電気牝牛のいるマルシェ(作者 大丁)
もとは、牛小屋だったらしい。
薄暗くて一方に細長い構造と、木製の柵が名残となっていたが、干し草や餌箱など、牛の世話をする道具類は見当たらなかった。
頑丈な横木に結わえ付けられた紐の先にあるのは、四つん這いの人間にはまった首輪だったのである。
虐げられ、抵抗する気力を失った者たち。
柵の傍らで、木箱に座った少年が、白衣の大人たちに笑いかける。
「元機械化ドイツ帝国の一般研究員のみなさん。ゾルダート改造に適した材料は、この中にあるかな?」
「監視者のオートマタ様、十分でございます。奥に設えた手術室で、さっそく改造にはいります」
大人たちは少年に、ペコペコと頭を下げる。
そして、首輪つきの人間たちを、柵から出した。
『断頭革命グランダルメ』行きのパラドクストレイン。彼の地は、情勢が大きく動いている。
「今回は、西暦1803年のほうのパリですわ」
ファビエヌ・ラボー(サキュバスの人形遣い・g03369)は、車内でそう案内する。
「ゾルダート秘密工場事件ですわね。パリの機械化が進み、市民はそれを受け入れているものの、反対派も少なくありません。オートマタのアヴァタール級が反対派を見つける仕掛けを施し、裏仕事を請け負う一般人に誘拐させたあと、元機械化ドイツ帝国の研究員に、脳を改造させています」
それらの活動を取り仕切っているのが、秘密工場。
さらわれたパリ市民は、クロノヴェーダの命令に忠実に従う兵士に作り替えられる、というわけだ。
案内人の指が、吊り革をつついた。
「工場は、牛小屋だった建物を利用しています。パリ市内ということで、おそらくは平凡な住居の中庭に建っているのでしょう。表通りからは見えず、予知でも場所の特定はできませんでした。そこで……」
黒手袋に包まれた指は、ひとつ手前の吊り革を揺らす。
「反対派を見つける仕掛けを逆に利用し、ディアボロスが囮となってさらわれることで、牛小屋に案内させます。どなたかが工場に入ってしまえば、残りの皆様は救援機動力で駆け付けられますからね。ここで、先に囚われていた一般人の首輪を破壊するなどして、脱出の手筈を整えることも可能ですわ」
さらに手前の吊り革へ。
「誘拐の現場は屋外の市場、いわゆるマルシェです。アヴァタール級オートマタ『奇妙な監視者』は、ブラウン管受像機型自動人形をつかって、人でごった返す広場を見張っています。そして、『電気牝牛』なる機械を研究者に披露させ、評価しなかった市民を、あとで請負人にさらわせるという魂胆です」
つまり、その電気製品にケチをつけるだけでいい。
吊り革は、もう一個さがった。
「『電気牝牛』が運ばれてくるまでは、マルシェでヴァカンスを楽しんでいただいて結構ですわ。食べ物や珍しい雑貨でいっぱいですし、見世物などもあったと記憶しています。というわけで……」
ファビエヌは、段取りを逆から説明したので、進行にしたがって吊り革を順番につついていく。
「ヴァカンス、囮作戦に脱出準備。続いて、護衛するトループス級『シュプールフート・クリーガー』がいますから全滅させてください。アヴァタール級を撃破すれば、秘密工場は自動で爆発します。『奇妙な監視者』は、先に説明した自動人形を、豆の木で操って攻撃してくる少年型ですわ」
工場の爆発によって、任務は完了だ。
「パリを支配する『不滅のネイ』は、凱旋門を要塞化して拠点としているようです。機械化を阻止していけば、きっと攻略の道筋がみえることでしょう」
そう言ってファビエヌは、ディアボロスたちを見送った。
「え~?! これが、『電気牝牛』だってぇ?」
噂をきいて、とある市場に出向いてきた中年の男性は、白衣の男たちに挟まれて立っている等身大の直方体に、目を丸くした。
たしかに、箱の上には牛の頭らしき作り物がのっているし、四本の足が垂れ下がったような絵も描いてある。中央には窪みがあって、ここに入れ物を置くらしい。牛の乳首に相当する。
「それにしたって、犬の芸みたいに立たせることはねえだろうよ」
「アンタ、文句があるなら、どいて!」
マグカップを持った女性が、中年男性を押しのけた。
『電気牝牛』を試したいらしい。
「ちぇっ! オレは、むこうでホンモノの牛乳売りから買うよ」
捨て台詞を残して場を離れた中年は、複数の男たちによって路地裏に連れ込まれた。
広場で喧嘩沙汰など珍しくもないので、だれも気に留めなかった。
市場は、パリのどの街区にも複数存在していて、時先案内されたマルシェにたどり着くまで、迷うことこそなかったものの、ディアボロスたちはすでに目移りしていた。
「まずはヴァカンス……。のんびりしていいんだね?」
