亜人の訓練校で教わること(作者 大丁)
「ぺっぺっ……塩辛いニャ」
海岸に打ち上げられていたネコは、意識を取り戻すと唾を吐いた。
「ニャ~……。クフ王様はディアボロスに倒されてしまったのかニャン?」
ネコは二本足で立ち上がる。
『獣神王朝エジプト』から漂着したアヴァタール級エンネアドであった。
「お魚は好きだけど、海は嫌いだニャ。ここが、別のディヴィジョンだったら、別のクロノヴェーダが支配しているはず。もっと内陸を探索して、お世話になるニャ」
「『バステト・メル』様~!」
声をかけてきた集団は、魚面のエンネアドたち。
「おー。お前たちも流れ着いていたのか、良かったニャ。とりあえずその、おっきな魚を食わせろニャ」
「ですから、いつも申し上げているじゃありませんか。私らは魚なんか食べなくてもへーきなんですって」
トループス級、『ナイルの巨大魚使い』は、抱えていた大魚を後ろ手に隠す。ネコ型エンネアドは、ヒゲを撫でると口を尖らせた。
「こっちも言ってみただけ。儀式みたいなもんニャ。……人間の『信仰』も集めたい。この地のクロノヴェーダは、『信仰』を許してくれるといいのニャ~」
『蹂躙戦記イスカンダル』に根を下ろそうと、探索を行う意向がトループス級に伝えられ、エンネアドの一行は海岸を後にする。
新宿駅グランドターミナルに出現した新たなパラドクストレイン。
車内にて、ファビエヌ・ラボー(サキュバスの人形遣い・g03369)が時先案内している。
「ごきげんよう。この列車は、『蹂躙戦記イスカンダル』行きですわ。『獣神王朝エジプト奪還戦』が終わったところではありますが、さっそく、新ディヴィジョンでの依頼を行っていきましょう」
二体の操り人形を、お手伝いにして、情勢の説明に入る。
「『蹂躙戦記イスカンダル』は、オークやゴブリンなど、人間と動物が混じった亜人が支配している、一般人にとって過酷な場所のようです。その海岸に、マミーやエンエアドが流れ着きましたわ。この獣神王朝の残党を撃退しつつ、皆様には探索の手掛かりになりそうな情報を集めていただきます」
現代、すなわち最終人類史における当地の地図が示される。
「残党が漂着したのは、シナイ半島の、エジプトとイスラエルの国境付近にあたります。トループス級エンネアド『ナイルの巨大魚使い』、そしてアヴァタール級の『バステト・メル』は、現地のクロノヴェーダ勢力との合流を目指しているようです。庇護下にでも入るつもりなのでしょうか。行動としては、まず妥当かと。けれども……」
エンネアドたちが向かった先に、亜人の訓練校があるという。
「周辺地域の亜人は、戦争に根こそぎ動員されていて、残っているのは、戦力としては未熟な、訓練中の亜人だけのようです。エジプト勢力の残党を、亜人に合流させないように、皆様でトループス級、アヴァタール級を撃破してください」
依頼としては完了だが、予知によればディアボロスのほうが先に、訓練校に到着できる。
そこには、『氷槌の岩トロウル』という、全身を岩のような外皮で覆われた体高2.5m程の亜人(ディアドコイ)がいる。
ファビエヌが言うには、訓練校への潜入によって、岩トロウルから情報を得られる可能性があるらしい。相手の特徴で、判明している部分が読み上げられた。
「亜人は元から知能が低めな上に、訓練も終わっていない若い個体である。強い奴には絶対服従、嫌なら力をつけろ、頭で考えるな体で感じろ、といった教育がなされている上、社会経験や知識が圧倒的に劣っているので、そこに付けこむ隙があるだろう……ですって」
あとは、現場での工夫次第といったところか。
情報を得たあとは、撃破してかまわないが、放っておいたとしても、大勢に影響はない、と伝えられた。
ファビエヌはホームへと降り立つ。
「訓練生は、地域の情勢にも疎いようですから、彼ら自身についての話題がいいかもしれません。皆様が、イイコトを思いついて、持ち帰る情報をお待ちしておりますわ」
荒野に粗雑な壁を巡らせて、亜人の訓練校とされていた。
しかし今は、教える役目の成体がおらず、学びの施設には程遠い。数十体の岩トロウルがしているのは、食べることだけだ。
「うまい、うまい」
