大丁の小噺

大丁です。読み方はタイテイが標準です。※大丁は、株式会社トミーウォーカーのPBWでマスター業務を行っています。ここで関連する告知を行うことはありますが、マスター契約時の規約により、ゲームに関するお問い合わせは受け付けられません。ご了承ください。

全文公開『カーテンコールは201回』

カーテンコールは201回(作者 大丁)

 客席からは、割れんばかりの拍手が続いていた。
 上演されたオペラのカーテンコール。これが、その200回目。
 舞台には、主役から端役までが並び、作曲家と脚本家、衣装デザイナーに大道具までが加わり、本編よりも長く賞賛され続けている。
 だが、誰が何をする人なのか、もうわからなくなっていた。
 どんな歌も台詞も、あるいは筋書きだろうと、衣装だろうと、もてはやされてしまう。
 デザイナーはもう、これが芸術だ、と言って、役者に何も着せていない。ついでに自分も同じ格好で登壇する。
「私は天才よ! 堅苦しい作法なんてまっぴらごめん。ああ、カーテンコールは、まだまだ続きそうだわ!」

 新しいパラドクストレインの行先は、『断頭革命グランダルメ』。時先案内人は、ディアボロスたちが座っている車両へと、となりの車両から扉を開けて移動してきた。
ごきげんよう。ファビエヌ・ラボー(サキュバス人形遣い・g03369)です」
 深々とお辞儀をする。
「淫魔学園を支配していた、ジェネラル級淫魔『極彩のバーバラ』の撃破に成功いたしました。皆様の協力に感謝いたします。こうして、『大淫魔都市ウィーン』の探索が始められるのですから」
 時空間列車はかの地に向かう。
「ディヴィジョンにおいても、才能のある者たちが集められた芸術の都と言われていましたが、淫魔学園で生徒たちが淫魔に覚醒させられていたことからも分かる通り、一面的な真実でしかありません」
 案内人の説明によれば、ウィーンの城壁の内側は、全体が『淫魔大樹』と呼ばれる樹木型クロノ・オブジェクトに侵食されているという。
 街全体が、淫魔大樹の触手に覆い尽くされ、それは一般人にまで繋がれている状態だ。
 住民たちは、淫魔大樹が創る異空間『堕落世界』に精神を囚われている。
 そして、永遠に続く堕落の中で、淫魔のためのエネルギーを生み出す装置と化しているのだ。
「淫魔絵画に入り込む要領で、淫魔大樹の堕落世界に入れますわ。エネルギーをむさぼるクロノヴェーダを撃破し、精神を囚われた一般人を救出してくださいませ」

 ファビエヌは一礼すると扉の奥に引っ込み、すぐに戻ってきて、また一礼した。
「オペラや演劇、演奏会などで、演目が終わったあとに、客席の拍手に応えるかたちで、出演者や制作者が舞台に戻ってきて挨拶する習わしがあります。カーテンコールですね」
 アンコールと違い、追加の演目はない。
「今回の『堕落世界』は、このカーテンコールが300回近く行われる劇場、です。囚われた一般人はみな、舞台関係者で、オペラの初日を延々と繰り返させられており、長い拍手を浴びるうちに堕落して、演目そのものはおざなりになっています」
 二体のぬいぐるみがナイフを振るうと、人形遣いのドレスが散り散りになった。
「衣装デザイナーの女性は、もう何も描いていなくて、このように裸みたいな恰好を役者にさせていますわ。ご自分もね」
 みたいな、と言うか、そのものと言うか。ディアボロスたちがキョロキョロしていると。
「皆様も同じ目にあうので、ご忠告なのです」
 淫魔大樹の力は非常に強いため、ディアボロスが堕落世界に入った時点で、強力な催眠にかけられ、囚われた一般人と同じように堕落させられてしまう。
 この堕落は避けられないが、ディアボロスであれば、ちょっとしたきっかけで、意識を覚醒させられるらしい。
 あとは、その堕落の誘惑に耐え切れば、体の自由が戻ってくるので、堕落世界のその区画を管理しているアヴァタール級を見つけ出して撃破すれば、作戦は成功だ。
「ですが、クロノヴェーダを撃破するだけでは、カーテンコールを受けている一般人は救えません」
 サキュバスの案内人は、願い出る。
「精神を囚われている一般人は死んでしまうか、生き延びたとしても廃人となってしまうでしょう。できれば、クロノヴェーダを撃破する前に、彼らを堕落から正気にもどしてあげてください」
 標的は2種類。残った黒手袋で指を二本立てる。
「撃破目標のアヴァタール級は、『宮廷芸術家ヴィジェ』。犠牲者の身体を改造することを芸術と考えているような淫魔です。異空間世界を警備しているトループス級は『フランク』。これもまた嫌な感じの敵ですが、管理者と警備のクロノヴェーダを援護するために、堕落世界の外周部にある、触手まみれの不気味な空間から、それら触手が伸びてきます。ご注意ください」

 何から何まで淫魔らしい事件だ。
 大淫魔都市の内部なだけはある。ファビエヌが気合をいれているのも頷ける、とディアボロスの中には納得した者もいたようで。
 ホームで見送る彼女は、バーバラの名を口にして、もうひとつ付け加えた。
「淫魔は各地で、異空間を作り出すクロノ・オブジェクト『淫魔絵画』を活用してきたのが確認されています。どうも、それらに使われていた、額縁や紙は淫魔大樹を元に作られており、絵の具なども、触手から染み出た樹液を溶かして作られていたようです」
 まさに、根幹に近づいたという証だった。