そんな中、白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)は、なんだか落ち着かず、仲間へと確認せずにいられない。大空・啓介(航空突撃・g08650)は両手を掲げたあと、頭の後ろにやった。
「もちろん! どんな状況でもヴァカンスは楽しまないと損だよね! 現地に慣れるためにも散歩、散歩ー」
のんびりどころかうろちょろし、生鮮食品の並んだ棚のむこうに姿を消してしまった。
事件の起こる時間は判っているから、別行動でも構わない。ラウム・マルファス(研究者にして発明家・g00862)も、スマホのアラーム画面をチラと見せてから、広場に入っていく。
「ボクもブラブラ散策しながら、お買い物するヨ。お金は適当にアクセサリーでも持ち込んで、売ればいいカナ」
「はい、後でね……。現地に慣れる、か」
早苗は、辺りを見渡した。
石造りで、集合住宅みたいな建物がいびつな円形に取り囲んでいる。奥行きの深い構造で、住居と住居のあいだが隙間になり、この広場に入ってくるための路地になっていた。
手近には、野菜や果物、肉に魚といった食材を売る店が、木製の簡素な屋台として並んでいる。だが、その先は、衣料や雑貨や家具までが、ごちゃまぜになっているようだった。
なにより、市場全体が煙たい。
「一応は、地形を把握しておいたほうが良いかな?」
癖というか、依頼解決のための情報集めをしてしまう。『完全視界』を展開すると、煙たさは、その場で調理する屋台からの湯気と、何人かが持ち歩いている、ストーブのような箱からの炭火が原因だと判った。
「パイだよー。パイはいらんかねー」
「料理を温めながら売ってるんだ!」
見ていると、声をかけた客が、持参したバスケットに、ストーブ箱から出されたパイを入れてもらっている。
「おいしそう……。けど、問題となる『電気牝牛』は飲料品を出す機械のようだから、あまり食べたり飲んだりするのはやめておこう」
「プリン~。焼きプリンが、あっつあつ~」
軽めのお菓子をつまむくらいはいいだろう。声をかけると、手ぶらの早苗に、売り子は包みの布をサービスしてくれる。
「いいの?」
「物売りもねぇ。機械化された店舗の登場で、商売が難しくなってきてるのさ」
せっかくのお客を逃せなかったようだ。
プリンは、どちらかというと蒸しパンのような食べ物だった。ほくほくで、ちょっぴり汗ばむ。
新宿島のデパ地下のような市場を想像していた啓介は、これらの街並みも、屋台や物売りにも物珍しさを感じていた。
新聞紙を折りたたんだ袋に、たぶん焼き栗だと思われる木の実を入れて、練り歩いている。陶器を並べている屋台に出くわすと、マグカップをひとつ買った。
「あ、ホンモノの牛乳売りってあれっぽい。験担ぎだ、飲んでみよう」
牛二頭を連れて、ワゴンを押している女性がいた。
カップを手渡すと、にっこり笑って、本当にその場でしぼってくれる。
「うーん、美味しい、もう一杯!」
「はいよ!」
啓介の一気飲みに、女性はさらに気をよくした。今、一番人気のある見世物の場所を指差してくれる。
また注いでもらったマグカップを持って、ひとだかりの前に出ると、半裸の男がふたり、取っ組みあっていた。
「これ、見世物? 格闘試合? それとも喧嘩?」
興行師のような人物はおらず、見物料を払うようにはなっていない。そのかわり、人々はてんでに金を賭けているようだった。リング代わりの仕切りのロープも、そうした客たちが掴んでいるのだ。
「おっと、ごめんネ」
となりの人の金属製コップと陶器がぶつかって、軽く音をたてた。
「なんだ、ラウムかー」
「啓介だったのカ。いいものを探せたネ」
容器の牛乳はこぼれていない。ラウムのほうは空だった。
「お仕事の前に飲むわけにはいかないカラ。ホラ」
喧騒を逃れて裏路地に入ると、未開封のワインボトルを取りだす。
「美味しいお酒を探しててネ。やっぱりワインが多いナ。ウォッカとかウィスキー売ってる場所がないかと思って、呑むのが好きそうな風体の人を探したら、賭け試合の会場だったヨ」
瓶は一本ではなかった。
「スマホの収納魔法にしまってあるヨ。画面にスーって入ってくんだよネ、作ったのボクだけド、不思議」
あとは、オツマミが欲しいと言い、啓介の新聞包みの中身をたずねてくる。
同じ木の実の売り子を探していると、早苗が買っているところに出くわした。
こっそりと聞いた話だが、やはり昔ながらの路上販売は、少なくなっているらしい。『電気牝牛』がやってくると、客を取られるのだ。
機械化された珍しさを求める人もいるので、市場として不利益ばかりでもないようだ。炭火をやめて、現代でいうヒーター式にかえた物売りもいるという。
