大丁の小噺

大丁です。読み方はタイテイが標準です。※大丁は、株式会社トミーウォーカーのPBWでマスター業務を行っています。ここで関連する告知を行うことはありますが、マスター契約時の規約により、ゲームに関するお問い合わせは受け付けられません。ご了承ください。

全文公開『めくったカードはアス・ドゥ・クール』

めくったカードはアス・ドゥ・クール(作者 大丁)

 酒場の若い主人は、開店前のカウンター内から、ホールを見渡した。
 18世紀中ごろのオーストリア。直接の破壊には合わなくとも、遠くに聞こえる戦争の余波は、うまくやった者に富をめぐむ時もあれば、地道な努力家をねぎらわない時もある。
 先代から引き継いだ店の経営は、おもに後者だった。
 ある時から、妻の様子が変わった。
 ガラの悪い男女を集め始め、過激なサービスや違法賭博、果ては決闘ショーなどを開くようになってしまった。
「なぁ、アグネス。こんなことはもう止めよう」
 厨房への戸口に声をかけると、黒いレザー地の衣装を着た妻が姿を現す。
「なにが?」
 胸のふくらみを大胆に見せ、慎み深さと無縁の格好に、夫であるティエリーは目を背けたくなったが、耐えた。
 気の弱さから、これまで何も言えなかったからだ。
「賭博の話だ。あと、決闘も。今に本当に死人がでちまう」
「……ふん。つまらない男」
 アグネスは、尻をふりながらホールに出ていき、テーブルに伏せられていたカード束を取った。
「わたしが、店の切り盛りをしてやったのに」
「いいや、違う。寂れていても僕らは幸せだったじゃないか!」
 まもなく、店がひらく。
 あのカードで賭博を行ない、訳のわからない連中が客を相手に淫らなことをはじめ、さらに負けた相手を決闘と称してホールの真ん中に立たせては、用心棒たちにいたぶらせるだろう。もう我慢できない。止めなければ。
 ティエリーの憤りは、アグネスの笑いで遮られた。
「ふふ。じゃあ、カードで決めるわ。……『アス・ドゥ・クール(ハートのエース)』、ね」
 小一時間して、決闘ショーは開催された。
 ホールで、いたぶられているのは、店の主人だった男。
 彼が殺されると、酒場は女主人のものとなり、アグネスの名は捨てられ、クロノス級淫魔『アスドゥ・クール』として、完全に覚醒する。

 新宿駅グランドターミナルに特別なパラドクストレインが現れた。
 時先案内人のファビエヌ・ラボー(サキュバス人形遣い・g03369)は車内で、クロノス級が活動していた過去の時代に向かい、決着をつけることが出来ると宣言した。
「それが叶えば、新たなアヴァタール級の出現を抑えられるだけでなく、敵ディヴィジョンを弱体化させられますわ」
 今回は、クロノス級淫魔『アスドゥ・クール』が、『断頭革命グランダルメ』の1804年からさらに半世紀前で覚醒するという最初の事件に介入できる。
「クロノス級に存在を奪われた者が、クロノヴェーダに覚醒してしまうのを止めることは出来ません。ですが、事件にかかわりのある、白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)様が、クロノスの中の魂に呼びかけ、さらに幸運が味方すれば、元の存在に戻ることもあるでしょう。ただし、覚醒したばかりとはいえ、クロノス級の戦闘力は侮れませんから、慎重に戦って撃破してくださいませ。戻せる場合も撃破は必要です。それが、依頼になります」

