴公子、空の、森の、あらゆる獲物を撃ち落とした~♪」
愛馬レオンに跨ったまま、エトワール・ライトハウス(執行人・g00223)が歌う。
この趣向は町民にもウケたようだ。
舞台の端と端で境遇を語った、なるとエトワールは、やがて互いの存在に気が付く。
「独りの寒い夜から連れ出して~♪ 十二時の鐘で解けない魔法をかけて~♪」
「雲を超える鳥と、巨木を砕く獣と比べれば、貴女の体のなんと儚く非力な事か。私には、連れ去ることなど容易いこと。嗚呼、しかし~♪」
一度は見つめ合ったふたりは、再びそっぽを向く。
「ガラスの靴を脱いで、シルクのシーツに包まりながら待つの~♪」
「貴女の心を奪うこと、ただそれだけが、私の言葉ではどうにもなしえない~♪」
無双馬がアドリブで嘶いた。
エトワールはそんなレオンを御すと床に降り、なるの前で膝をつく。
「どうかどうか、貴女の影を見つめる許しだけを、どうか~♪」
「そのテノールで囁く愛を、なるはずっと聞かせて欲しいの~♪」
手をとりあった2人の影が、馬上にもどって重なり合う。
ハッピーエンドに客は湧き、『町民特別賞』が贈られた。
淫魔フルーティアの姿は、いつのまにかボックス席から消えていた。
(「歌で世界は変えられる。こんな風に、情熱的に、意のままに。アタシたちにも出来るってこと、これで説明つくよね?」)
理星は、反響にくらべて入賞できず、頼人も同様だったが、それがかえって町民解放への手ごたえとなった。
優勝した肉屋は、花売りの肉体について褒めちぎって評価されてた。
オペラコンテストは幕を閉じ、その肉屋と花売り、そしてなるとエトワールにその友人としてのディアボロスたちは、城のパーティーに招かれる。
オーケストラの奏でる厳かな調べが、大広間のパーティー会場に満ちていた。
「フルーティア様におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」
「ふ、ふる、フルーティア様、はじ、はじめまして」
「まあ、オペラコンテストの優勝者ペアに、お近くでお会いできて光栄ですわ」
主催者の淫魔が挨拶にまわっている。
やがて執事に案内され、丸テーブルにかたまっていた、7人の男女と面会した。
「こちらが、町民特別賞を獲得されました、エトワール・ライトハウス(執行人・g00223)様と、茨原・なる(Thorn Heart・g03623)様でございます。それと、お付きの方々……」
一礼した受賞コンビに声を掛けようとして、フルーティアの口元が歪んだ。
「そこにいるのは……占い師の桜! それに……!」
青龍院・桜(元陰陽師の占い師・g03997)が、懐から符を取り出している。そのとなり、テーブルに寄りかかる姿勢は、バルコニーで会った時と同じ、天夜・理星(復讐の王・g02264)。
位の高い人物と称して近づいてきたサキュバス、ミルフィ・ブランラヴィット(ナイトオブホワイトラビット・g01705)が、今また不遜な態度をとる。
「オペラも……貴女様にとっては……単なる『手段』に過ぎない……という事ですかしら……?」
「え? オペラ? コンテストにあなたたちも紛れ込んでいて? ……逃げ出したのではなく?」
淫魔が動揺している隙に、陣・頼人(武装騎士ヴィクトレオン・g00838)は場を離れて、別のテーブルを蹴りあげた。
ひっくり返された料理と、銀器がたてる音よりもけたたましく、避難勧告のサイレンが鳴り響く。
オーケストラは演奏をやめ、赤く明滅する大広間にいた一般人は、出口を求めてざわめきだす。
「私のパーティーが滅茶苦茶に……」
「ぃよっしょっしゃーーーーー!!!」
奇声とともに悪魔の羽根を広げて、錢鋳・虎児(無敵の御ガキ様・g00226)が、主催者に殴りかかる。
その様を、コンテスト助演女優賞は指さした。
「坊や? 坊やじゃないの?」
「うわあ、どうなってんだ、これは?!」
優勝者のマスクの紳士の、実は肉屋が、あたふたしているところへ、無双馬『レオン』が乗りつける。
「肉屋と花売り、お前たちもまた強敵(とも)であった……。さあ、城門はあちらだ、逃げたまえよ」
「あんたは、町で出会った色男の……!」
「特別賞さん、ありがとうございます!」
エトワールが指示すれば、優勝ペアだけでなく、来場者はみなそれに従う。
オペラの雰囲気のままなのは、なるも同様で、フルーティアの前から離れなかった。
「えへへー、なるはね、舞台の上だけじゃ物足りないの。もっといっぱい満たされたいよ」
「でしたら、私の奏でる調べをお聴きになって」
淫魔フルーティアは、ようやく態勢を立て直すと、フルートに唇をあてた。
淫蕩夜曲が、対峙した者の意識に入り込む。
小さく呻くと、なるは自らの襟を掴んだ。薄絹のすぐ下の胸には、快楽が満たされていく。
けれども、いっぱいにするなら、なんでもいい。
「もっと、もっと――だから、ねえ、食べられてくれる?」
快楽に代わり、衣装を突き破って出てきたのは、『貪欲の茨(グリード・イーター)』。