「……本当は心からゆっくり楽しめたらよかったんだけどね」
早苗は、調査報告をしながら、苦笑してみせた。
「ボクも聞いた感じ、『電気牝牛』は、コンビニにあるコーヒーマシンみたいなヤツかと思ったナ」
酒ばかりでなく、ラウムも情報を集めていた。啓介は、木の実をおかわりし、ディアボロスたちでかじる。
するうち、賭け試合が終わった場所に、白衣の男たちがやってきた。
「時間潰しも終わり。いよいよ、運ばれてくるのかー」
まだ布をかけられたそれの形状とサイズは、まるで自動販売機だった
テレジア・ローゼンタール(魔剣の騎士・g01612)がマルシェに到着したときには、『電気牝牛』はまだ準備中だった。
「休暇行きには乗り遅れましたか。気を取り直して任務ですね」
広場の真ん中で、白衣の男たちが、布をかぶった直方体の周りを行き来している。順番待ちの列をつくるのか、ロープを持った市民の姿もあった。
「なんや、自動販売機みたいにごっついんやな」
小声の評価は、一・百(気まぐれな狐・g04201)。ではなく、彼が契約しているジンが発したものらしい。
「じどうはんばいき……私の時代にはなかったものですが、新宿島で見たことがあります」
という、テレジアの返しに、本人はさらに小声だったからだ。
「……俺も……新宿島でなら……見た」
するうち、ほかのディアボロスも姿をあらわす。ラウム・マルファス(研究者にして発明家・g00862)は、やや顔をしかめた。
「機械を扱う身としては、酷評するのはちょっと申し訳ないケド。犠牲を出すわけにもいかナイ」
「それもなんだけど……」
白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)は、仲間たちに対して上目遣いになる。
「目立つように酷評するのは簡単かもだけど、周囲の人を巻き込まない方が良いかなぁ。誘拐されるのはディアボロスだけにしておきたいよね」
ああ、と同意の声がもれた。テレジアなどは、演説に一家言を持っているからなおさらだ。
「扇動してしまうと、多くの市民が誘拐の対象になってしまう危険はあります」
「ボク、嘘や演技は下手だから大丈夫カナ?」
自信なさそうになってくるラウム。
「じゃあ、こんな感じで囮になったら、OKかな?」
大空・啓介(航空突撃・g08650)は、マグカップ片手に提案をする。百も、広場中央を眺めながら、別のアプローチを示した。
覆いの布が取り去られて、牛の頭をのせた箱が公開されると、集まった人々のあいだに、百はいた。
「電気牝牛って……シュールな……」
『友達催眠』も使い、訝し気な反応をしている人をみつけて混ざっている。そうした市民が、なにか言おうとするたびに、静かにその先を告げるのだ。
「運ばなきゃならないとか……逆に面倒くさいな……」
確かに、と思った相手は、興味を失い立ち去っていく。
大騒ぎをするというより、機械のこまかな点を指摘して呟くようにした。
「こんなに大掛かりなのに……思っていたより……便利に感じない……」
実際に評価をしているのは百ひとり、という状況をつくったのだ。
依頼案内によれば、マルシェ全体をアヴァタール級の自動人形が監視しているはず。
小声の反対意見でも、敵の網にかかれると期待した。
牛乳を買う列は進んで、早苗の番が回ってくる。
『電気牝牛』の中央の窪みからは、確かに白い乳が注がれる。その場ですぐに啜って、首をかしげて研究者に話しかけた。
「これ、産地はどこなのですか?」
しかし、白衣の男は、あまり反応を返さない。
早苗のほうから『モブオーラ』をまとっていたからだ。見物人たちも、そのやり取りに注目することはなかった。
「あんまり味が良くないので、もう要らないです」
「……産地は、いま、この場で絞ったとおりですよ」
一拍遅れて対応する研究者に、飲みかけの牛乳を容器ごと押しつけた。
クロノヴェーダになら、トラブルと映るはずである。次の順番の中年女性は、早苗が手ぶらで立ち去ることに気がついていない。
その後が、ラウムだった。
「ボクにも一杯ちょーダイ」
そばで見る機械は、思ったよりも大型だ。ドイツの科学ならもう少しどうにかできそうな気がする。
わざと酷評はしたくないが、欠点については本心を黙ってもおけない。
「んー、金属味が酷いネ」
「カ、カップのせいではありませんか?」
白衣は言い返した。だが、ラウムの口はそんなものではない。
「これなら、普通の牛連れてきた方が良いんじゃナイ? 美味しいし、自分で歩くから連れてくのも楽だしサ。牛乳自体は結局牛から絞ったの入れてるだけでショ、劣化もするから身体にも良くないと思うヨ」
