大丁の小噺

大丁です。読み方はタイテイが標準です。※大丁は、株式会社トミーウォーカーのPBWでマスター業務を行っています。ここで関連する告知を行うことはありますが、マスター契約時の規約により、ゲームに関するお問い合わせは受け付けられません。ご了承ください。

全文公開『獄彩のバーバラ、最後の一枚』

獄彩のバーバラ、最後の一枚(作者 大丁)

 美術室の大窓からは、荒れ果てた校舎が何棟も見渡せた。
「このままじゃ、ボクの淫魔学園のすべてが崩壊してしまうヨ!」
 ジェネラル級淫魔『獄彩のバーバラ』は、今いる建物に向かって駆けてくる2、3の人間たちの姿を、渡り廊下の壊れた屋根ごしに見下ろす。
 残っている生徒には許可を出し、この最後の美術室に集めさせているところだ。むろん、彼らの命を救うためではない。
「とにかく、防御を固めて……。絵画の虜となった生徒たちがいる限り、ディアボロスもボクを攻撃できやしないよネ。みんなまとめてボクの肉盾にしちゃオウ!」
 大窓を離れ、イーゼルにかけた大きめのカンバスの前に移動する。
 生徒に先んじて、部屋にはモデルとなる卒業生たちも招いていた。
 皆が、バーバラのお気に入りで、羽織ったガウンの結びをとけば、見るだけで欲望をかきたてられる肉体が露わになる。
「そうと決まれば、生徒たちを魅了する傑作を仕上げないト!」
 尻尾の絵筆を走らせる。パレットを引っかけているのも尻尾だ。
 扉から入ってくる芸術家たちにも、制作過程を見せつける。
 いまや、バーバラ自身も肌を晒し、スモックとビキニは床にかなぐり捨てていた。
 生徒たちの多くが、この場で最高最後の芸術が誕生するのではないかと、期待させられた。

 新宿駅グランドターミナル。
 パラドクストレインに乗車したディアボロスたちに、時先案内人ファビエヌ・ラボー(サキュバス人形遣い・g03369)が依頼する。
「大淫魔都市ウィーンの淫魔学園の事件も、いよいよ大詰めを迎えましたわ」
 淫魔学園に続く淫魔絵画は閉ざされ、その中で、ジェネラル級淫魔『獄彩のバーバラ』が、ディアボロスを待ち受けているという。
「閉鎖された淫魔学園に乗り込み、獄彩のバーバラを撃破し、大淫魔都市ウィーンへの道を切り開きましょう。バーバラは、残った一般人の生徒を肉盾とすることで、ディアボロスを打ち負かそうとしているよう。その姦計ごと、潰してあげてくださいませ」

 強敵が相手だが、ファビエヌに気負ったところはない。
「まずは、閉鎖された淫魔学園に乗り込む必要があります。試験は中止され、受験生などもおりません。周囲が無人となった、ウィーン外壁の門にある淫魔学園の絵画をパラドクスで攻撃することで、内部に入り込むことが出来るでしょう」
 いつも通り、手順を説明する。
「淫魔学園は、度重なる崩壊で荒廃が進んでいますが、中心に近づけば、崩壊の影響はありません。この中心の美術室で、多くの生徒たちを魅了したバーバラが皆様を待ち受けています。バーバラの周りには、彼女に心酔する淫魔学園の卒業生たちが守りを固めているようです。そして、ここからが判明した秘密なのですが……」
 すこしだけ、指先が止まった。
「バーバラは、淫魔絵画によって学園に残っていた一般人の生徒を魅了しており、自分がダメージを負った場合、そのダメージを肩代わりさせる儀式を行っています」
 それが、『肉盾』か。
 生徒たちを助けるためにも、戦いを有利にするためにも、彼らの魅了を解いて救出しなければならない。
 サキュバスの案内人は微笑みを絶やさず、方策を授けた。
「皆様からも、魅了を打ち破るようなインパクトのある『絵画』をぶつけて、正気を取り戻してあげてください。バーバラの絵画は素晴らしい魅力を持っていますが、技法などは古いため、現代の技術や工夫があれば、生徒に強いインパクトを与えられることでしょう」

 聞くところによれば、ファビエヌは新宿に流れ着いたディアボロスらしい。
 見かけの奔放さにくらべて勤勉な彼女は、新宿島における『現代』を学んできた。この列車に乗る者たちにも、そうした文化的衝撃、カルチャーショックを利用してほしいということなのだろう。
「勝負の相手はバーバラ自身がモデルになった裸婦像です」
 服を着たまま、いくつかポーズをとる。
「ですが、19世紀初頭の芸術家たちに絵画だと思わせられるような作品であれば、絵画に拘らなくてもかまいません。もちろん、皆様まで裸になる必要はありませんよ、フフ」
 指先が動いて、ちょっと露出面積を広げる。
「イイコトに期待しますわ」
 発車までの時間を有意義に使おうと、ディアボロスたちは思案する。

 淫魔学園の美術室では、描き上がった絵画の傍らで生徒たちが、うっとりと立ち尽くしていた。
「なんて絵なんだ。この絵から無理に引き離されたら、私の魂は死を迎えてしまう」
「ああ、その通りだ。このような比類なき芸術を失えば、命を落とすのも当然だとも!」
「できれば俺もこの蔓にからまれて絵の中に入りたいくらいだ」
「ワタシは、極彩色の怪物に食べられたいわ」
「肌の色が素晴らしい。いっしょに塗り込められたのなら……」
 モチーフはやはり、『獄彩のバーバラ』の裸婦像だった。
 媚びをうるように小指を唇にあて、片足に重心をおいて静止している。
 その周りには裸の淫魔たちが描かれ、蔓にとらわれてあられもない体勢をとらされており、背後に立つ怪物の口に運ばれかけているものの姿もあった。
 恐ろしげで、背徳的で、淫靡さがきわだつ絵画だった。生徒たちは正気を失いかけている。