 ウィーンに張り巡らされた淫魔大樹の触手に、身なりのいい婦人が、囚われていた。
 樹液を飲まされて、生命は維持されているようだが、きつく締めあげられ、眠ったままだ。
 だが、伏した目の端を下げ、頬をほんのりと赤くしている。
 堕落に身を任せている衣装デザイナーの、現実での姿だった。

 城門をくぐったテレジア・ローゼンタール(魔剣の騎士・g01612)は、眼鏡越しに金の瞳を光らせた。
「淫魔学園の大元ですか……」
 やっとウィーン市内に入れた感慨もなく、ツル状樹木がはびこる光景に唇を噛む。同行のディアボロスの中には、学園の突破に尽力してきた者も多い。
 吉音・宮美(限界ギリギリ狐娘・g06261)は、淫魔による催眠の深さを思い出していた。
 樹木のあいだに身なりのいい婦人をみつけて、予知にあった服飾デザイナーではないかと、仲間に知らせる。女性は姿勢こそ苦しそうなのに、恍惚とした表情で、唇をかすかに動かしている。
「……まだ、まだ、……続きそうだわ……」
「300回カーテンコールできるなら新しい演目作れるだろ、えぇ!?」
 と、つい興奮してツッコミを入れてしまったが、淫魔の催眠では無理からぬことだとも判っている。テレジアが婦人の手をうやうやしくとった。
「高貴なるものがこのような……。私たちは潜入しても意識を保たなければ」
「私の準備はこれ。『吉音家のお仕置き用革グローブ』!」
 宮美が自分の頬を殴るまねをすると、天城・美結(ワン・ガール・アーミー・g00169)は、屈託なく笑った。
「うん、よさそうだね。私はとりあえず、思い出を味方にするかな」
 彼女が、失われた学園の制服を着たまま戦っているのは、その記憶を大切にしているからだ。
「でも、デザイナーさんに手抜きされたら、制服もグローブも無くなって、マッパがユニフォームなのでは?」
 メルセデス・ヒジカタ(冥腐魔道・g06800)が言うと、牧島・星奈(星光閃姫☆キラメスター・g05403)は、レオタードの胸元をぎゅむと押さえて不安げな声を出した。
「きゃあ、ジンライくんどーしよぅ」
「危険は承知で来たんだ。勇気を出そう」
 陣・頼人(武装騎士ヴィクトレオン・g00838)は、毅然と言った。いつだって『ヒーロー』を貫く。驚かせてゴメンと、メルセデスはアイテムポケットの開け口を見せた。
「さすがにマッパじゃ不味いでしょう? いろいろ詰めてきたので、よければご活用を♪」
「なんだ、そうか。ありがとう、メルセデス。じゃあ、みんな『堕落世界』に突入準備を……うわっ!?」
 いったん頬をゆるめた頼人だったが、メンバーを見返して驚いた。
 川屋・ゆきの(封印の退魔巫女・g03290)が、両手を頭の後ろに縛られて、身をよじっている。なかば屈んだ姿勢で隠そうとしているのは、乱れた着衣からこぼれる膨らみだ。
 淫魔大樹の奇襲か。それとも、もう堕落世界なのか。頼人が竜骸剣を抜こうと慌てて腰に手をやるのを、美結が制した。
「落ち着いて。ゆきのさんは事情で『拘束服』を着てるのね」
「服なの? それ?」
「……はい。恥ずかしいので、あまり見ないでいただけると」
 請われて男子は、すぐにそっぽを向いてあげた。その横顔を、星奈がうかがっている。
 腕で押さえた自分の大きさと、ゆきのの隠しようがない大きさとを比べながら。
 テレジアから順番に手をつなぎ、ディアボロスたちは異空間に入った。
 ――もう何十回目のカーテンコールだろう。
 整列したオペラの出演者たちは、衣装デザイナーの指示だから分かる。観客が、あいさつの順番の回ってきたテレジアにまで、求めてくるのはなぜか。
「騎士さまーッ!」
「わたくしどもめに、ぜひお見せくださーいッ!」
 舞台の前方にすすみでたテレジアは装備を外し、オーケストラピットにむかって放り投げた。ひとつずつが落ちていくごとに、場内は静かになっていく。
 ついに眼鏡以外、一糸纏わぬ肢体を惜しげもなく曝け出し、胸をはって客席に声をかけた。
「きょうは、観に来てくれて、どうもありがとう」
 それだけで万雷の喝采が巻き起こり、無防備な騎士は迎えられる。
 心地良い堕落の熱で、テレジアの身体は奥から火照る。
「貴人の裸身を余すことなく目にするのだから、この喝采も当然です」
 ふと、前にも体験したような思いがよぎった。
 続いて宮美、美結と交代で前に出る。すこし後の出番でメルセデスは、仲間たちの身体を眺めていた。
「やはり、制服は脱がされちゃいましたか。ですが……」
 意識を回復し、どうにか目だけは自由になったので、左右に立つ一般人の男性の状態を見た。
 かたや、太めのがっしり型でいかにもオペラ歌手らしい。
 もうひとりは、引き締まった筋肉をもつ長身で、ベテランの風格を漂わせていた。堕落しているとはいえ、二人とも凛々しい中年だ。
 拍手のなか、宮美、美結が堂々と行って帰ってくるのを見ても、それに反応している様子はなかった。
「おじさま方が女体に釘付けになったりしたら、私の同好の士の界隈にも大打撃ですの」
 などと安堵もしながらメルセデスは、いっこうに解放される気配がないのを訝しんでいた。指揮者と脚本家が挨拶したあと、頼人と星奈は、ふたり手を繋いで前に出る。
 裸で。
 二つ名が役名と解されているらしく、客席からはそれらも叫ばれる。
「ヴィクトレオン、かっこいいーッ!」
武装騎士さまーっ!」
「星光閃姫様~♪」
「キラメスターちゃーん!!」
 頼人はすっかりその気になって、挨拶だけでいいものを、見栄をきったポーズをキメたりしていた。
 やっぱり裸で。