躊躇なく、酷評する。
聴かされる研究者の様子といえば、さっきまでの軽薄そうな営業スマイルから、なぜかより熱のこもった顔になっていた。
「パリの市民には理解が難しいかもしれん。『電気牝牛』とは、牛乳の缶にあらず。電気化された牝牛。すなわち、サイボーグなのだ」
もしかしたら、ラウムが知識に秀でていると感づいたのかもしれなかった。
機械化ドイツ帝国由来の単語が飛び出し、議論が発生しそうなタイミングで、啓介は叫ぶ。
「えー? これが電気牝牛?? なんか期待はーずれ」
見物の輪からはみ出して、ラウムたちに寄ってくる。
「確かに牛の頭っぽいのあるけど逆に趣味わるーい! これないと名乗れないみたいだし。絵も変、何で立ってんの。こんなのよりさっきまでの格闘試合の方がよっぽどおもしろーい!」
矢継ぎ早にしゃべったあと、市民たちを振り返った。
実は、研究者たちとのやり取りのあいだに、野次を飛ばそうとした男性がいた。
背格好から、予知にあった誘拐被害者のようだった。啓介は、先んじて代弁したのだ。男性は、何もいわずに首を振って、人垣から離れていく。
ひとまず、安心だ。
続いて、ラウムの金属製コップに顔を近づける。
「くんくん……飲料の臭いも微妙じゃない? 俺、さっきホンモノの牛乳売りから買った此方の牛乳の方がよっぽどいい匂いするしー」
これ見よがしにマグカップを掲げた。
「ゴクッゴクッ……味も美味しー! くっだらなー、時間を無駄にしちゃった。帰りにまた牛乳貰いにいこーっと」
あまりの勢いに、市民たちはポカンとして、良いとも悪いとも言えない様子だった。
「そ、それじゃあネ!」
ラウムもついでに退散する。ざわつく場の仕上げは、テレジアだ。
輪の後ろから、大声を出した。
「牛乳を売るだけなのになんとも大仰な。それに外観も良くない。牛を模すのは分かり易さのためとしても、デザインセンスがひどい」
挑発的な貶めなのだが、市民たちの様子を観察していたから、賛同者は残っていないと確信している。
「ただでさえ胡散臭い機械だというのに、この間の抜けた面では食欲も失せるというもの。こんな芸術性を欠片も感じられない機械をパリ市内に設置するだなんて、ぞっとしますね」
いわば、百と啓介がした仕事の結果確認だ。
白衣の男たちは、演説を無視して牛乳業者の顔に戻り、列の先頭にいた市民を呼び込んだ。残りの見物人たちも、電気牝牛に注意を戻したから、彼らの中から攫われる者はいないであろう。
市場見物で、広場の構造をみていた早苗は、仲間たちに建物のあいだの狭い路地を教えていた。
各自、別々にそれらに入り込む。
百は、あっさりと抵抗なくならず者にさらわれ、啓介は普通の人レベルで悪漢相手に暴れてみせた。
テレジアを羽交い絞めにした盗賊は、本来なら剣で簡単に薙ぎ払われてしまう実力差を知らない。
実行犯も一般人なので、早苗はモブオーラを忘れずに解除しておいた。
ラウムと言えば、人さらいの攻撃が当たる前に、スタン・ドローンからの電撃で自分から気絶する。
(「嘘や演技は下手だからネ。……ビリビリするヨ!」)
連れてこられたときは、顔に布を被せられていた。一・百(気まぐれな狐・g04201)は、耳をそばだてる。
「おい、四つん這いになれ!」
ならず者に怒鳴られ、素直に従う。
路地で捕まり、荷車らしきものに放り込まれてから、街の喧騒が遠のく時間、扉の開け閉めの回数、歩かされた床板と草地それぞれの距離、すべて数えていた。
ごそごそと布袋に手が突っ込まれて、金属の感触と、錠前の音が冷ややかにする。
(「首輪……首輪な……」)
よく、狐に変身して駆けまわっているが、さすがに首輪の経験はない。
(「特別な相手に束縛されるなら、悪くな……まぁ、こうゆうのは落ち着かないな……」)
などと、埒もない考えを巡らせていると、悪漢や盗賊たちの立ち去る気配がして、布が取り払われた。
「もー! もうちょっと丁寧に扱ってよー! というか、ここどこ!?」
大空・啓介(航空突撃・g08650)が、百のすぐ隣にいて、大声で文句をつけはじめる。ちょっと耳がキーンとなった。
情報どおり、薄暗い木造の建物で、自分たちは柵のなかにおり、首輪と紐で、横木に繋がれている。
同じようにして、数人の男女が並んでいた。
仲間のディアボロスもいるが、そのほかの市民は一様にうなだれている。
おそらくは、先に捕まった人たちだろう。
「えー、居心地わるーい。家に帰して、帰してよー!」
子供っぽくふるまって油断を誘う、啓介の芝居だ。柵の外から、囚人の布袋を外しているのは、ふたりの研究者だった。アヴァタール級はいないようだ。
「ハハハ。元気がいいですねぇ。でも、すぐに抵抗する気力などなくなりますよ。そらッ」