イバラの戒めが、フルーティアの身体を捕縛する。
しかし、淫蕩な指遣いだけは阻止できなかった。響きが、そばにいた桜の身体も揺さぶりだす。
「なに、この音色……!?」
耐え難い快楽に、全身は火照り、桜は着物のたもとを開いてしまう。
「こ、この程度の誘惑に、高貴な陰陽師である私が屈するわけには……」
のぞいている素肌を隠すように、前屈みになった。
収めていた陰陽符が、大理石の床にバラバラとこぼれる。
「と、時よ……我が身を……」
散らばった符の一部が、正しい配置になっている。『四方四季の庭』が発動し、冬の景色がほてりを抑えた。
「よ、よくもやってくれたわね」
卒倒しそうなところを踏みとどまり、桜は身を起こした。
着物から膨らみまでこぼれてくる。
「淫魔の時間を数百年進めて塵に還してあげるわ!」
「桜様、お召し物が乱れてますの」
ミルフィが支えにくる。
拾った札を、そっとあてがうと、なぜだか「くすっ」と笑みがこぼれた。
「今度はわたくしが隠す番になりましたわ」
気付けばこの2人は、また抱き合うかたちになっている。ミルフィはそれを笑ったのだ。
「わたくしもサキュバスの端くれ……遊びをして頂いた時は……悪い気はしませんでしたわ」
桜といっしょに、淫魔を見据える。
「……でも……貴女は倒させて頂きますわ」
ピンクの髪がなびき、同じ色の風が立った。
音は空気の流れ、風で相殺される。
「はああうっ!」
フルーティアの唇が、楽器から離れた。『サキュバスミスト』の魅了が、淫魔を逆に浸蝕しはじめた。
「ああ、私のところにいらして……。愛の言葉を聞かせて……」
僅かにあしらわれた布を引っ張れば、ドレスは苦も無く脱げ落ちる。
並みの男なら、ためらう場面だ。
「ひっさぁぁぁーーーーっつ!!!」
6歳児には、大人の都合を考える頭はない。
棺桶型のランチャーを振り回した虎児が、遠慮なく突っ込んでくる。
「クロノなんとかは! ぜーいん俺がブッとばして!! トーちゃんを返して貰うんだーーーー!!!」
アヴァタール級の虚ろな瞳に、『爆鎚棺撃(コフィン・ハンマー)』の殴打が叩きつけられた。
のみならず、よろめく裸身に、マジックミサイルの乱射が撃ち込まれる。
「ぶっとべぇぇぇぇぇーーーー!!!」
「あうううっ」
爆発で、色白だった肌が、黒いススに汚れる。
ぺたんと尻もちをついたフルーティアだったが、何もかも無くしてもフルートだけは手放さない。
横倒しになったテーブルのひとつに背を預け、再び独奏会をはじめようとした。
その傍ら、最初に頼人が倒したテーブルが、一刀両断にされる。
「お楽しみの時間は、もう終わりだよ!」
当の頼人が、竜骸剣で奇襲を仕掛けてくる。
混乱に乗じて、遮蔽をとっていたのだ。
(「好機は今。ここできっちり、町のみんなをおかしくした騒動の幕を下ろす」)
想いが念動力となる。
ドラゴンから造られた魔剣に宿った。
「デストロイスマッシュ!!」
淫魔の翼が力なく、柱にめり込むのが見えた。
石材が崩れ、瓦礫の中、振れる尻尾にあたりがつく。
エトワールがとどめを刺しに行く。
「見た目が美女だろうと容赦はせん!」
銃撃で牽制し、敵の逃げ道を塞ぐ。
「貴様の放蕩も今日が最後だフルーティアァァァあふん♪」
埋もれた中からも、フルートの音色がもれてきた。
「ま、まだこんな攻撃ができるのか。聴かせるだけで気絶させるってズルじゃない?!」
人間の戦列歩兵は、かわすのを諦めた。
進軍する。
どんなに恐ろしい戦場だろうと、そうして敵を討っていたのだ。
「淫魔の魔曲は厄介だが、今更自分の精神ひとつに翻弄されてどうするよ」
『バヨネットパレード』によって白兵戦の距離まで詰める。
仰向けになった淫魔の胸に、ナイフを突き立てようとして。
「幕切れはあっけないもんだ。さぁ……あふん♪」
膝がガクガクする。
その半身に、フルーティアはすがりついてきた。
「き、貴公子さま。私に、愛の言葉を……」
抵抗しようにも、エトワールの意識も危ういところ。
理星が、女を背中から抱いて、やさしく引き剥がした。
「あなたはもう支配者じゃないよ。仮初の愛に溺れただけの……♪」
淫魔の手がだらりと垂れ下がり、フルートがカランと甲高い音を立てて落ちる。
ディアボロスの面々も、互いに肩を貸し合いながら並びにくる。
まるで、カーテンコールだ。
「情熱的な時間を、心地良い歌を望む人がいる。そして、空な心を満たす色を渇望する人だって、ね?」
なるが、頷いた。理星のセリフは続く。
「世界を意のままにしようと思うなら! 願いを叶え、その未来に、命に寄り添うのが王! 今こそ宿せ、『終幻(レネゲイド)』の力!」
向き直らせたフルーティアに、最大出力の右ストレートが飛んだ。
時間時空世界法則を書き換え直すかのように。
美しきクロノヴェーダは、ここに滅んだ。
町は解放されるはずなのだが、アンコールの時間はない。
新宿島行きのパラドクストレインへと、ディアボロスたちは急いで城を後にした。
『チェインパラドクス』(C)大丁/トミーウォーカー