 いっぽう、星奈は意識だけは回復しかかっていて、メルセデスと同じく、頼人の状態を確認できるほどになっていた。いまは静かだ。
 そのことは、メルセデスの視界にも入っている。星奈が、拍手とは別のものに気持ちを持っていかれているのも。
「あぁ……恥ずかしくなんかない。むしろ、客席からの視線が心地いい。もっとあたしを見てぇ。ジンライくんも見てぇ……あたしのカラダ……」
「おやおや、催眠が解けかかると、かえってダメになるじゃないですか。あらあら、こちらも」
 左右隣りの中年男性に、硬直が始まっていると気付く。
 星奈たちが引っ込むさいに、テレジアの目が照明の反射をとらえた。楽譜のあいだに転がる小道具。
「いや、小道具などではない、あれは――我が魔剣」
 騎士として鍛えられた身体に血が通い、号令をだすために大きくなった声が、喉の奥から絞り出される。
「そう、喝采は当然ではない。それに値するから得られる」
 姿勢を、自分の意志でかえられると見下ろして確かめた。テレジアは覚醒したが、仲間が動けぬところで戦うのは不利だ。しばらくは、堕落したフリをせねばなるまい。
「正気のまま、衆人環視で、この裸を晒し続けるのか」
 落とした視線を上げられない。さすがに恥ずかしい。だが、横に並んでいるので不確かなものの、宮美と美結は平静なようだ。彼女らの覚醒まで待つには。
「は、恥ずかしくなどない!」
 いまは、ゆきのが舞台中央にむかって歩いていた。
 テレジアは顔をあげて、それを見つめる。眼鏡が曇りそうなほど、堕落よりも火照る。そのころ、当のゆきのは、ちょうど裏返したような心境だった。
「大勢の観客が、わたしの裸を見て……」
 にもかかわらず、羞恥心を感じない。ウィーン市街で、まわりに仲間しかいなかったとしても、あれほど抵抗があったのに。
「いえ、これはとても恥ずかしいことで、こんな恥辱から自分を取り戻すために」
 羞恥の感情を強くさせれば、堕落から解放されるはずだ。
 拘束はされていないのに、手を頭の後ろで組んだ。ここぞとばかり、悪魔はゆきのの心を嬲ってくる。
 いまだけは、好都合。
 スタイルのよい腰つきが、モジモジと左右にふれて、後ろから見ているメルセデスは焦る。
「せ、せっかく、太めと締まりのいいのが両隣にあるのに。……『イケおじ×イケおじの』『ほうそくが』『みだれる!』」
 その嘆きが、実際に口から出て、メルセデスの身体は自由になった。
 星奈も、頼人の状態が気になり向き合おうとしたところ、堕落が解けて動けた。腰に装備された一本は、まだ静かだ。
「ジンライくん、正気に戻ってぇ☆」
 胸で少年の顔を挟む。
 窒息の危険もあったが、これも勇気だ。
「ぷふぁ、むぐ、星奈? もう、だいじょ……むにゅ」
 念のため、ちゃんと握ってチェックしておく。
「大事だからね、竜骸剣の硬度って☆」
「いやホント、手抜きだよなぁ、着る人の肉体を魅せる服になってねぇよ!!」
 宮美が、半ギレしながら、列からはみ出した。
「堕落の影響なんだろうけどー……なんというか、もはや手抜き、というレベルじゃないよねコレ」
 美結も、制服どころか、なにもない恰好で肩をすくめる。テレジアが、眉間にしわをよせて、ふたりの裸を指差した。
「あ、あなたたち、いつから正気だったのですか?!」
「んー……。テレジアさんが自分で脱ぎ始めたときには、もう治ってました。グローブで頬を強打しなくても」
 態度をあらため、宮美は尻尾をふるみたいに打ち明ける。美結は頷いて。
「こーんな『衣装』でも、思い出があれば、自己は保てたよ」
「私は、信念つーか、裸を見せるのであれば、見せて恥ずかしくない肉体を維持しろ、と。なんかそんなです」
 堂々としている宮美に、テレジアはなおも口を尖らせた。
「あまりに普通にしているので、覚醒しているとは……」
「え、裸みたいな服は別になんとも思いませんよ」
「全員同じだし、堕落状態で誰もまともに見ちゃいないだろうし、どうせ忘れるだろうから考えないようにしてた。自分で言うのも悲しくなるけど見て楽しい身体でもないし!」
 どうやら、美結には多少のためらいはあった様子。
 ようやくテレジアも、ディアボロスが動けるようになったのだから、作戦どおりと納得した。
 演者の列の騒ぎは、堕落空間につくられた客席には伝わっていない。いまだ、その視線に露出行為を晒していたゆきのは、戦闘可能になりながらも、両手は再び拘束状態に戻っていく。
 これが、いまの通常なのだ。
 覚醒が済んだ仲間と合流して、戦列に加わろう。振り返ると、そこには一般人の本物の目があった。
「ああ、なかなかに辛いモノがありますね……」
 肌をつたって、ステージの床にぽたぽたと垂れる。
 汗をかきながら頼人は要求し、メルセデスは開け口に触れた。
女の敵は女……よく言ったものです。さあ、おじさま方がこれ以上堕落しないよう、服着ましょう、服」
 危惧されているのは、星奈がいまだにグイグイ見せてくること。あと、頼人自身の状態を知られていること。
「……って、何で不織布マスク50枚入3箱とか、バスタオル10枚とか、観葉植物の葉っぱとか、微妙なものばかり出てくるのでしょう? これが、2徹明けテンションの魔法でしょうか」
「ああ、もういいよ! 竜骸剣ーッ!!」
 頼人はカーテン、つまり幕を上げている綱を切った。
 ストンとそれが落ちると、舞台は不安定な空間となり、前後左右にかかわりなく、うねうねとした触手がうごめきだす。
 一般人の役者たちのなかには、ディアボロスの女性に惹かれている者もいるが、ほとんどは覚醒していない。
 衣装デザイナーは裸のまま、幕にしがみついて叫んでいた。
「拍手が、拍手が鳴りやまないわ!」