「これ、なくなったら、どうしよう。おかわりはいつ、くるのだろう」
「おまえ、アタマいいな。オレは、たべたらなくなるなんて、わからなかったぞ」
「おいおい。おまえはアタマが、わるすぎるだろ」
「もしかして、どっかに、もらいにいくのかもな」
「カベから、でたら、ダメなんだぞ」
「うまい、うまい」
倉庫らしき建物から、勝手に全部を持ちだして、車座になったまま、積み上がったそれに手を出している。
壁は大きめの引き戸になっていた。
月城・木綿紀(月城家三女の【裁縫】の魔術師・g00281)は、ガラリとあけて、訓練校の亜人(ディアドコイ)たちにむかって歩いていく。
「殺さず、分かりやすく倒せばいっか」
薄手の目隠し越しに、巨体が環状にそびえているのがわかる。座った岩トロウルでも、小柄な彼女との差は結構なものだ。
けれども、今回の依頼には軍服を纏い、木綿紀は戦う姿勢をみせていた。
食べ散らかしていた劣等生たちにさえ、氷の大槌に持ち替えさせる気迫だ。
「きっと、戦争あいてなんだぞ。オレは、たたかう」
「オレもだ」
「うまい、うまい」
「サンドぉ、クラッシュぅ!!」
氷槌の岩トロウルたちは、武器を地面に叩きつけた。
振動で、まだ食ってたやつの尻が浮いて、積み上がった食料がボロボロと崩れる。
そして、木綿紀の足元にも亀裂が走り、すっぽりと落ちこみそうな、割れ目がひらく。
革靴のかかとは、しかし宙に浮いていた。
『編み棒』の名をもつ双剣を操り、木綿紀は浮遊したまま、岩の巨体のあいだを動き回った。
「遅いよ、遅い」
何度も振り下ろされた槌は、軍服の天使をろくに捉えず、岩トロウルたちはバテしまう。
「あなたたちの負け、よね?」
一体の背中を蹴ってたおすと、首筋に編み棒の刃を立てた。
「ぐぅぅ。おまえ、つよいぞ……です」
亜人の訓練生は観念する。強者には従うよう、教育されているからか。
木綿紀は、実際には峰を当てているだけの刀をそのままに、仲間のディアボロスたちが訓練校に入ってくるのを待った。
やって来たのは、ウェアキャットのファランクスランサー。
「あなた達、食料を無駄にしないように」
エイレーネ・エピケフィシア(都市国家の守護者・g08936)は、使用人のような扮装をしていた。
「見張りが少し目を離すと好き放題する兵士など、余りにも愚かです」
お世話係のふりをするつもりだ。
だが、叱られているにも関わらず、岩トロウルたちのあいだには、安堵のような空気が流れだした。
「よかった。オレたちはまだ、ほんとーにはまけてない」
「戦争じゃなかったのか。これも訓練だ。ふぅ~」
「うま……いえ、ごはんは倉庫にもどす、です」
木綿紀の双剣に敗れたことを、ひどく気にしているようだ。
(「亜人の劣等生たちは、自分がいずれ儀式の贄にされると理解しているからでしょうか?」)
槍から『雷霆の痛撃(ケラヴノ・フティピマ)』の光を放ち、エイレーネは再度、威圧した。
「覚えていないのですか? 弱い亜人は寿命を迎える前に儀式の生け贄にされる。あなた達も今のままでは、どの道そうなります」
「ひぃい!」
大柄で、岩できたような人型が、頭を抱えて縮み上がった。このまま、鎌をかければ、情報をしゃべるかもしれない。
「何処でどんな恐ろしい儀式が行われるのか、口に出して思い返しなさい。そうすれば、少しは勤勉に学ぶ気になるでしょう」
ウェアキャットに言われて、亜人の訓練生はそろそろと頭をあげ、教えられたことを唱えようとしだした。
「え~と、オレたち亜人は、戦うために生まれた……」
「だからそのう、戦えなくなった奴は処分されるんだ。それが、儀式、なのか?」
「おそろしいけど、どこで? どんなだ?」
「それが嫌なら……、『強くなって戦い続けなければならない』!」
「あー! おまえ、いまの親父のまねっこか、うまいな!」
「うまい、うまい……いえ、もうふざけません。ごめんなさい」
『儀式』の具体的な詳細までは判らなかったが、その存在が訓練時に強く刷り込まれ、戦い続けることでしか生きられないという、亜人(ディアドコイ)の原動力になっているのは、間違いなさそうだ。
エイレーネが思案していると、岩トロウルたちの様子が、また変わってきた。そろそろバレるだろう。