布袋を外すと、テレジア・ローゼンタール(魔剣の騎士・g01612)の顔が出てくる。
紅いフチの眼鏡から、研究者を無言で睨みかえした。
「ほう……。あなたでしたか」
市場で演説した娘であると、気付いたらしい。
「電気牝牛のデザインがどうこうと。なら、あなたの身体で手本になってもらおう」
目隠しに続いて、研究者はテレジアの着衣に手をかけた。
こうした虐待を通じて、囚人たちから抵抗の気力を奪ってきたのかもしれない。
「うー、ああ……」
啓介は、言葉を失った。
かのように、演じる。テレジアが、身ぐるみを剥がされ、ついには眼鏡と首輪だけの家畜扱いされても耐えているのは、時間かせぎだ。
脱出の算段をたてるため、ディアボロスは今のうちに状況をよく観察しておかなければならない。
白衣がふたりとも柵の内側にはいり、みずからの手で乳しぼりを行う。もちろん、何もでないのだが、左右を交互にしごかれると、突端は固くなってしまう。
その仕打ちも、啓介はよーく見る。
ふいに、白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)の背筋に悪寒が走った。
(「手本、乳しぼり、産地はこの場、……そして等身大の直方体!」)
まさか、電気牝牛も人間から作られるのでは。
乳房だけでなく、臀部がわにまでまわられて、突きだされたそこを弄られるうちに、テレジアにも推察が浮かんでくる。
(「改造の下拵えか……?」)
するうち、研究者のひとりが、呟いた。
「ああ、こうやって口実をつくってオッパイに触っていると、ドイツ帝国の秘密工場を思い出しますなぁ。あのころは、器具も充実していた。お前なんか、被検体のケツに……」
「言うな。ここはパリで、私たちの主人はオートマタ様だ。……もう、手術室の準備にはいろう」
ふたりは手を離し、柵をまたいで、元牛小屋からも出ていく。
百は、アイテムポケットから『紅玉姫(こうぎょくひめ)』、妖刀を取りだすと、横木と縄を断ち切った。
自分の首輪は嵌ったまま、立ち上がって一般人の拘束を解いてやる。テレジアをはじめ、ディアボロスたちもそれぞれ戒めを破ると、戦闘用の装備を整えた。
「お家に帰れますよ。あと少しがんばって」
早苗が『活性治癒』を施して、市民に体力を取り戻させる。啓介は、容態の軽そうな青年に目星をつけていたので、リーダー役を任せると言い含めた。
「彼ってばさ、テレジアのこと、喰いついて見る勇気あったもんね」
「え……。コホン。私たちは人間戦車や自動人形どもを倒してきます。そうすればここは崩壊するので、その隙に脱出を」
一瞬だけ、顔を赤らめたが、騎士は魔剣を携えると、毅然と指示した。百は水と軽食も取りだして人々を元気づけると、捕まりながら得た脱出路を語って聞かせる。
「みんななら、できる……から」
「ありがとう! いいところで知り合いに会えたよ」
友達催眠も忘れない。
解放した者たちと別れて、ディアボロスは奥に進んだ。隣の棟は石造りになっており、手前は倉庫でさらに奥へと通路が続いている。この辺りから鋼鉄製の機器が、壁や天井に備え付けられるようになっていた。
「見て、電気牝牛が並んでるよ」
『完全視界』を使いながら、早苗が倉庫の壁を指差した。また、嫌な予感がする。仲間たちは頷きあうと、等身大の直方体に近づき、『操作会得』を発揮した。
まぼろしの白衣姿が浮かびあがり、箱の前面を開ける方法がわかる。早苗は、眉間にしわをよせて、取っ手を引いた。
まず、ホッとしたのは、生きた人間が詰め込まれていたわけではなかった。代わりに、電気式の搾乳機が備えられていて、やはりどこかの牧場で牛乳を仕入れる必要があるようだ。
そのほかに、各種の操作をする隠しスイッチがあり、いわば奇術のようなシロモノだった。
「なーんだ、本当に見世物だったんだね。格闘試合よりつまらなーい」
啓介が、心から呆れた声を出すと、直方体とは別のところから機械音が響いてきた。
通路を向かってくる、『シュプールフート・クリーガー』のキャタピラだ。
改造工場を護衛するトループス級ゾルダートである。
ディアボロスたちは武器を抜きつつ、神妙な顔つきになった。
あれらは、実際に改造されてしまった例だ。もう、元の人間には戻せない。
自動人形が導入した機械化技術。テレジア・ローゼンタール(魔剣の騎士・g01612)は、眉間にしわを寄せた。
「その有り様では、最早、無念と思うことさえも出来まい」
頭と胴体こそ軍装した兵隊といった姿だが、両手は重機のようなハサミに代えられ、肩口の砲は直接背中から伸びている。