 淫魔学園中央の美術室。大作をかき上げたジェネラル級淫魔『獄彩のバーバラ』は、制作時の姿のままで満足そうにうなずいた。
「……ああ、キミたちかネ」
 最上階の廊下にたどり着いた、ミシェル・ロメ(とわにひびくうた・g04569)たちの気配を感じたようだ。
「待っていたヨ。どーぞ、入ってきなサイ」
 まるで、特別教室に生徒を招くように声をかける。ディアボロスたちも臆することなく、この決戦の場に堂々と扉から入ってきた。
「バーバラ、僕たちは誰一人犠牲になどしない。そこにいるみんなを必ず救いだしてみせる」
 ミシェルの宣言に、ジェネラル級はかえって口元を緩めた。
「ふふん。淫魔絵画の仕掛けには気がついたようだネ。その言葉、キミはたしか……」
 顎に手をやり、ほかの復讐者たちの顔も順番に眺めていく。
「バイオリン弾きじゃなかったかナ? 違ったかイ?」
「……う」
 たしかに、得意とするのは音楽で、絵の素養はないと自分でも思っていた。そんなミシェルは、持参したものを掲げようと背に手をやる。バーバラは勝手に話を続けている。
「そうやって、生徒に化けて侵入してきたヤツが何人もいるナ。早苗くんは何回落第するつもり?」
 名を呼ばれて、白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)は応じた。
「遂に追い詰めたよ、獄彩のバーバラ! ここでまたあなたを逃がせば、絵画で被害をひろめ続けちゃうに違いないんだから!」
 早苗の言葉にも、淫魔は焦るそぶりをみせず、大窓の外の、崩壊した校舎群をしずかに指差した。
「もう学園を壊して逃げたりはしないサ。仕掛けを知ったキミたちは、ボクを傷つけられないんだからネ。ハハハ……」
 わざわざ情報を確かめさせ、おしゃべりで状況を引き伸ばしているのは、やはり戦闘を避けたいのだろう。
 本当は焦っている。
 それは、ディアボロスたちにも容易に想像できた。いっぽうでバーバラには、ミシェルの次の行動は予測がつかなかった。
「これならどうだ。テーマは『光降る楽園』!」
 一枚のカンバスを持って突きだす。
 薔薇の香りがほのかにし、オラトリオのリリコと一緒に穏やかに微笑む自身の姿が、水彩で描かれていた。
「上手い……」
 淫魔はつぶやき、すぐに両手を取り消すように振った。
「ええ?! なにやってんのサ。もう試験とか授業とか関係ないんだよ?」
「僕の番ですよ。……無題!」
 大崎・朔太郎(若返りサキュバスアイドル・g04652)は、バーバラの態度を無視して、これまた自画像を披露する。
 男性アイドルらしいポーズのキマった同じ一枚を、影の部分を赤青黄に変化させた色違いで配置してある。バーバラはまた見入って感想を口にしたが、手を横に振った。
「絵というより図案のようダ。色の組み合わせも珍しい。キミはダンサーやモデル志望だったと思ったけど、描くほうも上手かった……ってさっきからなにを」
「僕は、曖明・昧(十星連・肆妖『無知蒙昧』・g06110)だ。ひとつだけ知っている。芸術っていうのは……爆発するんだ。よくわかんないけど」
 カンバスには、導火線に火のついた爆弾が描かれていた。その横に『危ない、離れろ』と注意書きが添えてある。
「うん、まあ。民衆本のユーモア挿絵みたいなものカ。あまり上手くはないナ。仮に入学試験だったら、落としてるヨ」
 バーバラは、額縁に顔を寄せながら品評した。そして、ハッと息をのむ。
「まさか、ボクの淫魔絵画と芸術対決してるのかイ?!」
 合点がいったようだ。
 ディアボロスたちは、あくまでもクロノヴェーダに挑戦する姿勢をくずさず、淫魔絵画に勝って生徒たちを解放するつもりなのだと。
「いや、ムリムリ。学園に入学するほどの腕前はあっても、ボクに勝つなんて」
 その指摘とは別のことに気がついて、ミシェルと朔太郎は小さくうめいた。アンネローゼ・ディマンシュ(『楽士大公』ディマンシュ大公・g03631)が、小声でささやく。
「まだ、やり直しはきくと思いますの……」
 早苗とも目配せしあう。
 講評は、昧のものに戻っていた。
「ましてや、この民衆本の……うわァ!」
 ボンッと音がして、絵の中の爆弾が爆発した。
 実際には、昧がカンバス裏に仕掛けていた本物だ。
インパクトが大事らしいからな。よくわかんないけど」
 全裸女は、顔を黒くさせたがすぐに、掃う。彼女の背後で淫魔絵画に魅入られている生徒たちにダメージが伝わった様子はない。クロノオブジェクトなどと違い、通常品の爆弾だから、そうなるように昧は配慮していた。
「わからないなら講師のボクが教えてあげるヨ」
 バーバラは、スモックを拾ってそれで顔や胸を拭く。
「あくまで、絵画で勝負しないと生徒たちの魅了は解けないんダ。爆弾とか、さっきのバイオリン弾きが使ってた香水とか、そういうパフォーマンスで盛り上げても加点はされないのサ」
 控えていたディアボロスのうちの数人が、ばつの悪そうな顔をしている。メルセデス・ヒジカタ(冥腐魔道・g06800)もその一人だった。
 バーバラは、布地の隙間から昧に視線を向ける。
「絵画勝負でなければ好きだけどサ。ねぇ、『無知蒙昧』なんて名乗っていたけど、ボクたち芸術家こそが、停滞したこの世の無知蒙昧な精神を打破する可能性を秘めている。ボクはそう信じてるんダ」
「芸術……。芸術か……。芸術って……何だ……?」
 昧は講師の言葉に理解は示さない。
「あらあらまあまあ」
 メルセデスはやりとりのあいだに、淫魔絵画のほうへと回りこんでいた。
「さっきのお言葉、試験のときにも聞きましたわ。ご自分の裸婦像なんて、えっちいやつが停滞を打破する可能性でございますの?」
「……メルセデスくんは、退廃的な絵を描いていたのに共感してくれないとは。いちおう、見てあげル」
 名指しでよばれて、ちょっとは驚いた。
 そして、この日のための書き下ろしフルカラーを、照れながらあかす。
 評価は悪くなかったが、インパクトを与えるよりも馴染まれてしまったようだ。
「ホラ。グランダルメ的な問題作ダ。商人の中年男性が、名門貴族を思わせるヒゲの男性に悲鳴を上げさせている。借金のカタで無理に突いている事情まで浮かんでくるヨ」
「自分で描いてる間も、いろいろと捗ってしまいました……」
 踏み込んだことまで言わせて、バーバラは調子にのる。
「つぎは誰が作品を見せてくれるのカナ? そこの黒い額の……むむっ!?」
 とある一枚に、青ざめた。
「そんな、ありえナイ。どんな技法で描いたんダ……」
 よろよろと、近寄った先は、冰室・冷桜(ヒートビート・g00730)の手元だった。
「いや、センセー、私のは……」
 冷桜も、パフォーマンス込みの予定だったので、通用しないかもとあとずさる。
 ここではじめて、淫魔絵画に魅了されていた生徒たちから、ひとりが進みでてきた。
「なんて絵なんだ! 魂がこもったような写実性だ! ……あああ」
 生徒は胸をかきむしり足元がおぼつかなくなる。
「あぶない!」
 陣・頼人(武装騎士ヴィクトレオン・g00838)が支えて、床に倒れ込むのを防いだ。すぐさま、牧島・星奈(星光閃姫☆キラメスター・g05403)が、様子を確認する。
「このひと……正気に戻ってるみたいよ!」
「なんだって?!」
 事態が推移したことに、頼人たちだけでなく、バーバラも声をあげた。生徒は、意識をはっきりとさせ、すごく近くに大きな胸があるのに驚きつつ、訊ねる。
「わたしは、今までどうしていたのか……?」
「目の前にこんな美少女がいるのに、なんで絵画に夢中になってたのよー!」
 なんか理不尽な怒りをぶつけられているが、ひとりは救出できた。獄彩のバーバラは、唇を噛んでいる。
 なるほど、こうやって淫魔自身が嘘偽りなく負けを認めてしまうと、封じられた魂が却ってくるのだ。