 ファビエヌは、吊り革をつついて、作戦の段取りを説明した。
「皆様が、現地につくと、そこは酒場のホールとなります。妻であるアグネスは、クロノス級淫魔が成り代わり、夫で店の主人・ティエリーの決闘ショーを楽しんでいます」
 吊り革の一番目が揺らされた。
「まず、決闘相手の『淫魔の剣舞団』を撃破してください。彼ら用心棒は、当時のヨーロッパにおける戦争の負傷者で、この場で淫魔に覚醒したばかりです。攻撃とともに励ましや慰めの言葉をかけてあげれば、撃破後に人間として生き残る可能性がありますわ。ティエリーを救出したあとですが、ホールから逃がすなどして安全を確保したいところですけれども、アグネスを戻すためにも、彼が必要です。クロノス撃破まで、守り通してください」
 二番目の吊り革。
「と言いますのも、白臼・早苗様は、ティエリーとアグネスのあいだに出来たお子さんの、子孫にあたるのです。先祖にむかって、声をかけてあげられます。すでに説明したとおり、クロノス級撃破後に人間に戻せるかを左右しますが、声掛けにしくじると、別の問題が発生してきます」
 二番目のむかいにある吊り革を握った。
「決闘ショーを見物している客も、その相手をしている男女も、淫魔になりかかっています。彼らがクロノヴェーダに襲われる危険は終始ありません。そのかわり、クロノス級への声掛けができないと、トループス級『フランク』に覚醒してしまうのですわ」
 うまく、声掛けが通じれば、『フランク』は出現しない、とむかいの吊り革から手を離した。
 そして、三番目を揺らすとともに、決着のあらましを伝える。
「淫魔『アスドゥ・クール』の撃破です。賭け事にからむパラドクスをつかってきます。夫婦がそろって生存できるか、わたくしは皆様に掛けますわ」

 吊り革をパラっとなでて、ファビエヌはホームに降りていく。
「手順が多く思えたかもしれませんが、到着してしまえば、戦闘してまたすぐ帰ってくる依頼になります。どうか、クロノスに歪められた歴史をイイコトに戻してあげてください。お気をつけて」

 カウンター内にいるのはクロノス級だった。ホールのテーブル席は壁側に寄せられ、歓声を上げる客たちと、その接待役らの影を、控えめの照明ランプがうつしだしている。
 淫魔に覚醒したばかりのアグネスは、ジョッキに飲み物を注ぎながら、中央で行われている決闘ショーを楽しんでいた。
 若い男ひとりを、淫魔の剣舞団たちがとりかこみ、踊りながら刃を振るっている。その彼、店の主人ティエリーのシャツには、前も後ろも血が滲んでいた。
 多勢に無勢でも、決闘であることに文句を言う客はいない。
 この堕落によって、ますます配下が増えるはず。アグネスの顔に邪悪な笑みが浮かんだとき、壮年の男性が剣舞団の輪の中に飛び込んできた。
「僕が、御主人の味方になるよ。決闘に、代理や助っ人はつきものだよね」
「あれは……!」
 クロノス級は、男性を凝視する。
 ショーを邪魔されたからではない。どこか、違う時空間から湧いてきた、異物であると感じられたのだ。ディアボロスとは知らずとも。
 ファジュン・ウィステリア(リターナーの神算軍師・g03194)は、陰陽符を両手に広げる。いっぽうで、トループス級たちは、演出の変更程度と受け取っていた。『戦場の踊娘』にのって、全身で剣を振り回してくる。
「大人しくしてもらえないかな? 猛毒だけど、我慢してもらうよ。……『スコルピオンスティング』!」
 陰陽符を、薄衣の女たちにバラ撒くファジュン。
 舞いが鈍るのを、クロノス級も確かに見た。