人間戦車が通路いっぱいの幅をとって乗り込んできた。白衣の男たちの姿は見えないが、おそらくはもっと先の部屋なのだろう。
白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)は、牛小屋の一般人たちへの守りも配慮し、いまいる倉庫での撃破を考える。ちらっと、テレジアに目配せしてから言った。
「あんなことを平然とする研究員たちも許せないけど、今はまだ追いかけられないね」
「うん? ……ああ」
女騎士が曖昧な返事をするあいだに、後方の扉から救援機動力による仲間が到着した。
アンネリーゼ・ゾンマーフェルト(シュタールプロフェート・g06305)だ。
「ここからは私も加勢します。何があったか知らないけど、帝国の忌まわしい遺産が相手なら、一機たりとも残しはしないわ」
『対ゾルダート電磁銃』を広域放電モードに構えて、後衛につく。
早苗に他意はなかったろうが、テレジアは咳払いをまたひとつ。
「コホン。……無為に長引かせる必要もない、速攻でケリを付ける」
大剣を振りかぶった。
壁沿いに並んだ見世物機械から離れた大空・啓介(航空突撃・g08650)は、石組みの壁に据えられた鋼鉄の箱型機械類も見渡した。
いびつに組み上がった印象を受ける。
「あの科学者の人達、生産性とか何も考えず作りたいの作ってたの? どーせ、こっちもインチキなんでしょ」
手近な機械を引っ張ると、運よく外れた。トループス級『シュプールフート・クリーガー』に向けて投げつける。
建設用ハサミに掴まれて、ダメージは与えられなかったが、啓介がひらめくには十分だった。
「そっかー。護衛する為の兵士なら、多少は発明品を攻撃するのを躊躇う事もあるんじゃない?」
『ストリートストライク』で、次々と壁の機器を外し、石畳の床にぶちまけたり、敵にまた投げつけてやったりする。入ってきたときにはガランとした倉庫だったものが、障害物だらけの雑然とした有様になってきた。
目論見どおりなのか、人間戦車は炸裂弾を発射してこない。
面白いほど壁から剥がれるので、啓介は笑った。
「主要な機能も微妙だったし……もしかして、腕悪い?」
思えば、『電気牝牛』と呼べるのは、搾乳機の部分くらいだった。その等身大の直方体のところまでキャタピラで回り込んできたクリーガーは、構築装置を展開する。
まさかの電気牝牛を横倒しにして、遮蔽物に変え始めた。
「それだって発明品だよね?! 本当に腕悪いよ、あの研究者!」
行動のチグハグさは、脳改造のせいかもしれない。直方体の陰に車体を隠しての曲射砲撃に、啓介は文句を言いつつも、バラまいた機器類に身を潜めた。
そこには、ラウム・マルファス(研究者にして発明家・g00862)もいた。
「どーモ、ありがトウ。こっそり観察してたんだヨ」
ちょうどいい物陰に、礼を言う。
「結構何度か戦ったタイプだけど、自動人形の技術でパワーアップとかは……してなさそうカナ」
二つ名どおりの研究者にして発明家である。
「下手に飛び出すとボクじゃ危ないからネ、怖いケド我慢ガマン」
ラウムたちが覗き見ているあいだにも、砲撃は続いていたが、むこうの遮蔽よりもこっちの物のほうが配置は良かったようだ。
啓介に言わせれば、適当に放っただけだから、良かったのは運で、直撃はひとつも喰らってない。
「視えたヨ」
やがて、ラウムは『万物解析』を済ませる。
「『Rewriter』の物質変換で攻撃するヨ。遮蔽物も敵の動力源も、まとめて空気に変換して倒そウ」
講義をしている最中にも、横倒しの牝牛に隠れていた一体が、側板に突っ伏すようにして機能停止した。
「おー……」
腕の良い研究者だ。啓介は感心した声をあげる。そこへ、アンネリーゼも潜り込んできた。
「ゾルダートは、耐えられなくなるころよ。まもなく、突進してくるわ」
レジスタンス諜報員も、遭遇経験ありだ。
またあの、キャタピラ音が響いてくる。遮蔽物をみずから乗り越え、人間戦車が轢き潰しにきた。
機器類が下敷きになってつぶれ、鋼鉄のケースから電線やコイル、真空ガラスが弾け出る。アンネリーゼは、敵の身体にも同じものが詰め込まれているのを知っている。
障害物越しに電磁銃の狙いをつけた。
「このままゾルダートとして生かされれば、望まぬ罪を重ね続ける。せめて、かつて人だったものとして、安らかに眠りなさい。『#電磁 #広域放電 #感電注意(シュプレンダー・ブリッツ)』!」
銃口から、扇状に人工稲妻が放たれる。
数体のシュプールフート・クリーガーが、効果範囲に巻き込まれ、焼けた匂いを漂わせた。
無限軌道は、しばらく空回りをしたあと、静かになる。
突進を続けるものは速度を増していったが、全力疾走に近づくにつれ、動きは単純になっていく。テレジアは、挙動を看破した。