 芸術勝負がやや中断している隙をついて、アンネローゼが耳打ちしてまわる。パフォーマンス系のつもりで出るに出られなくなっていたディアボロスは、時間かせぎのつもりで上演に挑んでほしい、と。
 吉音・宮美(限界ギリギリ狐娘・g06261)は、尻尾をたたせる。
「やってやらあ。芸術なら、私だって頑張ってきたんだ」
「それで、淫魔に利用されている芸術家たちを助けられるのだな」
 エトヴァ・ヒンメルグリッツァ(韜晦のヘレーティカ・g05705)も、刷毛を握った。
 パフォーマンス系が動きだしたのにまぎれて、アンネローゼは鳩目・サンダー(ハッカーインターナショナル同人絵描き・g05441)を廊下に連れ出す。
「強引にお邪魔したけどよ。部屋からつまみ出すことはないだろ?」
「サンダー、あなたと調和しあうことで、お互いを高みに導けるのですわ」
 中央校舎の最上階で、美術室とはまた別に創作が始まる。
「相手が淫魔だから仕方ないけどさ!」
 部屋に残った頼人は、情熱をこめて演奏していた。裸婦像との対決でさえ躊躇するのに、さらによりにもよって、バーバラは裸婦のまま。
 黒い額の絵に驚かされはしたが、加点されないと伝えたはずのパフォーマンスがはじまって、ディアボロスの用意した策も尽きたのかと、ジェネラル級は気を取り直していた。それが、より大胆なポーズをとらせ、頼人を悩ませる。
(「星奈の絵心について僕がさっぱり知らないのも問題だけど。さあ、この曲で盛り上がってくれ」)
(「淫魔がありのままの美を描くのなら、あたしはありえない美……『萌え』を描く!」)
 星奈は打ち合わせどおり、BGMにのせてイラストを公開した。
 裸婦像ではなかったが、きわどい水着姿の美少女。
 目鼻や胸に尻は、男心をがっちりつかむようなバランスをとっている。頼人がつい半音間違えたので、星奈も自信を持った。
「どう? 見えそうで見えないところもまた、『萌え』の神髄!」
「これは……崩れているようで、確かなデッサンに裏打ちされているナ。上手いと思うが、評価は難しいゾ」
 陽キャ気取りの隠れオタクは、淫魔が割と熱心に話すので、かえって顔を赤らめてしまった。
 半分くらいは認められたものの、魅了をとくほどのインパクトには至らなかったようだ。
 だが、いまはそれでいい。
「マッパなままで目の毒なのは、反則じゃないかしら」
 メルセデスは、頼人がまごついているのを指差し、筆に黒い絵の具をとって、バーバラの乳房に塗ろうとする。
「ちょっと、ボクに描いてどうするの!」
「ボディペインティングですよ。せっかくですから、淫な紋章をお腹にいれておきます?」
 絵の具は、星奈のイラストと同じ水着を肌に形づくる。
「絵画とモデルを近づけて、対比しようってのカ。面白い発想だけど、やはり見世物の域は出ないナ」
「見世物……芸術とは違うらしい。ああ、芸術が好きだと言っていた、姫を連れてくるべきだったかもしれない」
 昧は、沈んだような様子で、例の爆弾を投げてくる。
「もう黒は足さなくていいよ、無知蒙昧くん!」
「タイトル……『胡蝶』!」
 だしぬけに、宮美が筆を走らせた。アップテンポにアレンジした童謡を歌う。頼人も演奏をサポートするなか、ダンスしながら制作する。
 いわゆる、ライブペインティングだ。
 画材はシャーベットのようなキラキラ光るもので、カンバス大の氷塊に蝶の姿を貼り付けていった。
 見る角度によって色が変わる。
「び、美術室のなかで暴れないでヨ、きれいだけどモ。ああー!」
 バーバラが止めようとしたのは、エトヴァだ。大窓を刷毛がべっとりと横切った。
 ペンキははみ出し、壁から床、天井までもと、ペインターは飛翔しながら、描き続ける。
 ついには、ストリートアートまで始まったのだ。
 エトヴァはこのパフォーマンスで合格したこともある。あの時は蛇髪の女だった。今度は『花の女神』だ。
「ああ。原色を重ねると、色彩に立体感を帯びてくル。一刷きごとに」
 形になってくるとバーバラも認めはじめる。美術室全体が、自然の野に変わっていくかのようだ。
 しかし、女神は淫靡とは対極。花束を胸に抱いた姿は、淫魔学園には似つかわしくない。
(「ウィーンを取り戻す。真の芸術の都として、正史で再会を果たすため」)
 エトヴァの青い瞳は絵のなかの野を見つめていた。
 その花畑の一部がガラリと開く。廊下に出ていたディアボロスが戻ってきたのだ。
 冷桜は、先ほどの黒い額を、今度はしっかりと掲げる。
「芸術にインパクトなぁー……いや、素人には無理じゃね? ってー思ったのだが」
 絵の内容が変わっている。
 いや、変わり続けている。
「なんやかんやできたわー」
 バーバラは、二度目では評定は上がらないと考えつつも、見入った。
 それは最初から絵ではなかった。冷桜が持ち込んだのは、大きめの液晶タブレットだったのだ。
 最初の一枚はフリー画像のひとつで、そこからパフォーマンス的に画像加工を見せていくつもりだった。だが、写真を知らないばかりに、写実的で精巧な絵画であると、バーバラは捉えたのだ。
 結果、インパクトを与え、生徒の魂が却ってきた。
 ミシェルの『光降る楽園』も、朔太郎の『無題』も、写真である。
 ただ、水彩画風やポップアート調の加工を施したために、かえってこの時代の絵画と見分けがつかなくなっていたのだ。
「新宿島の技術で絵画のように思わせればいいのならって、僕はデジカメ使って自撮りしたんだ。加工が余分だったんだね」
 バイオリンは得意でも、絵は描けそうにない。アイドルも同じだ。
「近代美術を多少見てて良かったとは思いましたけど、超写実までは行き過ぎでしたね。けど、おかげで完成しました」
 朔太郎たちの技術も借り、サンダーは廊下で映画を撮った。
「未来の芸術、というのは確かにある。だがそれは西暦2000年までの歩みを知らなければ理解できない。歴史を知らない客の目を、コンセプトだのの説明無しで魅了する、作品自体の威力が必要だ」
 黒い額だと思われているタブレットの中で、バーバラの姿が映っている。
「これ、ボクだよネ? モデルもしてないのに、いまのボクだゾ?」
 当人が困惑しているなか、冷桜が動画をスタートさせた。
 その顔、そのポーズ、そのプロポーションが強烈にデフォルメされたものに変化していく。星奈の『萌え』とは違う方向、これは『エロ絵』だ。
 なによりインパクトを与えたのは。
「エ、絵が動いて見えるヨ?!」
 アンネローゼと早苗の発案が通った瞬間だった。
「最終人類史のアニメーション。『絵画』を何枚も組み合わせて『動き』を作らせるこの芸術を、再現しましたわ!」
「私自身のダンスの素材も、画像で持ってきておいて良かった。けどアンネローゼさん、よくこの場で映画を撮るなんて考えたよね」
 ふたりは、演奏をいれた素材を、パラドクスもつかってイリュージョンとしてみせる予定だった。動画内のタイミングをとるために、音楽データもつかってはいるが、体裁は絵画で無音だ。
「みんな見て、ボクが踊ってるヨ!」
 このあと倒すつもりのバーバラが、生徒や卒業生までそばに呼んで喜んでいる様子には、早苗も複雑な感情を抱いた。
 淫魔が我に返ったときには、生徒はみなエトヴァたちパフォーマンス組に救助されていて、淫魔絵画から魂は抜けている。
 ディアボロスの才能を結集した成果だ。
「まさか、ボクがこれほど夢中にさせられるなんテ……」
 芸術対決に負けて落胆するバーバラを傍目に、アンネローゼは改めて語った。
「わたくしは音楽家。故に絵画では畑違い……と、漂着前なら思っていたことでしょう。最終人類史の芸術に触れた際に『狭かった』と痛感させられました。異なる芸術は、完璧に調和しあうことでお互いを高みに導けるのだと!」
 絵筆や機材を武器に持ち替えて、ディアボロスたちは頷く。