 決闘に割り込んでくる者が、ほかにもいる。ひとりは、女主人と同じ格好をしていた。
(「この服装でティエリーさんの前に立つのはちょっと申し訳ないけど……」)
 白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)は、血だらけの若者のそばへと、敵から庇うような位置まで近づいた。見れば、ティエリーのシャツには、陰陽符が貼り付いている。『活性治癒』が効き始めていた。
「ファジュンさんね。……私のぶんも重ねよう」
 針を取りだし、所定の位置に刺す。服の染みはそのままだが、傷口からの出血は止まった。
 若者から何か言われるまえに、早苗はトループス級『淫魔の剣舞団』のほうへと向き直る。この際、結構な面積にわたって肌が露わなことは置いておく。
(「まさか、私の引いてる血そのものが淫魔に乗っ取られかけてるって事……?」)
 お店のカウンターにいる、もうひとりの黒レザー女からの視線も感じたが、まずは目の前の決闘ショーを終わらせねばならない。
「他者を傷つける事の辛さをあなたたちは知っているはず、簒奪する行為に手を染めないで」
 剣舞が止まった。
 選んだ言葉は彼女たち、いや彼ら元兵士に響くようだ。早苗は、説得を続ける。
「奪い合うだけが人間じゃない、だから、人間であることを諦めないでほしい」
「……俺たち、は……戦った……」
 口だけがパクパクと動き、身体は再びうねりをもって、『魅惑の舞踏』をはじめた。今度は早苗の腕が、淫魔の魅了にかかって止まってしまいそうになるが、せいいっぱい抗って、『逸する一角獣の角』を放つ。
 輝く針が剣舞団に刺さると、ダンスは生命力を失い、やがて淫魔らを床に伏せさせる。
「簒奪……俺たちは、オーストリアの……」
「継承を……認めさせるために、戦争を……ううっ」
 倒れた身体が、おそらく元の姿であろう男性のものに変化していく。ディアボロスたちは、覚醒直後のトループス級から一般人を取り返したと確認し、アグネスに対して戦闘態勢をとった。
 投擲の構えのまま、早苗は宣言する。
「……ここに居るのは全員が人のはず、淫魔になんてさせやしないから」
「そういうあなたたちはクロノヴェーダの敵、なのね」
 アグネスは、伏せられたカード束に手を伸ばす。めくったカードはアス・ドゥ・クール。人差し指と中指のあいだに挟むと、自分の顔の前にかざした。
「わたしは、クロノス級の淫魔、『アスドゥ・クール』よ!」

 その名を聞き、白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)は、なおも食い下がった。
「いいえ、あなたは人間。どんな困難にも家族と共に立ち向かえる、アグネスという人間だよ」
 淫魔の片眉があがった。
 店を経営しているし、客の出入りや、声をかけた人間たちもいる。名前を知られているのは、不自然なことではない。
 しかし、クロノヴェーダは訝しんでいる様子だ。
「お前たちは……。いや、そこの、わたしと同じ格好をした娘は、どこから来たというの?」
ディアボロスのことを、少しでも理解しはじめたのかしら。そう、未来からよ」
 早苗の返答に、『アスドゥ・クール』はおののいた。
 信じているかは判らないが、おそらくクロノス級が察知したであろう異物感は、時を越えた者が放つに値する。
「私が本当はいつの生まれなのかは分からない。けど、確実に言えるのはあなたの遠い子孫だってこと」
 本来ならば、敵にディアボロスの素性を明かすのは危険が伴う。
 それをおしてでも判ってもらわなければならない。早苗が話かけているのは、アグネスなのだから。
「子孫、って事は、あなたにはまだ見ぬ家族と過ごす日々が待っている。今にどれだけ悲観したとしても、決して未来まで捨てるようなことはしないで」
 説得を受けるうちに、淫魔の表情は必死なものになり、早苗から視線をはずしてティエリーのほうを見た。
「アグネス……!」
 夫も、確信したようだ。ほんの一瞬とはいえ、『アスドゥ・クール』の瞳のなかに、妻の元の感情が残っているのを。
 若い夫婦だけでなく、早苗自身にも勇気が湧いてきた。
「もっと、自分の未来を信じてほしい」
「く……! だまれ、外から来た異物がいたとしても、世界ごと変えられるのがクロノヴェーダのはず。……覚醒せよ、わたしの配下たちよ!」
 アスドゥ・クールは、壁沿いのテーブル席を見渡して、号令した。
 だが、客も相手役も、不安げにざわつき、ともすれば席から離れようとしている。彼らがトループス級に変化しないということは、クロノス級の中にある覚醒前の人格に、早苗の声が届いたのかもしれない。
「お互いに手を伸ばせるのであれば、きっとその手は結ばれる」
 決着をつけるために、ディアボロスはパラドクスの構えをとった。