「いかに無限軌道と言えども、突如地面が泥となり、強制的に速度が落ちれば、体勢を崩すのは必至」
『泥濘の地』を、突進が届く寸前に効かせた。
人間戦車は、片脚にあたる部位を、横に捻ったような姿勢になっている。
「斬り捨てる――!」
『斬殺の一閃(フェイタル・スラッシュ)』が、改造された頭部を護っていた鉄ヘルメットに振り下ろされた。
鈍重そうな大剣が、神速の技でもって股下まで断ち割り、ゾルダートは両足のキャタピラを回転させたまま、テレジアの左右に分かれて通り過ぎた。
散乱した鉄クズにぶつかって、それぞれがその同類となる。
ディアボロスたちは積まれたものを、敵にだけ障害物となるよう立ち回った。
「無限起動は厄介かもしれないけど、幸いこっちの残留効果で対応できそうだね」
早苗は、あえて姿を現して、残ったトループス級のあいだで舞うように戦う。
「地面の影響を免れない以上、突進力を削らせてもらおうか」
倉庫内は、小さな迷路のように道順ができていた。突破できないラインをひいていけば、クリーガーにとってさらに劣悪な環境となる。
「申し訳ないけど、もう勝負はついたね」
『偽る極楽鳥の舞』。早苗は、軽やかな舞いの動きに隠して、針を投擲する。
結局、『電気牝牛』が積み重なった壁際に、トループス級ゾルダートは追い詰められた。身体構造に、早苗の針がまわって全滅する。
やはり、哀れさを感じる姿だ。
そうした残骸をあとにして、ディアボロスたちは、奥へと続く通路をたどった。
次の扉を抜けると、マルシェとはまた違う、建物の背面どうしが円形に並んだ小さな広場となっていた。
住居の共同の中庭なのだ。
天井はないが、屋外に出たわけではなく、これもゾルダート秘密工場の一部である。
「ディアボロスは僕に任せて、凱旋門に合流しててよ!」
「はっ。ありがとうございます、監視者のオートマタ様」
一般研究員たちの声だけがした。
アヴァタール級が、彼らを逃がしたらしい。広場の中央に、ブラウン管受像機のはまった木箱を積み、その上に座る少年の姿があった。
配線の代わりに、豆の木のツルが木箱を繋いでいる。
「市場に牝牛を売りにいく途中、交換した豆から生えてきたのさ。……なんてね♪」
『奇妙な監視者』は、ディアボロスたちを見て、ニタリと笑った。
もっと小さな木箱は、ひとつずつが自動人形になっていた。
ラウム・マルファス(研究者にして発明家・g00862)は、興味深げに分析する。ツルにつながれた小型のものは、マルシェにも潜んでいたはずなのだが。
「この子、何を監視してるんダロ。メインは改造工場の方なのカナ?」
ディアボロスたちは、見咎められもせず、こうして牛小屋を脱出してきている。トループス級の撃破に続き、アヴァタール級の少年型オートマタも倒せれば、ゾルダート工場は自爆するはずだ。
「監視者は前線に出ない方が良いと思うんだけどナ」
スマホを操作し、ラウムも近接戦闘用ドローンを二機、召喚した。
白猫と黒猫。
コミカルな装飾が施されている。
「人のこと言えないケドネ」
最前で、ボスに相対していると、研究者はおどけた。
『奇妙な監視者』の笑いは、まだ消えない。
「僕が逃げ場を失っている、とでも思ってるの? はは、帰りの豆の木は用意してあるさ、それにね」
ツルが急激に茂り始めた。
地面に敷かれた石畳がめくれて、中庭じゅうに張り巡らされる。ディアボロスたちが構えた剣や銃器にまで絡みついた。
「君たちを動けなくさせることだってできるし、もっとびっくりするような奥の手だってあるんだ♪」
座っている特大ブラウン管の箱を叩いた。そして、少年がまた笑い声をあげかけたその時、すさまじい叫びが響いてくる。
「うおぉおおおいくぞいくぞぃいくぞおおぉおお!」
建物のひとつの扉が、丁番ごと外れて吹き飛ばされる。
剣から発した真空波によるもので、奥義『雪華(セッカ)』の使い手と、叫びの主は、庵泥芽・寿珠(白黒紅白・g03154)であった。
「クロノヴェーダぁぶっ殺すなら、ジュジュは風も追い越して駆けつけるぅぅぅうう!!」
二刀一対の妖刀が、ザクザクと植物を刈り取り、少年とつながっていた自動人形を、ほふっていく。
拘束されていた仲間たちは自由になった。
寿珠の気合いは、中庭を巡る。
豆の木を切る刃も増えた。フリッカ・ウルズ(立体蜘蛛蛾・g01122)の、オレンジ色の髪だ。
「今を駆け抜けるだけ! アタシの本気を見てなさい!」
頭のてっぺんから、蜘蛛の節足を思わせる形に地面まで伸び、その一本ごとに動いて、鋭利な刃となっている。
ツルに掴まりながら、切断もできるのだ。