 吉音・宮美(限界ギリギリ狐娘・g06261)は、衣装デザイナーの後ろから組み付いた。
「ええい、落ちた幕に縋りついてみっともない」
「拍手が、天才の美への称讃が……!」
 女の裸がもみあっている隙に、テレジア・ローゼンタール(魔剣の騎士・g01612)は、役者や制作者たちの列の前へとまわった。
「宮美さん! そのご婦人の欲望は、この堕落世界の土台を成していると思われます。説得を頼みましたよ!」
 魔剣の騎士を丸裸に剥くくらいだ。他の一般人よりも重要度は高かろう。
 ゆえにテレジアは、残りは一喝できると大声を張った。
「あなた達には舞台に上がるために積み重ねてきた努力がある筈! それは承認欲求を満たすためだったのですか!」
 役者らの視線は彷徨っている。次のカーテンコールが始まるか、耳をそばだてている。
 メルセデス・ヒジカタ(冥腐魔道・g06800)は、アイテムポケットから取り出したバスタオルを自分の体に巻きながら、声をかけた。
「拍手ですよ! 客席から聞こえるかぎり、説得の効果が薄まってしまうのでは?」
「よし、音を邪魔するか、止めてくる」
 陣・頼人(武装騎士ヴィクトレオン・g00838)が舞台袖から、客席との階段へと走った。傍らで、握ったままだった牧島・星奈(星光閃姫☆キラメスター・g05403)も、手を離さず、そのまま同行する。
「それにしてもジンライくん、可愛い顔なのに凄い事になってる……」
「星奈、正気に戻ってるんだよね?!」
「わたしも、もう一度、幕のむこうに行きます」
 位置的に、ステージ最前で挨拶をし、列に帰る途中だった川屋・ゆきの(封印の退魔巫女・g03290)は、客席からは一番近かった。
 それは再び、満場の人々に、ふたたび今の姿を晒すことに他ならないのだが。
「背に腹は代えられません、ね……」
 落ちたカーテンの裾に頭を突っ込んでくぐる。
 ゆきのに憑依している悪魔の力が通常どおりになったならば、腕は拘束するよりない。芋虫のように這い出て、無様な恰好をみせる。あがくうちに、体勢が半回転して、足がわが客席に向いた。
 ひとりだけで登壇すれば、観客の注目は高かった。
 立ち上がるために、大きく開脚して踏んばり、股間を先の視線に触れさせる。
「う、ふぅ。あぐっ」
 悪魔が操作する影手も復活し、要所を隠してくれるはず。
「そんな、意地悪しないでください」
 しかし、ここぞという機会には嬲ってくる。黒い指は、Vサインのように開いて、『ゆきの』を押さえつけた。
 頭頂部で床を支えているので、股のあいだからその様子がわかり、さらに逆さに見上げるバルコニー席から、豪奢に着飾った紳士淑女が、グラスを使って覗き込んできている。
「あぁ、拡大までされて……。しかたありません。この姿勢のまま、一般人の皆さんのハッキングを」
 観客は、正気になったなら、本来のオペラとかけ離れた姿のゆきのに、戸惑うだろう。拍手も歓声も消えるはず。
 オーケストラピットまで降りた頼人と星奈も、服と武装を取り戻しながら、思案していたところだ。
「どうする、ジンライくん。客席にいるのも一般人なら、手荒なことはできないよね」
「結局、説得が必要なのか。それとも、淫魔大樹の触手を切り裂けば、洗脳はとける?」
 すると、客席の騒ぎがひときわ大きくなった。見渡したふたりに舞台上から呼びかけられる。
「頼人さん、星奈さん、見てください、はああん!」
 ゆきのがさらなる痴態をふりまいていた。ピットを飛び越え、黄色い放物線が、客にかかる。
 驚いて声もでない頼人たちだったが、仲間が見せたかったものには、すぐ気がついた。ジョボジョボと浴びながらも拍手を続ける人型が、一瞬ブレて植物の編み上がったものになったのだ。
「……お客さんたちの正体は、堕落世界の一部、淫魔大樹の触手が人間を模して再現したもの、なんです。うぅ」
 ゆきのは、足を広げたまま、膝をついて舞台にへたり込んだ。頼人は、星奈の手を引いて、ピットから客席へと飛び上がる。
「ということは、客もクロノ・オブジェクトだ。破壊は困難だから、僕らも音で、邪魔しよう!」
「協力して大音量の演奏をして、拍手を聞こえなくさせちゃうのね」