 吉音・宮美(限界ギリギリ狐娘・g06261)の衣装も戦闘に反応しつつある。
「はー、はー……じゃあ、芸術対決終わったので一般美大生はこの辺りで……」
 ライブペインティングの激しい動きに息切れさせて、廊下に出ようと下がったものの、『憑神戦衣装』が勝手に構築されて、宮美の身体は前線へと戻された。
「ちくしょう! ちゃんと戦えってか!?」
「久々に後発列車で来てみたら……やってるやってる。芸術勝負、アタシも楽しみにしてたよ!」
 開いたままの扉から、天夜・理星(復讐の王・g02264)が顔をのぞかせていた。大崎・朔太郎(若返りサキュバスアイドル・g04652)は眉根を寄せて、あごに指をそえる。
「え、ええ。結果は上々……」
「やはり、小手先の技術では誤魔化せませんでした」
 ミシェル・ロメ(とわにひびくうた・g04569)は香水の瓶を後ろ手に隠している。鳩目・サンダー(ハッカーインターナショナル同人絵描き・g05441)とも頷きあった。
「いやーしかしアニメーションとは。あたしもまだまだ発想が固いね。ディマンシュたちの策が無かったら真っ当に負けてたかもな」
「ボディペインティングは、お好みじゃあなかったようですしね」
 生徒を抱えて、メルセデス・ヒジカタ(冥腐魔道・g06800)が自陣に合流してくる。振り返って、ジェネラル級淫魔『獄彩のバーバラ』に問うた。
「でも、肌の上を絵筆が走る感覚って……ゾクゾクしませんでしたか?」
「エ? んー……」
 下腹にかすれた紋章をつけたまま、バーバラは気のない返事をした。
 肉盾だった人間たちも、牧島・星奈(星光閃姫☆キラメスター・g05403)や陣・頼人(武装騎士ヴィクトレオン・g00838)ら、パフォーマンス陽動班によって、戸口から外へと出されてしまう。花畑の描かれた扉を閉めたエトヴァ・ヒンメルグリッツァ(韜晦のヘレーティカ・g05705)は、つぶやく。
「……絵画から動く怪物を生み出せる技量を持つ者が、技術に酔うのか」
 そこで淫魔が答えた。
「ボクの絵は本当に動いている。……けどさ」
 ジェネラル級の取り乱した様子に、トループスたちも息をのむ。
ディアボロスの絵はそうじゃナイ。動いて見えるんダ。ボクの目には、その絵が動いているように見えてしまったんダ。……くやしい!」
 液晶タブレットの中で踊るバーバラ。
 ミュートされていても曲は、白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)のものだ。色合いは朔太郎が、背景の素材と加工はミシェルが請け負っている。
 あらためて理星は、先発のディアボロスを見渡した。
「復讐者のみんなが協力して咲かせた芸術。バーバラの絵を終わらせる瞬間に立ち会えてアタシは良かったな」
「咲かせた……そう、香水のものではなく、黒い額からは本物の花を嗅げタ。音楽さえ聞こえてタ。ありえない配色も。ボクには描けない」
「バーバラ様は負けておりませんわ!」
 トループス級『暴かれ待つ膜中の淫魔』たちが、主のまえに出てくる。
「肉盾などなくとも、わたくしたちがお守りします。この身がどうなろうと!」
 外套を脱ぎ捨てた淫魔らは、一様に同じ体型をしていたが、もとはさまざまな芸術家であったろう。早苗はトループスにかくまわれていくバーバラを睨んだ。
「手遅れの人がいるのは残念だけど……、犠牲者をこれ以上出さないためには乗り越えていくしかない、か……」
 卒業生らを淫魔化したジェネラル級は、今でこそ打ちひしがれている。だが、どんな状況であっても、逃げたり策を弄したりする油断のならない相手だ。
 対峙しているトループス級も、待ちの姿勢をとりながら攻めてきていた。美術室の空気に、精神寝食の情欲を漂わせる。
 早苗は『語る啄木鳥の音』を引きだすレコード針を、彼女らに落とした。
「記憶は決して騙れない。せめて打ち込んでいた芸術の一端を引き出し、ほんの僅かでもいいから、歪められた魂を救済してあげたいね……」
 香ってくる空気は、『アイスエイジブリザード』が防いでいる。
 宮美は、キレているのか、泣いているのか判別つかぬ表情で、氷雪を操っていた。
「ちくしょう、ホントは殺人とか無理!! 暴力以外の終わり方はねぇのかよぉ」
 『憑神戦衣装』は、戦いを強いる。
 時間かせぎであっても、冷気を浴びせ続ければ、卒業生らの命をうばうだろう。同じことだと、宮美にも判っている。
 淫魔を元の人間には戻せない。ゆえに、ミシェルは。
「……覚悟はしていました。だからこそ、こんな悲劇は終わらせる。僕は歌うよ。勇気と意志を貫いて!」
 心を浄化する静謐な声。
 『祝祭の歌(ラ・フェット)』が、淫魔たちの魅了に抗う。ミシェルは、パラドクスを放ちながらも思い出していた。
 フランスやパルマで、淫魔の誘惑に苛まれながらも心を取り戻した人々のことを。
「いくら、クロノヴェーダの力で魅了しても、強者の支配に屈した貴方達は、もはや『真の芸術家』とは呼べない!」
 その声に浄化されたのか、はたまた引きだされた彼女自身の声だったのか。
 淫魔のひとりが倒れるとき、輝ける未来を見、夢に描いた姿を語ったように感じられた。
「助けられなくて、ごめんなさい。貴方の分まで背負ってゆくよ」
 ミシェルは前へと踏み出す。
 在りし日の願いは、助けた学生たちも含めて、誰しもが持っていたものなのだろう。
 理星にも、早苗とミシェルの声と言葉とが染みた。
「やっぱきついね、救えない人を終わらせるって」
 感情の波が高くなっていく。
 やがてそれは、淫魔の心にも『友人想(コントラクト)』、流れ込みはじめた。
「せめてアタシと友達になってから眠ってくれよ?」
 またひとり、トループス級が膝を折る。理星の感情の波『刻源』が、ジェネラルに植え付けられた悪意を解いた。
 と、信じたい。少しでも幸せな気持ちを思い出してもらえたのなら。
 星奈と頼人も、『ティンクルスターカッター』に『屠竜撃』と、飛び回って武器を投擲し、罠に捉えては砲撃と、トループスとの戦闘を続けていたが、次第に気持ちは重くなり、高度も下がっていった。
「この人たちも元は学園の生徒だったんだよね。一歩間違ったらあたしたちもこうなっちゃうのかも?」
 星奈の疑問に、頼人はあえて大きく首を振る。
「かつては人間だったと考えると気が引けるけど、こうなってしまっては倒すのがせめてもの手向けだろうね……」