『一般』のウェアキャットではないと。
「話が終わるまで、待っていました」
クロエ・アルニティコス(妖花の魔女・g08917)が、壁に背を預けて状況をみていたのは、亜人(ディアドコイ)と一緒の空間に居たくないからだった。
使用人の正体を訝しんだ岩トロウルたちは、また近づいてくるひとり、ビブリオマンサーらしき女の静かな剣幕に、もううろたえだす。
クロエを近寄らせないために、氷槌をかざし、冷気を起こそうとする者までいた。
「終わったようなので、次は私から用事を」
口調は、あくまで静かに。
押しのけるように、振った手からは魔力をおびた瘴気がこぼれる。
先走った岩トロウルの冷気は、クロエの放った気体に取り込まれ、槌ごと封じられるとともに、持ち上げていた太い腕も、たちまち萎えてしまう。
「あぐぅ、ハァハァハァ……」
固そうな唇が半開きになって、あえいでいた。
「私はお前たちの声は嫌いですが、悲鳴は別です。……芽吹け『カリュブディス・ネペンテス』」
掌の上で、瘴気を発しているのは種子。
それが急成長する。ウツボカズラは、さらに化け物じみた大きさとなった。
岩トロウルたちが、見上げるほどの。
「ですから、悲鳴は上げてもらっても即死してもらってもどちらでも構いません。全員死んでください」
蔓が、亜人の訓練生を捉えてはくびり、捕虫器の中の溶解液へ投げ込んでいく。
「くわれる……オレは、うまくない……」
「やっぱり、ほんとーにまけてた」
「え、これがそうなのか? これが儀式なのか? ちがうんじゃ、ぎゃああぁ……!」
最後に、ちゃぽんと水音がして、岩トロウルは片付いたようだ。
「良かったですね、美味しく食べてもらえて」
耳をそばだてていたクロエは、やっと満足そうに目を細める。
「『バステト・メル』様~!」
魚の女神ハトメヒトの加護を持つエンネアドは、荒野に建てられた壁の並びをみて、アヴァタール級へと報告に走った。
併せて、クフ王を討ったディアボロスが、ここにも出現したことを。
厄介になるはずの地にいた仇敵に対して、先に撃破してしまおうと、はぐれトループスがいっちょまえに沸き立っている。
引き戸の外に立っていたエイレーネ・エピケフィシア(都市国家の守護者・g08936)にしても、その光景をぽかんと眺めてしまうのだった。
「……ええと、人違いではないですか?」
与えられた情報には、『ナイルの巨大魚使い』とあった。
「亜人のような面構えですし、ナイルを標榜しておきながら手には地中海の美食代表・マグロ。本当にあれが獣神王朝の残党なのでしょうか?」
近づいてくる魚影を見て、ジズ・ユルドゥルム(砂上の轍・g02140)は、眉間と唇をぎゅっと寄せたような、無理に表現するなら、頭痛が痛い顔をしている。
「……輸出……されてしまったのか……あの胡乱な巨大魚とその使い手……」
言葉も無理に絞りだした。
「この世界の人々は、ただでさえ亜人の恐怖に心を乱されている。空飛ぶ淡水マグロとかいうワケわからん存在のせいで、これ以上彼らを混乱させたくない……」
なんとか、精神を集中させようとする。
エイレーネは、神護の長槍と輝盾を構え直し、敵トループスへと前進した。
「……ええい。悩むぐらいなら、仕留めてしまいましょう!」
6mまで伸びる魔術のサリッサと、ゴルゴンの生首が描かれたラウンドシールドだ。
敵は、得物と思われる巨大魚を、進軍の中途で股のあいだに挟むと、そのまま騎乗して飛び上がってくる。エイレーネは応じて、頭上を抑えられないうちに、自身も飛翔した。
魚の編隊とファランクスランサーが、空中で激突する直前、エンネアドがわは、騎乗生物の口から超高水圧の水鉄砲を発射する。
「耐えてみせましょう!」
神護の輝盾で水流をはじき、前へと押し立てる。だが、そこはかとなく生臭い。
「く、うう……。『嵐怒旋舞斬(イー・オリギ・ティス・カテイギダス)』! 刃の嵐の前に、散りなさい!』
エイレーネは、さらに加速すると、先頭の一体を撫で斬りにした。
槍の穂先は、魚の群れに逆行しながら、肉の抵抗もなく、次々とさばいていく。