 星奈は、『キラオケマイク』を手に歌った。アンプもスピーカーも内蔵されている。頼人は、お気に入りを繋いでDJ役だ。
 混濁したものが幕の内側にも響いてきて、衣装デザイナーは後ずさる。
 宮美は、自分の演奏をした。
「ならば見せてあげましょう……本当に美しい裸体というやつを!」
 『未来謳う二次創作(ファンメイドシンフォニー)』は音楽だが、幻影を召喚する。学園での強敵を対象に、もし味方だったらという二次創作を行った。
 『綺麗なバーバラ』は筆をとり、幕に絵を描き始める。
 舞台内外でディアボロスが起こした音により、役者と制作者の列は乱れはじめた。メルセデスは、テレジアにも合図して一般人たちを半分に割り、説得の続きを試みる。
「舞台が夢の世界だとすれば……カーテンコールは、夢の続き。夢から覚めなければ、新しい朝は来ないのですよ」
 元々、耳から入ったものに影響を受けるよう、仕向けられていたらしい。
 太い中年と締まったベテランの役者などは、素直に頷き、メルセデスの眼鏡を透かして緑がかった瞳をまっすぐに見つめてくる。
「例えるなら、ひとつの恋が終わらないと……新しい恋の歯車は回らないように」
 緑の瞳が役者たちのあいだに目配せすると、太いのと締まったのは、互いを意識してそちらに視線を絡ませるようになった。
「さあ、新しい舞台で、新しい喝采を浴びるために。舞台に幕を閉じ、次の舞台の幕開けを!」
 残りの一般人たちは、祝福するように男と男を取り囲んだ。
 舞台監督が演技をつけはじめる。脚本家が台詞の続きを提案する。なにか新しいものを生み出そうとしたとき、ぬるい拍手に堕落していた芸術家たちの精神は返ってきた。
 そして、テレジアの言葉には、初心を思い出させる熱意がある。
「名声は大切だが、拗らせればただの承認欲求。あなた達はまだ途中なのです!」
 金の瞳が、若い男女の心を射抜くよう。
 ひとり、ふたりと表情が正気のものに戻ってきた。あの、市街で囚われている時のような、恍惚としたものとは違って。
「よかったです。あなた達は実を言うと……」
 テレジアは状況説明をして落ち着かせる。
 瞳を覆う、眼鏡。堕落を脱したばかりの彼らの前で、身につけているのはそればかり。
「では我々の実体はここにはないのか」
「不思議なことだ。しかし、淫魔様……いや淫魔のまやかしならば」
 堕落世界でのからだを見下ろし、ついでテレジアの肉体も、まじまじと食い入るように見てくる。
(「別に誘惑しているわけではないですが、彼らの視線が不埒なところへ集中するのも、生理反応が起こるのも、男として仕方がない……」)
 堕落の影響力は、身をもって理解したのだし、とテレジアは咎めなかった。
 それどころか、彼女自身、知らず隆起したそれを見比べ、女たちに起こっている反応が、同じく内腿をつたうのを放置していた。
「アッー!」
 舞台の奥から聞こえたのは、メルセデス組のリハーサル。締まりのいいところに太いのが入る演出。
「そうそう、おじさま方が公園……じゃなかった、公演の新しい恋の発展に期待します。あら、テレジアさん。そちらの組でも使います、マスク?」
 淑女なら、上に二枚に下に一枚。紳士なら、下に一枚で慎みを護れる、などと言われたが、腕白なモノははみ出してしまうだろう。
「さあ、見なさいこの絵を、そして自分たちを! 見ても何も思わないなら役者やデザイナーなんてやめてしまえ!!」
 キレぎみの声で、宮美が叫んだ。
 幕裏に大きく描かれたのは、良くも悪くも多くの人間を魅了した、希代の芸術家の裸婦像。
 それの二次のキレイなバージョン。
「これぞ肉体美、男女のこもごもを汲んだアート! ただの手抜きと芸術としての裸体の違いを見ろぉぉぉ!!」
 宮美の高説を聞き、衣装デザイナーは感激とともに、丸裸を恥じているようだった。
「同じ見せるにしても、全然違うわ。これこそ、古いしきたりを破る、新しいハダカ」
 そして、マスク一丁の監督に、新作への意気込みを伝えた。舞台関係者たちも、絵を眺めて提案を口にしている。
 もう、堕落世界を破壊しても、彼らの魂は肉体に戻れるだろう。
 ディアボロスたちは、客席も含めた舞台以外の空間が、触手に変化していくのを、油断なく見張った。