 クロノス級淫魔『アスドゥ・クール』は、店のカウンターを越えてくる。
「ルールを決めるのも、このわたし。『ボーダー・オブ・ルイン』!」
 パラドクスによって、ある種のフィールドを展開する。範囲に取り込まれた者は、互いに逃げる事を考えられない状態でのハイリスクな戦いを強制されるのだ。
 李・芳(白波の徒・g05689)は、『達人撃』の体勢をとったまま、指だけクイと自分を指した。
「構わないよ。あたしは殴るほうが得意さね」
「さあ、アルガ様、お仕事の時間でございますよ」
 テーブル席の暗い照明の中から給仕……というか、メイドさん風のピンク髪が立ち上がった。千結・つくし(員数外・g00339)だ。
「ふふ、もう甘えたい子はいませんでしたか?」
 客の相手をしていた一人が、つくしに呼ばれて振り返りつつ、男の頭を撫でた。
「ほら、いい子いい子♪ 『フランク』みたいな淫魔になっちゃダメよ」
「お、おう……?」
 この男も、アスドゥ・クールの配下にならなかったので訳が判っていない。最後に顎を人撫でして、相手役に化けていたアルガ・ナスガ(はみんなのママになりたい・g07567)はホール中央にむかう。
 抑え気味のランプ下で潜り込み、つくしと共に一般人のクロノヴェーダ覚醒に備えていたのだ。
 クロノス級の張るフィールドの中に、自ら踏み込んだ。
 芳は、先制の蹴りを放っている。
「相手が誰だろうと戦場に立つ以上は躊躇わないよ!」
「わたしはもうクロノヴェーダなの。人間扱いはしないで!」
 アグネスの人格から、淫魔に浸蝕された女は、指のカードで斬り裂きにくる。それでも、撃破さえすれば、助け出せる希望は残っているのだ。芳は、敵の露わな肌にも打撃を見舞った。
「戦争なんかの大局的な動きにゃ詳しくないけど、個々の戦闘ならそれなりに場数は踏んでるつもりだよ」
「なら、そこいらに転がってる兵隊と同じじゃない。これからのオーストリアを支配するのは、わたしたち淫魔だわ!」
 斬撃を伴う腕のふりを、一歩引いてかわす芳。
 確かに、床に倒れたままの一般人は邪魔だが、命に別状はないから、それも躊躇なく踏んづけてる。
「詳しくないって、言わなかったかい?」
 経験から繰り出す一撃で、芳はアスドゥ・クールの脇腹に拳をめり込ませた。
「グハッ……!」
 胸の膨らみは大きく上に跳ね、艶めかしい唇から唾液が一筋飛んだ。なぜだか、アルガがうっとりとした表情を見せる。
「今までよく頑張ってきたわね」
 敵であろうと労いたい、と普段から公言している。その上で引導を渡してあげたいらしい。
「今日はご主人に代わって、調理もしたんでしょお? 悪くなかったわ」
「アルガ様ったら、クロノヴェーダの作ったものをお召し上がりになりましたの?」
 つくしが、手で口元を押さえる。
「ええ。お礼に気持ちよくさせてあげます」
 桃色の風が、フィールドを満たす。
 魔力を宿したサキュバスの精神侵蝕だ。風に包まれた淫魔は、よりハイリスクな攻撃を選んでしまう。自らの滅びを厭わぬ瘴気だ。
「もっとも、アグネス様の手によるものと考えることもできますかしら。僕からも、浄化の手助けをさせていただきます。……Lights(光条)!」
 メイド服の少年は、指をひらいてかざした。
 店内に、昼間のような明かりが差してくる。
「Camera(投射)!」
 指示されるままに、つくしの眼前へと光は弾丸の形に加工され、並んでいく。
「――Action(穿て)!」
 天使の権能は、高速で射出され、淫魔の身体を穿った。自らのルールによって、避けもしなかった。
 そののち、アスドゥ・クールは呻き声をあげ、闘争心を煽るフィールドは破れて、解除される。近接戦闘への縛りは、つくしやアルガには効力が薄かったようだ。
 初めから頓着せずに、芳はまた殴りにいく。