 しかし、バーバラに心酔したままの卒業生、その大半は赤く頬を火照らせ、『飢獣の焔吐息(きじゅうのほむらといき)』として吐き出してくる。
 空気を漂ってくるだけでは済まず、熱気に耐えるために、理星はさらに強い感情の波を必要とした。いっぽうで星奈の理性は、吐息を防ぎきれない。
 頼人の弱点を打ち抜く、言葉責め。
「バーバラ様にはかなわないけど、わたくしたちのカラダも見てぇ。坊やがドキドキするような裸婦モデルよお」
「君たちには残念だけど、覚悟ならとっくに済んだよ。淫魔だから仕方ない。もう躊躇わない!」
 武装騎士は言い放つとアームドフォートの砲口を向ける。
 けれども、圧し掛かってくるハダカの主は、もっと見知った顔だった。
「せ、星奈! 衣装はどうしたの?!」
「理性といっしょにトロけた……」
 仲間から押し倒される覚悟はできていなかったのである。
 小型砲台のハーネスは器用に解かれて、おさめてあった一丁も服の外に取りだされた。自作の装備のはずなのに、なぜ彼女はこんなにも取り扱いに慣れているのだろう。
「待って、待って、うあうっ」
キラッ☆と、やっちゃうよー!」
「って、ちょっと……そこは」
 いつの間にかメルセデスが、頼人のとなりで四つん這いにさせられている。
 腰をつかんだ淫魔が、背中から首筋へと舌を這わせていた。『十八番の積撃(おはこのせきげき)』による、弱点攻撃らしい。
メルセデスまで、どうしてそんな所に……」
 寝転がった頼人の目の前には、天地逆になったメルセデスの顔が覆いかぶさっている。
「学生たちをかくまったあと、廊下を通って反対側の扉から忍び込んでたのね。敵を背後から一体ずつ切り伏せるために……そ、そこぉ」
 敵の後ろをとったのに、自分も取り返されたと。
 星奈が、指先に力をいれた。
「頼人くん、おしゃべりする余裕があるんなら……えい、煌け綺羅星!」
「はうっ! 竜をもほふるような……」
「いい顔よ、頼人さん。でも、元に戻れなくなった淫魔たちを、せめて介錯してあげなくちゃ。……なーんて」
 メルセデスは、ぐるりと体勢を入れ替えると、強くて長くて反り返ったものを、淫魔に突き入れた。
「『秘儀・矢追流(ヒギ・ヤオイナガレ)』!」
「ディ、ディアボロスめ、本当は平気だったのね……」
 刀の切っ先をくらって、メルセデスを捕らえていた淫魔は倒れた。
「さあ? ほかのあなたたちも、試してみてもいいですが……色んな意味で、責任取って貰いますよ」
 不意打ちを不意打ちされたと見せかけた不意打ち。メルセデスは滴るものをはらって、刀身を淫魔たちの前に掲げた。
 トループス級は声に息に、空気にと欲望を寄せてくる。星奈と頼人が重なったままにさせられているところに、ふたりを含めた周辺が、何かに閉じ込められた。
「『エコーチャンバー』、奴らの攻撃を封じて押し返せ」
 サンダーの残響空間だ。
 情欲の空気は、裸女たちにむかって片付けられ、その身を震わせた。
「柔らかそうなトループスちゃん、エロ絵のモデルにゃ持って来いだが、今はお呼びじゃねえ」
 頼人たちの身体に視線を落とす。
 能力を上げて、抵抗力を増やしてやったから、淫魔の毒気は抜けるはず。
「あたしはそっちの趣味はねえし、男好きのする体に改造された恨みもあって、『欲情させるための体』とか『仕草』が好きじゃねえんだよな」
 サンダーは、とうとうと語りながら、ふたりの回復を待つ。
「さあ。牧島、陣! あたしらはハナから大将首を刎ねるつもりでここに来たんだ。もう立てるだろ!」
「サンダーちゃん、ありがと♪ 一回墜ちて戻ってきたから、もう迷わない☆」
「改めて覚悟を決めたよ!」
 装備が再装着される。
 改造された女は、チャンバーの範囲を拡大した。
「ヒトじゃなくなったんならせめて、サキュバスとして懸命に生きて死ねや!」
「ええ、残念ですが……」
 サキュバスの男、朔太郎は淫魔の女を抱きしめ、引導を渡した。
「これまでの敵も、元は人間だった方も多いのは、べつに変わらない訳で」
 ならば、倒すまで。朔太郎が次に手をとったのは、すでにいくつかディアボロスの攻撃を受けた個体だった。
「……僕に貴方の魂を、何かを愛してたかを教えてくれませんか?」
「それはあなたを。あなたをお待ちしておりましたわ」
 淫魔も『欲女の求牝(よくじょのもとめ)』を発散させ、朔太郎の『魅了の束縛(バインドチャーム)』に対抗する。いわば、誘惑合戦。
 有利なポジション取りが大事とばかり、男は女を背中から抱きしめて、首筋にキスをした。そして、確かに聞いた。
「わ、私は、本当はピアニストで、せっかく卒業したのに、いつの間にかモデルを……」
 サキュバスの誘惑か、それとも早苗かミシェル、理星のパラドクスが声に出させたのか。
 朔太郎には、握った手が他のトループスのものよりも長く繊細に感じられた。
「僕はせめて、あなたの芸術を聞いて受け止めて……」
 元卒業生が、背をのけ反らせ、がくりと頭をうしろへ倒した。
「全部飲み込んで愛して、一時でも僕の中で生きてください、仇は取ります」
 わずかな時間だったが、朔太郎は淫魔の重みをすべて支えてやっていた。天井辺りに描かれた花の女神のストリートアートから、エトヴァが降りてくる。
「卒業生、か……」
 自分も手を、彼の上から置いてやる。エトヴァは、朔太郎の目を見ずに言った。
パルマでも楽団に出会ったよ。技量は見事だった……」
 再び、飛翔で女神のそばまで舞い上がる。
 宮美のブリザードと並行して、『Luftturbulenzen(ルフトトゥルブレンツェン)』。青の魔力を込めた羽ばたきで乱気流を発生させる。淫魔の空気を吹き飛ばすのだ。
 俯瞰すれば、メルセデスやサンダー、復帰した星奈と頼人の攻撃が、トループス級淫魔たちを圧しているのは十分に判った。
 ペンキを塗りたくった窓越しにはまだ、倒壊しかけた校舎の姿が。
「もう二度と、この学園で淫魔の覚醒は行わせない。芸術を利用するなどもってのほかだ」
 乱気流は勢いを増し、散らばった外套ごと、『暴かれ待つ膜中の淫魔』の残りをすべて吹き飛ばした。
 肉盾も護衛も失い、文字通りまるはだかのバーバラは、最後の一枚の掛かったイーゼルを支えにして立っている。
 エトヴァは胸に刻む。
「願わくは、芸術を志す者が、心のままに活動できる場所を、空気を、
自由を取り戻そう」