 客席の幻影も消えたことで、川屋・ゆきの(封印の退魔巫女・g03290)は、幕をくぐって皆と合流する。
 内なる悪魔は大人しくなり、さらけ出された部分も閉じている。
(「解っていてああいうことをしたのでしょうね、タチの悪い……」)
 観客がクロノ・オブジェクトだったことを伝えると、テレジア・ローゼンタール(魔剣の騎士・g01612)は、ゆきのと同じく、少し気が楽になったようだ。
「いわば、舞台装置ですね。その施設を警備するトループスは、目覚めた者を再堕落させる役割も持っているのでしょうか?」
 遅れて戻ってきた陣・頼人(武装騎士ヴィクトレオン・g00838)は、ちゃんと服を着ていた。
「うまく説明できないけどなんだか拙い敵が出て来たよ!」
「キノコ……だよねあれ。うん、キノコだキノコ」
 牧島・星奈(星光閃姫☆キラメスター・g05403)も、服は着ているが、自分に言い聞かせるようにトループス級淫魔の出現を伝える。
 バスタオル巻きのメルセデス・ヒジカタ(冥腐魔道・g06800)は、リハーサルを切り上げさせて、舞台関係者たちを一か所に集めた。
「ところで、この腕白なフランクを見てくれ。こいつを見て、どう思う? ……とか尋ねられそうな光景ですね」
 不安定な異空間だが、上下と床の概念は残っている。
 蛇のような下半身の淫魔は、舞台の両袖だった方向から、のたくってきた。だが、問題となっているのは、頭部の形状だ。
「わお、アレのメタファー目白押し」
 吉音・宮美(限界ギリギリ狐娘・g06261)は、いまも催眠が解けたときの恰好のまま、感嘆の声をあげる。
「褒められたデザインではないかもしれませんが、複数の暗喩を組み合わせることで直接描写するよりも強くアレを印象付けるナイスデザインですね」
 アレと連呼されても天城・美結(ワン・ガール・アーミー・g00169)にはピンとこない。
「キノコに蛇に筋肉……何かよくわからないデザインだね!」
 変なものが合体したものとして認識しているようだ。自分の着衣の無さも、頓着していない。
 頼人は、反応しないように気をつけながら、竜骸剣を構える。
「と、とにかく、これで遠慮なく暴れられるって事だよね!」
 ワイヤートラップを発動し、下半身蛇の侵攻を止めた。筋肉の隆起した上半身もがんじがらめにして、淫魔フランクのあいだを駆け抜けながら、重い一撃を各個体に浴びせていく。
 それに続く星奈は、オーケストラピットから拾ってきた武器を仲間に投げ渡してから、『キラキランサー』の薙ぎ払いで、罠にかかっている残りにトドメを刺す。
「センシティブな敵は星光閃姫☆キラメスターがキラッ☆と、やっつけちゃうよー!」
 高速詠唱でアイスエイジブリザードの体勢にもはいった。
 テレジアは、魔剣を受け取ると、敵の振り回す『鍵』と切り結ぶ。
「さっきまで間近で見ていたというのもありますが、男性の生理反応を連想させる見た目ですね……」
 それを言っちゃうのか、と宮美は振り返ったが、せっかくはめた『吉音家のお仕置き用革グローブ』。強打でぶん殴って、アレな頭部の感触を確かめた。
「クロノヴェーダがどのように産まれるかはわかりませんが、もし彼らをデザインした神のようなものがいるなら羨ましくなるセンスです」
 ふらついた敵が、そのままぶっ倒れる。
「ねぇ、テレジアさん。施設の警備役なんだから、あるていど数を減らせばいいんですよね?」
「そのはずです。元から数が多いようですし、全滅までは難しいでしょう」
 両断までせず、動きが鈍ったら、転がしておく。
「鍵状のマイクだなんて……どこの鍵を開けちゃうんでしょう」
 メルセデスは、パラドクスの効果範囲を広くとろうと、歪みのための妄想をたくましくしていた。
 だが、敵の数が戦闘前よりも増え、カバーが必要な面積も広くなってきた。
 まとめて鍵を薙ぎ払っても、テレジアには止むことなく突きだされてくる。
「くっ、増殖能力持ちでは多勢に無勢か。それに、触手が……!」
 気がつけば床を這う、淫魔大樹の枝の先っぽ。
 クロノ・オブジェクトと聞いたからには、放っておくしかないのだが、むき出しの肌にチロチロと触れてくるのだ。
 つい、メルセデスを急かすように見てしまう。
「イケおじ同士でバックドアの鍵を開けちゃう展開を妄想しつつ、『脳内かけ算(意味深)』で敵の存在に干渉しちゃいましょう。『アッー』とか『ウホッ』とか……」
 詠唱にはまだ時間がかかりそうだ。
 テレジアの意識は朦朧としてきた。無数の触手に全身を舐め回されている気がする。
「私がこんなふしだらな姿にされていても、メルセデスさんの目には留まらないのだろうな。せめて、本物が入って……はっ」
 あまりにも取り留めのない想像。
 身を委ねてしまいそうになるのを堪え、せめて淫魔フランクは減らそうと、『怨憎の斬閃(ハザード・リッパー)』を放った。
 魔剣に宿った呪詛を衝撃波とし、トループス級を蹴散らす。
「星奈?! やっと着たのに、またなの?!」
「ジンライくぅ~ん☆」
 胞子による精神支配を受けたために、星奈はまた裸になり、頼人にすがりついて、窮屈な場所から解放させた。
「だって、キノコが命じるんだもん。立派なキノコさん☆」
 上下の概念は残っており、そそり立って天を向いた。
 メルセデスが声をあげる。
「ほんと、そっくりですね。フランクの頭に」
「アレってアレなの?!」
 皆が言っていた『デザイン』の意味がわかった美結は、顔を真っ赤にして、あわあわしだした。
 カーテンコールに並んだ一般人たちのものも無視していられたのに、感情がいっきにぶり返してくる。
なめこは、もっと細くないと食べづらいと思いません? だって、あのツルンとした食感がいいんですし」
「いやあああ!」
 美結の耳にはもう、メルセデスの話の続きは入ってこない。
 増殖を続けるフランクたちの、ひとつひとつがリアルなアレに見えて、守護の闘気は最大に。
 そして、攻撃の闘気も全身を覆い、なにか喚きながら群れにむかってダッシュする。
 拳から打ち出される破軍衝、そして殴ったり蹴ったりを繰り返し、美結は増えたぶんの敵を一掃した。
 もう一方の舞台袖で、ゆきのもフランクの形状に思うところがあったようだ。
「多少八つ当たり気味ではありますが……」
 敵トループス級の姿から連想されるモノを『虚空天・阿迦奢形成(コクウテン・アカシャケイセイ)』によって『ねじ切れた』状態へと『書換え」る。
 フランクたちは、何を言っているのかわからないが、苦悶の感情であるのは間違いない。
「あ~! やめて、やめて! いや、ゆきのは、悪くない、攻撃を続けて……やっぱり、やめ」
 観ているだけで肝の冷えるありさまに、頼人が代わって悲鳴をあげた。
「ロースハムみたいにぶっとくてグチョグチョとか、刻みたくなっちゃいますわ」
メルセデスまで、怖いこと言わないで、ウッ」
「えい☆」
 頼人と星奈のやり取りはともかく、いまのが『脳内かけ算(意味深)』の完了だった。
「イメージが湧いたので、美少年×イケおじもいれておきました」
 舞台奥がわから侵入してきたフランクたちは、認識を歪められ、たがいに鍵を突っ込んで自滅した。
 宮美がパラドクスで裸婦像を描かせた幕も、ボロボロと崩れ去る。
 客席のあった側から攻めてきたトループス級は、宮美のアイスエイジブリザードによって凍らされたうえ、『吉音式グレイプニル』に捕縛されて、オーケストラピットの残骸に転がされた。
「……ナイスデザインだと思いますが、ほら私も女の子なので」
 仲間たちの騒ぎに比して、宮美は静かに敵を見下ろす。
 その視線は、また前を向くこととなった。
 堕落世界を管理し、一般人から感情エネルギーを吸い出してきたアヴァタール級淫魔。
 『宮廷芸術家ヴィジェ』が、触手に腰かけていた。
「ボクはもっと個性的な作品が作りたいんだ。裸にしただけじゃ、安易だと思うね」
 赤いドレスの裾がなびいている。