通り抜けたあとの宙に散らばる、生魚の切り身がなければ、神聖な舞いを思わせるような、美しい手技であったろう。
生き残った巨大魚使いは、水鉄砲のつぎに小魚を吐きださせてきた。
一尾飛ぶと下に千尾。
その小魚も飛行して、料理されたぶんを補うかのように、群れをなす。
見上げたジズは、額を押さえて首を振った。
「早々に消え去ってもらおう」
『轍読み(ファロゥ・オン・サンズ)』を起動。
イスカンダルの地においても、わずかな砂粒の動きまでが感知される。
「以前水族館で見たイワシの群れ……」
心に思い浮かぶ映像が、未来予測の支えとなる。
「あれが空を泳ぎ刃となって向かってくるなら脅威だが、実体があれば切り裂くことができるだろう」
風の刃が撒かれた。
気流から、小魚だけでなく、使い手の動きも読み、撃破していく。
ジズまで到達した魚類は皆無だった。
そのかわり、辺り一面に切り身が落下して、やはり生臭いことにはなった。
「風よ、教えてくれてありがとう」
吹きさっていく気流に礼を言うと、エイレーネが反転してきて、そばに着地する。
トループス級エンネアド『ナイルの巨大魚使い』は、全滅した。
息をはくウェアキャットに、リターナーは声をかける。
「君、これが獣神王朝の残党なのかと問うていたな。……事実だ」
肯定し、げんなりとした。
「……別の改竄世界史へ来てまで、魚臭い風を浴びる羽目になるとは思わなかった」
しょんぼりしているのは、ボスのエンネアドもいっしょだ。
「お魚が、ぜんぶ消えたのニャ……」
二足歩行のネコが、猫背を直して顔をあげると、瞳孔が縦に細くなっている。
「おまえらディアボロスこそ、別のディヴィジョンへ来てまで、クロノヴェーダを食べ散らかすんじゃにゃあニャ!」
アヴァタール級『バステト・メル』の周囲に、魚面のトループスに代わって本物の猫が何匹も、召喚されてきた。
「飛び散る魚の切り身……」
荒涼たる砂漠の戦場へと、駆け付けてきたクロエ・アルニティコス(妖花の魔女・g08917)は、真顔でつぶやいた。
「なるほど? ここは水揚げ港でしたか」
敵は、ピクッと耳を前にむける。
「何を言ってるのニャー。海なんかどこにもにゃい」
「やあやあ猫ちゃん」
一里塚・燐寧(粉骨砕身リビングデッド・g04979)がニタリと笑い、エンネアドのことを、突っつきまわすようなしぐさで指差す。
「きみはナイルマグロ密輸罪で死刑だよぉ」
「ニャ?!」
ディアボロスふたりに、からかわれたと受け取ったのか、アヴァタール級『バステト・メル』は憤慨した。装飾のついた大鎌を、耳より高く担ぎ上げる。
「そっちが切り身になる番にゃあ!」
「まったく、よその国にトンチキなブツ持ち込むんじゃないの!」
燐寧の顔から笑みが消え、人差し指は『テンペスト・レイザー』、鎖ノコギリの起動トリガーに掛かっている。
小動物の群れへと駆けだした。
クロエは、クロッカスの球根を発芽させる。
「あまり見ない生き物ですが、かわいいですね、猫」
花の集まりが二方向に伸び、それぞれが獣の顔じみた輪郭をえていく。
「けれど、お前はそうでもありませんね。むしろ……」
砂漠に咲いた植物は、『オルトロス・クロッカス』により、ふたつの頭を持つ怪物となった。クロノヴェーダを噛むのに相応しい姿だ。エイレーネ・エピケフィシア(都市国家の守護者・g08936)も頷く。
「ええ、疑う余地なく分かりました」
『神護の長槍』の穂先は、トループスを撫で斬りにした嵐の動きから、まっすぐな道を照らす光に変化している。
「部下の死よりも気にかけるのは、おやつが無くなったことですか。愛らしい姿をしていようと、あなたの魂は醜い魔物の形をしている」
「後は貴方を倒して終い」
月城・木綿紀(月城家三女の【裁縫】の魔術師・g00281)は、目隠しの薄布ごしに、睨んでいた。
力を解放すると、亜人の訓練生を降参させた軍装が、青を基調とした巫女服に変わる。
手にしたお祓い棒は、長柄の武術に使えるほど、大きく伸びた。
槍と棍で直線的な突撃を試みる。
バステト・メルは、短い足でわずかに屈んだ。
「ネコに屈服するんだニャ」
掛け声に反応して、群れの動きが変わった。エイレーネの胸当てに爪でしがみ付く子猫。木綿紀の進路で丸まっている細い目をした数匹。