「ああ……」
 ピアニストだと名乗った女の指が、大崎・朔太郎(若返りサキュバスアイドル・g04652)の手のなかで、絵の具のシミのようにかすれて消えた。白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)は、ずっと睨んでいる。ジェネラル級淫魔『獄彩のバーバラ』を。
「元卒業生の淫魔は本気でバーバラを慕っていた。そう思うとバーバラも人に好かれるような存在だったって事になるけれど……」
 その慕情さえ、クロノヴェーダに歪まされた性格かもしれないと、多くのディアボロスは思う。鳩目・サンダー(ハッカーインターナショナル同人絵描き・g05441)も、警戒を怠らない。
「できることは全部やらにゃ後悔する。ご同業の大先輩自身に、恨みはない。あたしらの務めって奴だ」
 ジェネラル級が寄りかかるイーゼル。吉音・宮美(限界ギリギリ狐娘・g06261)は、叫ばずにはいられなかった。
「貴方のやったことは許せません! でも貴方の絵はとても素晴らしいものだと思いました!」
「『芸術』に対して貴女なりに真摯であったと、僕は信じたい」
 ミシェル・ロメ(とわにひびくうた・g04569)は、ヴァイオリンの弓をとり、アンネローゼ・ディマンシュ(『楽士大公』ディマンシュ大公・g03631)も、弦を押さえた。
「バーバラ、貴方という一人の芸術家に敬意を払って……。わたくしたちが、最高の演奏を以て倒しますわ」
 音のパラドクスに、淫魔は言葉を返した。
「ちょうちょの君、ヴァイオリン弾きたち……なぐさめはいらないんダ」
 淫魔絵画に描かれたモノが、ザワザワと動きだした。
 いや、先ほどの声も、絵の中の裸身像から発せられたように感じる。バーバラ本体はうなだれたままだ。リュウターレン(奪われた者。奪い返す者。・g07612)は、『魔晶筆』を振るった。
「芸術は分からんわけではないけど、楽しませるもんやろ。それつこて人を傷つけるんはちょっと違うんちゃう?」
 達筆が、『砕』の字を空中に仕上げる。
 絵の中の極彩色の怪物が、卒業生をモデルとした淫魔たちを食い散らかし、力を得て、カンバスから美術室へと踏み出してきた。
「怪物? それごと砕いたるわ!」
 具現化した虹、アルカンシェルの七色は、実体化したリュウの文字とぶつかり合った。牙に爪にと、ひび割れていくさきから、絵の具が満たされ、再生していく。
 魔晶筆は『連』を描いて、砕き続けた。
 戦闘力に乏しいと言われる獄彩だが、アヴァタール級とは比較にならない。
 字と絵の衝突で飛び散った破片が、天井に亀裂をつくる。飛翔で、それらを背にしていたエトヴァ・ヒンメルグリッツァ(韜晦のヘレーティカ・g05705)は、敵が死力を振り絞っていると察し、『リアライズペイント』の筆先に、自身も真剣さを込めた。
 傍らでは、陣・頼人(武装騎士ヴィクトレオン・g00838)と牧島・星奈(星光閃姫☆キラメスター・g05403)が、つがいで飛ぶ鳥のように、そろって絵の具を避けている。
「多くの芸術家を堕落させ、道を閉ざしてきた淫魔学園。でも、それもここで終わりだよ。諸悪の根源、獄彩のバーバラと共に」
「とうとう決着だね! いくよ、ジンライくん!」
 天井は破れ、屋根が抜けた。油彩のような空がひび割れていく。
 学園中心部にまで崩壊が達したのか。床が傾いて、バーバラの本体は背を丸めて膝立ちになる。
 隠すもののない、うなじから腰までのラインが、星奈の目にもキレイに映った。相方が、敵の美貌に気をとられていないか、こっそりと覗き見たところ、崩壊によって生じた戦場の変化に注意を払っている様子。
 怪物とカンバス、本体の三者。攻めやすくなったのはどれだろう。
「あたしのほうこそ、また魅了されてジンライくんに襲いかかるのもまずいからね……。本体の動きが止まってるいま、一緒に集中攻撃しよ!」
「よし、『侵略(インベイデッド・ユア・テリトリー)』で、上から砲撃を叩きこもう!」
 つけ直したアームドフォートが轟音をたてる。星奈は、両掌に光を収束させ、バーバラに向かって突きだした。
「集え、貫け、星の光!」
 グローブは溶けてしまったから、素手だ。
「インフィニット☆キラメイザー!」
 光の線が、実体弾を追って、標的の裸身に降り注ぐ。星奈の両腕も、放出するエネルギーに震えてぶれ、挟まったナマのふくらみも暴れた。
 コスチュームも溶かしてたから。
えっちなのはいけないと思います!」
「誇張絵のキミほど、えっちじゃないヨ」
 裸婦像のバーバラは、まだ饒舌だった。『情欲のローズ・撃鉄のプロン』の絵の具をカンバスから飛ばしてくる。当たって魅了されるのは、トループスの攻撃以上にちがいない。
 メルセデス・ヒジカタ(冥腐魔道・g06800)は、メガネの奥から怪訝な瞳で見た。
「えっちじゃない? やれやれ……あなたの芸術ってのは、所詮は肉欲を満たすための方便だったようですね」
 ピンクの絵の具をくらった天夜・理星(復讐の王・g02264)が、胸元を押さえて、荒い息をしている。メルセデスは、挑発を続けながら絵画に近づいた。
「アンコウが、疑似餌で餌の魚を釣るように、芸術で餌を釣る。よく似てるじゃあないですか……あら?」
「はぁ、はぁ……リ、リュウさんも言ったけど、人を心から笑顔にする、それが本当の芸術だ。うぅ」
 理星が、情欲のローズに心で抗って、メルセデスの前に出た。
「でもさ、見てみ? あなたの芸術を素晴らしいと思う人がこんなにいるんだ! アタシもそう! 人を笑顔にする力だって間違いなくある!」