 白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)は、指を突き付けた。
「世界ってのは、人の繋がりが作るもの。あなたが変えられる世界なんて、もう存在しない!」
 追い打ちのような言葉を、クロノス級淫魔『アスドゥ・クール』は否定する。
「いいえ。あなたの言う通り、世界が人の繋がりで出来ているなら、その繋ぐものとは、人の欲望。博打で身を滅ぼす者が絶えないのは、それが世界を支えているからだわ!」
 賭博場の支配者は、束を宙に投げてばら撒いた。『ダズル・カード』、その中の1枚に瞬時に身を隠してから時間差で攻撃してくるつもりだ。
 双短戟『騰蛟昇竜』を左右の手に一対、激しく回転させる陳・桂菓(如蚩尤・g02534)。
「どのトランプに隠れたのか見切るのが困難なら……」
 陳の身体ごと疾風のような超高速になる。
「トランプのことごとくを斬り捨ててしまえばいいだけの話!」
 『烈飄瞬襲撃(レッピョウシュンシュウゲキ)』の連続攻撃をもって全てのカードに戟の刃を見舞い、切断する。
「速度と手数で勝てなければ、逆にこちらが隙を突かれてしまうだろうが、そこは私自身のスピードを信じるしかない。蹴散らす!」
 クロノス級は、隠れる場を失ったところで、いったん退いた。敵の姿をとらえた桂菓が、回転の勢いのまま蹴りを入れて弱らせようとしたが、追いすがることはできなかった。
 そのかわり、足先の勢いが時の流れさえも急加速させる。
 後ろ宙返りしてきた淫魔の着地を狙い、早苗は、相手の片足を踏みつけて、自分の片足ごと針で床板に縫い付ける。
 『紐づく宿木の孔』だ。
 貫いているのは、目に見えぬ繋がり。早苗は、息がかかるくらいの距離で挑発した。
「どうする? もう片方の足まで固定する?」
「そうさせてもらうわ。『チキン・デスゲーム』よ!」
 アスドゥ・クールは、相手の攻撃を敢えて受ける事で、それを再現した攻撃を放つことが出来るのだ。
 同じ衣装を着た二人が、重ねた足も、ひいた足も、それぞれを床に縫い付けた。早苗が、超接近状態の格闘に秀でているとは、聞いたことがない。相手の博打にのったのかと仲間たちは訝しんだが、桂菓はすぐに早苗の意図を察した。
「私たちは、ディアボロスだろう?」
 インセクティアの無双武人のはなった蹴りで、空間に変化が生じている。時間流はふたつぶん重なるのだ。
「そう。あなた自身の能力で、あなたには逃げ場はない!」
 互いの戦闘法をコピーしあうパラドクスがぶつかり合っていた。
 僅かでも手数のある側が競り勝てる。
「この針はただの針じゃない。相手の力を吸い上げる効果を持ってる。そして、アグネスさんがあなたを体から追い出そうとする今なら、あなたそのものを体から吸い上げることだってできるはず」
「なんですって?!」
 淫魔の翼が干からびていく。
 尻尾が萎え、角は削れていった。
 かわって早苗の姿態を支える黒の生地は、伸びて頼りなく、より細くなる。
「私があなたと同じ服装をしてたのは、きっとあなたの全てを私の物にする為。淫魔の咎、全部吸いつくすよ!」
「あああ、ああああッ!」
 宙をもがく、クロノス級の指からハートのエースがはらりと落ちた。
 『アスドゥ・クール』に発現していた異種族的な特徴はすっかり無くなり、いかがわしげな衣装も消えた。
 桂菓は、息をつく。
「軽々しく博打なんぞ打たんよ。勝つべくして勝つのが兵法というものだ」
 そして、ディアボロスの仲間とともに、早苗の肩を支えてやる。宿敵相手とは言え、その身を顧みない、荒業だった。アグネスの傍らには、もうティエリーが寄り添っている。血染めにはなったが、シャツを脱いで掛けてやっていた。
 彼の口ぶりでは、彼女の意識はあるようだ。
 しかし、声も音も、急速に褪せて聞こえなくなる。クロノス級が滅び、酒場を含む小世界が崩壊しはじめたのだ。
「誰かの中に、きっと……」
 うわごとのように呟く早苗を連れて、仲間たちは帰路につく。

『チェインパラドクス』(C)大丁/トミーウォーカー

 

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