「くっ、敵の策と分かっていてもかわいらしい……!」
「視界を制限しているのに……踏みつぶしたらと思うと」
勢いをそがれてしまう。
それでも槍の使い手は、女神に祈りを捧げた。
「義憤の火よ、我が刃に宿りて道を照らせ。英雄たちの標となれ!」
光の刃が上方に伸び、エイレーネは子猫を振り落とす気後れに耐えて、ふたたび飛翔した。
ネコにかまけているあいだに、バステト・メルがそばまで跳躍してきたことに、そこで初めて気付いた。
とっさに、伸ばした槍で、鎌を絡めとる。
「にゃあーッ!」
「奮い立つ、正義の一閃(アペルギア・ディケオシニス)!」
エイレーネの首もとから、鎌の刃はわずかに逸れ、光の穂先がバステト・メルの胸飾りを突く。
「ふぅ、恐るべき技でした」
交差して、群れの反対側まで飛びきってから、やっと発した言葉だった。木綿紀、そして燐寧も、やはりネコに立ち往生させられている。
「ふつーの人達に力ずくで言うこと聞かせるんじゃなくて」
テンペスト・レイザーは唸りをあげるが、燐寧にむかって本体から投げられるナイフを斬り掃うのに、精一杯のようだ。
「望んで従うようにさせられる奴って、ある意味いちばんタチ悪いからさ」
燐寧は、途切れさせられる集中力を、神を偽った相手への思いでつなぎとめている。エイレーネも、長槍を構えなおした。
「エンネアドの存在は、確実に人心を惑わす──特にあなたは極めて危険です!」
かわいらしい死の罠に、また飛び込む。
昼寝したり、じゃれ合ったり。構ってもらおうとトコトコ近づいてくる。
「ネコのさばきを受けさせるニャ!」
バステト・メルは、目くらまし役へと指示を出した。
すると、その中の一匹が、首根っこを掴まれ、持ち上げられた。
「転翼変衣コード002! 『青釣巫女(セイチョウミコ)』!」
木綿紀の払棒から伸ばされた釣り糸だった。
引っかけられたネコが錘になって、振り回されている。そこへさらに周囲のネコが引っかけられ、三毛やクロの柄をした球が、大きくなっていくようだった。
円形の陣地が、木綿紀を中心として広げられる。目元は隠されているが、どこか吹っ切れた表情。
「罠なら、任せて」
巨大化したネコ玉が、バステト・メルの脳天を直撃した。投げかけのナイフが、肉球から離れて地面に散らばる。
「な、なんという、ネコさばきニャ……」
大きな目をくるくる回しているアヴァタール級へと、続く最後の道がクリアになった。
燐寧は躊躇なく、その距離を詰める。
「『屠竜技:急嵐の型(スレイヤーアーツ・ストームシーカー)』!」
残像を曳くほどの神速の踏み込みから放つ渾身の一閃。
ノコギリ刃が回転し、握り手に響く振動と、引き絞るトリガー。ふいに、抵抗感がなくなり、回転刃の先端が地面を削っていた。
「だいじょーぶだよぉ。痛いのは一瞬だからさぁ」
前傾姿勢になった燐寧が、上目遣いでバステト・メルを煽る。
ネコ型の偽神は、肩口から入って大腿部まで抜けた切れ目を押さえて、後ろ歩きする。
「こ、こ、この程度……ネコはすべてを見通す、のニャ」
まだ、小動物をけしかけようというのか。
けれども、燐寧の煽りは、今つけた傷に対するものだけではなかった。
ギリシャ神話の怪物『オルトロス』を象ったクロッカス花が、ふたつの頭で、エンネアドの背後から見下ろしていた。
クロエの周りの砂地は、粘り気をもったトラップ帯に変わっており、彼女の視線を塞ぐはずのネコが、貼り付けられている。
「知らなかったんですか?」
怪物の牙は、頭と腰のそれぞれに噛みついた。
「二足歩行の喋る獣というのは、この国の人間にとって愛玩対象ではないんですよ」
クロッカスのふたつの房が、容赦なく左右にひっぱると、ノコギリでひいたところを境にしてちぎれる。
「一つ賢くなりましたね。もう使う機会はないでしょうが」
エンネアドの残党が接触できるような、『蹂躙戦記』のクロノヴェーダもいない。
亜人訓練校での任務に参加したディアボロスたちは、ひとつところに集まる。新ディヴィジョンにおいて、まだまだ知らなければならないことが沢山あると、砂漠に思いを馳せる。
『チェインパラドクス』(C)大丁/トミーウォーカー