 いまや見渡すかぎり、淫魔大樹の枝に異空間は覆いつくされていた。
 ツルで編まれたカゴの内側にいるような光景だ。テレジア・ローゼンタール(魔剣の騎士・g01612)は、触手にまきつかれて体を大の字にされていたが、気づけばディアボロスの仲間たちも同じような恰好にされている。
 メルセデス・ヒジカタ(冥腐魔道・g06800)が集合させた舞台関係者の一般人たちも、大樹の虜である。現実世界の大淫魔都市ウィーンでの発見時の姿勢と似ていた。
 もしかしたら、堕落世界に連れてこられたときから、魂はこうだったのかもしれない。
 しかし、意識は覚醒している。メルセデスは、空間の中央に座した淫魔を挑発した。
「あら、このトライアングルをチーンチンと鳴らす淑女がボスですか。そのお高く止まった面を、もっと淫魔っぽくしてあげますわ」
 たしかに金属楽器を打ちあわせていた。
 青く光るそれは、やつの言うところの作品作りを始めている。人体改造のパラドクスだ。
 またしても裸に剥かれた陣・頼人(武装騎士ヴィクトレオン・g00838)は、身をよじって怒鳴った。
「よくも星奈とボクを恥ずかしい目に遭わせてくれたね! その借りは高くつくよ!」
「あなたがジンライくんに酷いことさせた諸悪の根源ね! キラッ☆と、やっつけちゃうよー!」
 牧島・星奈(星光閃姫☆キラメスター・g05403)も続く。一度は覚醒したからか、戒めを解くのは簡単そうだ。
 赤いドレスの淫魔、アヴァタール級『宮廷芸術家ヴィジェ』は、くすくすと笑った。
「だから、安易と言ったんだ。恥ずかしいとか、ひどいとか、単純な、ただの素っ裸を選んだのは、そこの人間の服飾担当さんだろ?」
 この言葉には、テレジアも腹をたてる。
「堕落して創作意欲を失うようにこの空間を設えたのは、そもそも貴様らだろうに」
「その通り。……吠えなくても、すぐにボクがキミたちにとってもっと似合うカッコウをさせてあげるよ」
 体鳴楽器は旋律を響かせる。
 おだやかな口調で、吉音・宮美(限界ギリギリ狐娘・g06261)は語りかけた。
「おや意見が合いますね。どうでしょう『アート』を求めるもの同士、ここはお互い一度引くというのは……」
 提案は、ヴィジェには意外だったらしい。
 いったん口をつぐんだものの、また表情を緩める。
「キミって、『着る人の肉体を魅せる服じゃない』とかなんとか怒っていたよね。わかるよ、なおさら堕落させておきたいな」
 響きがディアボロスたちの裸身に沁み込んでくるようだ。川屋・ゆきの(封印の退魔巫女・g03290)は、唇を噛んだ。
「わ、わたし自身の精神は、淫魔を滅すべしと叫んで居ますが、体内の悪魔が淫魔と同調してわたしを蝕んできます……うぅ」
 ココロが誘惑される。恥ずかしさが増す。
 全身を這う触手は、さきほどまでは劇場の観客に化けていた。いまは、本物の一般人の前で、両足を肩の高さまで上げさせられている。
 しかも、悪魔は身体のほうを操って、両手の指で左右に広げさせ、中央を弄らせた。
 守るべき者たちに、ゆきのが自分から中身を晒している恰好だ。
「み、見ないで下さい……っ」
 悪魔は、宮美とはまた違う意味で、紳士協定を結ぶつもりなのか。もちろん、大人しく撤退してくれるわけではない。
「落ち着いて、一曲いかがです?」
 宮美が、魔楽器を手にした。
 高速詠唱の要領で、ヴィジェの旋律の先回りをするような、アップテンポな演奏をする。
 触手が波打つのは、頼人が脱出のさいに揺さぶったからだ。エアライドで、枝カゴの中央まで跳躍すると、淫魔の頭上を飛び越え、彼女の視線を誘った。
 べつに、股のあいだのモノが気になったからではないだろうが、ヴィジェは真顔になって、見上げてくる。
「かかったね!」
 淫魔大樹に編まれているなら、それは自分を拘束している触手と、敵の足場が繋がっているということだ。頼人は、ジャンプ時の揺さぶりをトラップ生成に利用し、ヴィジェの腰かけていた部分をひっくり返す。
「ほおっ、キミもいいカタチをつくるじゃないか」
 背中から、カゴの底に落ちていくアヴァタール級は、まだ余裕の顔だ。そこへ、『キラキランサー』を構えた星奈が追いつく。
「集え、貫け、星の光! インフィニット☆キラメイザー!」
 両手の光条が武器にも宿り、数回の薙ぎ払いをお見舞いする。
 真っ逆さまのドレス姿は、くの字に折れて、斜めの角度で大樹の表面に激突した。
「ジンライく~ん」
 なぜか甘えた声で、星奈はエアライドを使い、上へと飛んだ。敵の目を引き付けてくれた頼人の身体が、放物線を描いてすっとんでいくから、それを助け出そうというのだろうが。