 『友人想(コントラクト)』を、ジェネラル級に対して使おうとしている。より、大きな感情の波が必要だ。みんなが積んだ残留効果を借り、毒に蝕まれた身体は、メルセデスが肩を貸して支える。
「まあ、いろんなカップリングがあるってことで」
 しかし、本体のバーバラは、膝をついてうつ向いたままで、反応が無かった。頼人と星奈の集中砲火が、効いてはいるようだが。
 いっぽうで、裸婦像は感情をむき出しにして、絵具の鉛弾を増加させた。
「ボクが好きなら、いっしょに大淫魔都市に住んでヨ! ウィーンで芸術の腕を上げればいいじゃナイ!」
 絵具を弾き返す、マイクスタンドの回転。
 朔太郎の両足は、フロアの荒れた路面を滑り出す。
「皆は芸術家として敬意を持って戦って、ノリが良いというか素直というか。悪い事じゃないですけど。でも僕は今回そっちじゃない」
 アイドル仕様のインラインスケート『源氏蛍』は、キラキラと光を発し、情欲のピンク色を相殺していく。
「淫魔にサキュバスとして勝つ、命を奪って背負ったからね。貴方の力を超える」
「朔太郎か! 魅了でもボクを上まわるつもりナノ?」
 カンバスを中心にして、流れるような動き。追従して発射される絵の具が、朔太郎を狙おうとするあまり、リズムまで合わせられてしまう。
「僕の事をダンサーやモデルと覚えてくれてたのなら、僕の『ルアーダンス』に誘惑されちゃってください」
 笑顔をみせるサキュバスの頬が、淫魔にぶつけられたピンクに染まりはじめている。
 魅了されてもなお、種族の本能でダンスを続けているのか。
「ああ。もう一枚、描きたくなってきたヨ。朔太郎をモデルにして。けど……」
 裸婦像が、絵の中から本体を見た。
 垂れ下がった尻尾は、もうパレットを持っていない。そのカラダに、すがりつく女の姿があった。
 サキュバスと淫魔はともに膝立ちで、絵具まみれになりながら、肌を合わせている。相手の肩に顎を置く顔は。
「早苗くん……!」
 裸婦像のほうが驚いていた。自分の本体を支えて、抱きしめてくれている。
「そっか。落第続きと言ったけど、キミはボクに魅了されてくれたんだネ。卒業を認める。ウィーンで心ゆくまで交わろう」
 ローズに抗う理星は、メルセデスに支えられながら、手を早苗のほうに伸ばす。
「淫魔の……魅了には……時が……」
「ほら、無理しない。そんなに交わりまくりたいのなら、私がお手伝いしておきますから」
 メルセデスは、何体もの幻影を呼び出した。
 卒業生たちが変異させられていたトループスに似ているが、淫魔になりかけの姿である。それらが、抱き合う本体たちを取り囲んで、あらゆる角度からせめる。
「男女混ざってるのがわかるでしょう。犠牲者のみなさん、いろんなカップリングを展開して、バーバラにヤリ返しちゃってください」
 むろん、大淫魔都市にとらわれた人々の、元の姿は知る由もない。
 冥腐魔道のリアライズペインターによる妄想、『脳内かけ算(意味深)』だ。
メルセデスくんは退廃的な絵を描くと、評価したばかりだったよネ。ボクからのご褒美だヨ」
 カンバスから緑と紫が伸び出て、ツル草のように這う。
「あらあら、私にまでカラミ、いえ、蔓が絡まって」
 手足の自由を失い、持ち上げられた。毒に侵されていた理星の身体は、するりと床に落ちる。メルセデスとて無事では済まず、『生茂のヴェール・呪毒のヴィヨレ』から呪詛に染められるのだ。
「3徹明けの朝よりちょっと辛い位です。余計に妄想が捗りますわ!」
 緑と紫のツルが、美術室に溢れかえってきた。
 大窓を破り、最上階から中央棟の外壁へと垂れ下がっていく。アンネローゼたち、音のパラドクスを使う者と、サンダーとエトヴァのペインターたちにも、絡まるツル。
 星奈と頼人は、抜けた屋根から逃れたが、カンバスのそばまで迫って戦っていたリュウと朔太郎は飲み込まれてしまったのか、姿が見えない。
「バーバラ、最後にひとつ聞きたいことが」
 アンネローゼが、戒めを抜け出して、訊ねる。
 音楽によって召喚された無数の聖剣が、ツルを断ち切ったのだ。理ごと解体して無効化したと言ってもいい。
「貴方の絵に対する原風景……。何を以て絵を司るクロノヴェーダとなったのです?」
 向き合うのは、絵具を吐きだしている絵画のほうだ。もはや、本体からは意識を感じられない。
 裸婦像が口を開くが、小さなつぶやきだった。
「ボクは最初からボクだ。きっかけも何も……いや」
 視線を落とし、なにか確信めいた口調に変わる。
「最初の一枚も、ボク。ボクの裸婦像だったんじゃないか?」
「わたくしは初めてのヴァイオリン演奏会で褒められたことが嬉しくて、ですね? それを糧に演奏を続けていったら……今、こうして貴方と相対していますの」
 顔を上げる淫魔絵画を、アンネローゼは見た。
 媚びをうるような表情はもうない。存在さえも、揺らいでいるかのようだ。
「いまさら仲良くもなれん。けど、大先輩から褒められたいとは思うねえ」
 サンダー、同人絵描きは、呪詛に震える指で道具をとった。エトヴァも頷き、わずかに自由になる腕を振り上げて、宙に絵筆を走らせる。
「これが最後の機会になる。手を抜かずに挑もう。今度こそ勝負を願えるか?」
 濃厚な黒の瞳、髪の一筋ごと、真珠の如き光沢の肌。
 角と尻尾に黄金を配し、ふたりの描きはじめたものが、バーバラをモデルにした絵であると、淫魔絵画にも、ディアボロスたちにも判った。
「凄みと禍々しさ感じる容貌、芸術者たる気迫と探求心。……道を違わねば、貴女の他の絵も見たかったものだ。良い絵画は時代を超えても生き続ける。そうだろう?」