「さあ、どう? アタシの『魔骸連刃』の威力!」
フリッカは、きれいになった石畳を両手で示し、髪をツインテールに戻す。寿珠のほうを見た。
なにやら、小型自動人形の撃破数を競ってでもいるかのようである。けれども、寿珠の口は応えない。
「ぶっっ殺っすぅぅうクゥロォオノベェェダァ!!」
腹の底からの叫びで忙しい。
デーモンイーターも、ぷいと顔をそらすと、蜘蛛型悪魔からうばった力を、また髪に宿らせた。
アヴァタール級は、中庭の真ん中で、周囲をディアボロスに押さえられる。次々とパラドクスを撃ち込まれるが、まだ余裕で反撃している。
「何人来てもいいさ、豆の木は、すぐに成長するんだから♪」
「フリッカちゃんたち、かけっこ速いよ」
扉のなくなった戸口から、小柄なサキュバスが入ってきた。リコレット・ルナリシア(藍色の君【泣き虫リコレット】・g00260)だ。
続いて、薄雪・灯子(赤い欺瞞の根・g00882)が、顔を出す。
「あ、あ、リコレットさん、なんだか企んでそうです。き、気をつけましょう」
あたふたとしながらも、敵の動向には、ちゃんと注意を払っている。
「――ありがとう。ボクもがんばってみるよ」
サキュバスは頷くと、マントを振るった。描かれた星と月が踊る。
「リピートオン――。開放します。さぁ、何処からでも掛かってきて!」
『リンカネイトフェイズ』、大きめの手鏡が現れ、リコレットに握られる。金属を磨いた聖なるそれは、邪悪なるもの、『監視者』の姿を映した。
「その鏡は……くうッ!?」
少年型オートマタが、はじめて表情を歪める。
反射した像が、リコレッタの力で、ゆがめられていたからだ。
「ボクの信じた奇跡のちから――」
相手を観念させるように、虚像をかざした。オートマタは眉間に皺をよせながら、片目を見開き、座っているブラウン管の箱を叩く。
「映し出す力か、おどろいたね。でも、僕だって持ってる」
ノイズしかなかった画面に、なにかが映る。
牛小屋の柵らしき室内で、白衣の研究員が女の子を捕まえているところだった。
「え――どういうことなの?」
リコレッタは驚き、鏡を持つ手を下げてしまう。『監視者』は、邪悪な笑顔に戻る。
「これが奥の手さ。元機械化ドイツ帝国の研究員たちが、人間の少女をどう扱うか、君たちはご存じのはずだよねぇ♪」
そう言って、ラウムたち囮になったディアボロスの面々を見渡した。
映像が本物なら、一般人を解放したものとは別の棟でのことらしい。
「んー、部下は手抜きで不満たらたらな感じだったケド、ボスなりに視るもの視てたんだネ」
ラウムは、先ほど指摘した監視の甘さを訂正する。
囚われている女の子の悲鳴が、テレビから漏れ聞こえてきた。
「ど、どうなさったのですか? え、やめて、……きゃああっ!」
フランス市民服に手がかかり、その下の意外に大き目な膨らみがまろび出てしまうかと危惧されたが、そんな事にはならなかった。
『誘惑の芳香』が発動して、研究員の力が抜けてしまう。
画面内の女性は、蘭田・みよ(甘言蜜語・g03972)。
リコレッタの驚きは、後ろにいたはずの彼女が、迷子になっていたからであった。
さっきまで戸口でびくついていた灯子が、姿勢をしゃんとし、頭をかきながら出てくる。
「もう……。みよは、めんどくさいです。自分を一般人だと思い込んでいるディアボロスなんて、わたしの過去が単純に思えてきますわ」
抑圧された衝動が、開放される。
灯子が心に溜め込んできたものは、物理的な破壊力を持つのだ。
ブラウン管は、みよが自力で首輪を壊しているところと、逃げ出す研究員の姿を映したのを最後に、破裂音をあげた。
上に座っていた少年は、背中側からひっくりかえって落ちる。
「うわああッ!」
「監視してても、節穴だったカナ?」
ラウムは、スマホを操作した。
奥の手などと勘違いしていたアヴァタール級に、同情するディアボロスはひとりもいない。丸腰の『監視者』に、パラドクスの連打が命中する。
「換装完了。さァ、行っておいデ」
白猫と黒猫のドローンが、ラウムの手を離れた。自立機構により、仕込まれた爆薬で加速しながら、ワンツーで自動人形にヒットする。
「マルシェの見世物、格闘試合ダヨ。『監視者』は覗いたことなかったカナ?」
「ぐ、ぐはあッ!」
白目をむいて倒れたあと、アヴァタール級オートマタは、奇妙な挙動で不具合を示し、だんだん動かなくなっていった。
やがて、周囲の建物から爆発が起こり始める。
「みんな、フライトドローンに乗ってネ。ここは天井がないから、逃げるのもカンタン」
ラウムが用意した一台ずつに全員が掴まると、1803年のパリから脱出したのだった。
『チェインパラドクス』(C)大丁/トミーウォーカー