「星奈?! あぁ、お願いだから無事でいてくれ」
 両者が空中で近づくにつれ、頼人はむしろ不安げになる。
「だって、しょうがないもん。身体中うずいてこのままじゃおかしくなっちゃうんだからぁ!」
 淫魔のパラドクスにカンカクを改造され、星奈は救助どころか襲いかからんとする。そして、改造は頼人のカタチにも起こっていた。
「ちょ、あいつの能力ってまさか、よりにもよってこんなところを……!」
 凝視されていた箇所が、経験したことのない反り返りを示していた。
「ボクが、危険……!」
「お願い☆」
 うまく、ランデブーできたようだ。星奈は頼人をしっかりホールドする。
 大樹にめり込んでも、淫魔の旋律は続いていた。テレジアも、五感を改造されている。
「と、トドメを刺しにいきたくとも、音波による攻撃は防ぎ難い、か」
 触手の蠢きも手伝って、テレジアのそこは、ねばついた水音をたてている。それさえも、耳から入ってくる快感となってしまうのだ。
 噎せ返る臭気もまた、鼻を刺激し耐え難い。
 そして、唇をこじ開けてくる先端。さんざん対面させられた男性に似ていると触覚は教え、舌にまで。
 絶え間ない快楽に意識が蕩けそうになる。対面の壁に見えている星奈と頼人の痴態にも、なにか理解が及び始めていた。
「むふ、ぐ……。すうっ」
 一度だけ、覚悟して息を吸い込む。
 呼吸法による精神集中だ。堪えているあいだに、宮美の魔楽器が敵の音を相殺した。
「斬り捨てる!」
 テレジアの魔剣が触手を寸断し、ヴィジェのいるところまで、駆け寄らせた。
 立ち上がった淫魔は、頬をぬぐいながら、作品を評する。
「ほら、似合ってるよ……グハアッ!」
 神速の斬撃は容赦ない。
「もう一度おたずねします。撤退してもらえませんか」
 宮美の勧告だ。ヴィジェは、なぜかココロを改造できなかった相手を見据えながら、小さくかぶりを振った。
「そうですか。……あとは皆さんにお任せします」
 決裂し、ディアボロスに取り囲まれる。ヴィジェは気がつく。トライアングルを鳴らしていた指が、まるで凍ったみたいになっていると。
「動かないのは……ボクの感性か」
 同時にわかったのは、宮美が自身の精神まで凍結させて、ココロの改造を防いでいたということだ。
 解放された、ゆきのが、赤ドレスの前に立つ。
 悪魔はといえば、宿主を弄びはしても、淫魔に乗っ取られるのはご不満のようだ、と解していた。
「貴女も皆さんと同じ思いをされてはいかがですか……?」
 むしろ、悪魔に心を毒されてでもいるかのように、ゆきのは罰を与える。
衆生一切斯く在るべし――虚空天・阿迦奢形成」
 赤いドレスが、淫魔の自らの手で脱がされていく。安易と罵った丸裸へと。
「ボクの芸術は、そんな目で鑑賞するものでは……ああ」
 ゆきのがされたのと同じ姿勢になり、指が中身をむき出した。
 それを淫魔大樹が、再び観客に成り代わって、みつめている。
「あらあら、私も改造のせいか、どえすな精神状態になってますわ」
 バスタオルを巻いているだけ、仲間のうちで着ているほう。メルセデスは、『脳内かけ算(意味深)』をはじき出した。
 ヴィジェの尻尾と翼の先端が、淫魔フランクの鍵状に変化する。
「んふふ。鍵って、対になる鍵穴があるものですよ。さあ、あなたの鍵は……どの鍵穴に合うのかしら?」
「み、みっつもないだろ?!」
 アヴァタール級『宮廷芸術家』の最後のあがきだった。
「じゃあ、本当に合わないか、あなたの身をもって、証明していただきましょうか」
 メルセデスが合図をおくると、ゆきのは縦に並んだ三か所を、広げさせた。
「ここで滅ぶならばそれで済む話です」
 徐々にもどりつつある心で、ゆきのは小さく呟いた。
「それでも、わたしは生き延びなければなりません」
 ボス戦のトドメにしては、気持ちよさげな声をあげて、ヴィジェは倒された。
 触手もしなびて、ほどけていく。
「どえすどすえ♪ ……あら、デザイナーさんたちの姿が消えていきますよ?」
 足場の揺れに、バスタオルの裾を押さえてメルセデスは、周囲を指差した。その彼女の姿も薄くなっている。
 テレジアや宮美ら、ディアボロスたちも順に堕落世界から消滅していった。
 頼人は、星奈を抱きかかえたまま、ふたり一緒に。
「そうか、僕たちの精神が、ウィーンの街角においてきた肉体に戻るんだな」
「ジンライくんも元に戻って良かったー☆」
 201回とまでは言わないが、けっこう頑張ったから。

『チェインパラドクス』(C)大丁/トミーウォーカー

 

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