 絵柄は違うが、同時のリアライズペイントが、実体化する。宮美は、エトヴァの言葉をもう一度、歌唱で繰り返す。
「道を違わねば。その素晴らしい絵と、貴方を忘れないために、歌だけど私も描きます!」
 『未来謳う二次創作(ファンメイドシンフォニー)』、サウンドソルジャーが三体目の幻影バーバラを作りだす。
 ペインターたちのものと違い、服を着ていた。年齢もすこし上だ。伝承知識を加えて、もし彼女が味方であったのならという『綺麗なバーバラ』を創造している。
「さあ存分に採点してくれ、これがあたしらの渾身のポートレイトだ!」
 サンダーは評価を委ねると、ツルの束の中に沈んでいった。エトヴァも囚われたままだが、彼のバーバラは狡猾で逃げ足が速い。
 芸術への真摯な目を持ち、呪毒のヴィヨレのなかをかいくぐる。
 綺麗なバーバラが、手に持ったパレットにピンクを調合するあいだ、サンダー・バーバラは、淫靡さを最大限に発揮する。自らを、指で開いてほとばしらせた。
 裸婦像のバーバラは、不覚にも顔を赤らめる。
 淫魔が照れるほどの狡猾さと上手さと、下品の中にある美しさと。カンバスにむかって三体から放たれた絵の具は、逆に淫魔絵画の内部に入り込み、裸婦像のバーバラを絞めあげた。漏れた声は、作品を認めるもの。
「ボク以上に、ボクを芸術にされた……」
 ただし、ディアボロスの損害も大きい。
 幸願う歌を、全身全霊をかけて響かせてきたミシェルは、毒にやられて仰向けに転がり、喉からひゅうひゅうと息だけを漏らしていた。
「生存、闘争、情欲。生きることは常に欲望と隣り合わせだ。そして現実は、行き過ぎた欲望がもたらす悪意や悲しみに満ちている。憂い無き楽園なんてどこにもないのかもしれない。だけど……」
 なんとか、顔を持ち上げ、眼差しだけでも歌う。
 伝えたいことはまだあるのに。
 少年の肩に、両方から手のひらが差し伸べられ、ふたりぶんの膝枕が上体を起こしてのせた。
 ミシェルを介抱したのは、バーバラ。綺麗なほうの。もうひとりは、宮美。
 に、似せて綺麗バーバラが描いた娘。
「あれ? 私? どんな解釈? あぎゃぎゃ」
 宮美本人が青ざめるなか、彼女の描くバーバラによって、さらに描かれた娘が、みずから乳房をはだけて、少年に吸わせた。伝承にうたわれる、慈愛の場面を彷彿とさせる。
「ギ、ギリギリ良しとしよう。創作は自由! 解釈違いは本人と言えど受け付けませんから!」
 乳は、呪詛を浄化した。
 それを意識する間もなく、ミシェルは立ち上がり、ヴァイオリンを弾きながら朗々と歌う。
「誰かの幸せを願う、暖かで優しい想いを。欲望を越えて、魂を分かち合う絆を」
 カンバスからつながるツルも力を失い、枯れていく。解放されたディアボロスらは、淫魔絵画が滅びようとしていると気付いた。
「ああ、まだ描いていたい。ボクは最高傑作だけど、もっと、何枚でも……!」
 ジェネラル級の欲望は、深い。
 事ここに至っても、滅びを凌駕し、生き延びさせる。つっぷしていた理星が、目を開いた。
「ねえ、バーバラさん。作品を見てもらいたいんならさ、人を弄ぶんじゃなくて、ただボクの絵を見てってだけで良かったんだよ。アタシたちは、歴史を改竄するあなたたちを許せない。……早苗さん、今だよ」
「うん。……ただ、芸術だけを愛していればよかったのに」
 バーバラの裸の本体を抱きしめたのは、早苗が魅了されていたからではなかった。『雌伏する熊の鉤爪』が、針となって全身の皮膚に刺さり、ジェネラル級の凌駕をやり直させる。
「歌が……まだ、聞こえる……ヨ」
「見果てぬ夢と、奇跡を人の心に顕現させる。自由を求める人々の勝利の凱歌と共に」
 『いと高き希望の星(エトワール・ドゥ・レスポワール)』を、ミシェルは歌い終わった。イーゼルが、ぱたんと後ろに倒れる。
「僕たちは生きて、戦うよ。人々の幸いのために」
 淫魔『獄彩のバーバラ』の肉体が滅んでいく。メルセデスは、トループスたちの幻影を解き、理星はまた肩を貸された。
「願わくば、あなたの芸術が来世で人々を幸せにしますように」
 そばにいた早苗は、朔太郎が助け起こした。彼女の脚に、淫魔の尻尾だけが絡まっていたので、サキュバスは敵の欠片を口に含む。
 サンダーが、警戒する。
「危ねえんじゃ……」
「強くなるために魂を貰おうと思った、ってとこです」
 生存競争の象徴なのかもしれない。サンダーは、どこか納得したような表情を浮かべた。宮美も、からっぽになったイーゼルに、ただのスケッチブックを見せている。
「ここに居た貴方の姿を描きました。……だから何だと思うかもしれませんが、これは未来へ持っていきます」
 それを見て、アンネローゼは黙って頷く。ケースにしまう前に、もう一度ヴァイオリンを一瞥した。
 バーバラの力が完全に消滅したらしく、淫魔学園全体が振動し始める。
「クロノヴェーダは砕いてもうたが、建物ごとのつもりとは違うで」
 リュウが、床の上でバランスをとる。星奈が、廊下との仕切りだった戸口から顔を出した。
「生徒さんたちは、全員無事☆」
「よし、脱出しよう。バーバラを倒したからって全てが元通りになる訳じゃない。それでも、少なくとも僕たちは、大淫魔都市ウィーンへの道を拓いたはず」
 ディアボロスたちは、学園最後の美術室を後にする。
 エトヴァは、誓いを新たにしていた。
「……俺の夢の街。還してもらうよ」

 

『チェインパラドクス』(C)大丁/トミーウォーカー

 

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