大丁の小噺

大丁です。読み方はタイテイが標準です。※大丁は、株式会社トミーウォーカーのPBWでマスター業務を行っています。ここで関連する告知を行うことはありますが、マスター契約時の規約により、ゲームに関するお問い合わせは受け付けられません。ご了承ください。

全文公開『オペラ教室からの逃走』

オペラ教室からの逃走(作者 大丁) 

 もはや執念めいたものを感じさせる。
 今日も、城壁に寄り集まった人々が、掲げられた淫魔絵画にむかってあらん限りの芸を披露していた。
 淫魔学園への入学試験だ。
 オーストリア各地の街々で、コンテストへの入賞や評判をとった者たち。遍歴と鍛錬の終着地は城壁のむこう。大淫魔都市ウィーンである。
 壁外で生活しながら、試験会場との往復の日々。
 時には故郷での栄光を思い出すこともある。
「あー。審査員に褒められたのが、俺の絶頂期だったんかなぁ」
「諦めきれないわ。いまさら、町に帰ったってしょうがないもの」
「よし、次は私の番だ。ららら~♪」
 しかし、彼ら受験生は知らない。
 合格して絵画のなかへ導かれた芸術家たちであっても、学園での切磋琢磨が繰り返される。
 すぐにウィーンの市内に住めるわけではないのだ。

 ディアボロスたちの挑戦も続いている。
 新宿駅グランドターミナルのホームのひとつには、時空間移動の列車、パラドクストレインが到着し、車内で時先案内人の説明を受けていた。
ごきげんよう。ファビエヌ・ラボー(サキュバス人形遣い・g03369)ですわ」
 座席のあいだを歩きながら、黒手袋が窓枠を示す。
「芸術家淫魔たちを新たに生み出す学園がウィーンにあります。この列車は、覚醒させられそうになっている生徒を助けだす任務を帯びております」
 指の動きは、城壁の淫魔絵画を表わしているらしい。

「皆様にも、試験を受けていただいて、絵画内の淫魔学園に入学していただきますわ」
 人形遣いは、ジョスとジュリの二体を操って、窓枠の前で踊らせた。
 あるいは歌ったり、絵を描く仕草をしたり。
 ジャンルは問わない。芸術力を爆発させて、認められたものは、絵に吸い込まれる。
 窓に張り付いた人形たちは、絵画内の学園風世界に再出現した。
 という、寸劇が行われた。
「すでに取り込まれている先輩の芸術家たちと交流してくださいませ。信用を得ることができれば、『特別授業』に参加できるようになります」
 ファビエヌは以後も、人形劇を通じて、依頼の段取りを伝える。
 その動きの中には、すでに成功させた依頼報告を参考にしたものも含まれる。
「『特別授業』は、ジェネラル級淫魔『獄彩のバーバラ』が執り行います。どうやら、参加する先輩芸術家は、各地のオペラコンテストの入賞者で、今回の授業も歌劇場の舞台を使うようですわ」
 生徒たちの身体は、オペラ授業の開始とともに、トループス級淫魔『コンステラシオン・ルージュ』へと覚醒が始まってしまう。
 そして、変化の起こらないディアボロスに気がつき、変わりかけのまま襲ってくる。
 彼らを救うには、心に訴えかける言葉が必要だ。
 戦いを避けながらか、ある程度応戦しながらか。芸術家たちを説得してから撃破すれば、覚醒を阻止できる。
「ジェネラル級淫魔は、淫魔絵画への仕掛けによって、その場で倒すことはかないません。淫魔は去るので学園は崩壊をはじめます。皆様も、芸術家たちを守って劇場から逃走なさってください」
 絵画から戻った人形が、床に着地したところで、寸劇は終わった。

「淫魔学園をつぶしていけば、大淫魔都市内部に入り込むことも出来るようになるかもしれません。わたくしからの説明は以上です。イイコトになるよう、祈ってますわ」
 ファビエヌと人形たちはホームに降り、列車は出発した。

 板張りの練習室で、ぴったり目の服を着た3人の男女は、浮かない様子だった。
「入学してから時間がたったが、『特別授業』とやらには、なかなか声がかからないな」
 背の高い男性が、舞踏を中断して天井を仰いだ。
 それを見て、豊かな体型の女性も、肩を落とした。
「ええ。実質的な卒業試験と噂されているわ。真にウィーンへと招かれるために必要なのだともね」
「あーあ、練習を続けているのに、なんでかな。前より下手になっちゃったのかな」
 小柄な少女は、座り込む。すると男性は、はっと息をのんだ。
「初心にかえるべきなのかもしれない。俺が町で評価されたのは、愛を囁く自作の詩だった」
「私は……声の高さと衣装だった気がするわ」
 女性は、みずからの膨らみに手をおく。少女はちょっと口を尖らせる。
「へーえ。出身地が違うと、褒められるとこも違うのね。アタシは、なんだっけ。そういえば練習につきあってくれた夫人はどうしてるかな」
 また、ぴょんと立ち上がる。
 望郷の念とともに、やる気も取り戻したようだ。

 陽の傾きが大きくなってきた。
 このまま黄昏時を迎えては、今日も合格者をだせずに入学試験が終わることになる。
 沈黙する淫魔絵画を見上げて、芸術家たちは焦りだした。カンバスの前に割り込んでシチューの湯気をたて、踊りの最中に不協和音を奏でる。
 互いの妨害も厭わない。
「フフフフ……」
 アミリアス・ヴェルザンディ(【自称】天才科学者・g01902)は、白衣の袖を口元にあてて笑った。
「いつ見ても、人間同士のギスギスした関係には興味深いものがある」
「ほ、ほんと……。リ、リア充淫魔の開くコンテストに出向いたけども、踊らされる一般人ときたら、ね」
 肩をすくめ、眉根を寄せる、不惑・明日法(放送禁止・g02378)。
「私のつくったスーパー分厚いお菓子でぶっちぎり! アヴァタール級も口説き落として……」
「ほらほら、明日法さんは、お話まで盛らないのよ。いまは、合格に全力を尽くそう?」
 白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)は、しかし、街のコンテストに思い出すところもあった。
「たしか、あの時もオペラだったな」
 高音域が好きな淫魔だった。
 それはそれ、これはこれ。アミリアスが指摘したように、一般人たちは足の引っ張り合いで、かえって勝利が遠のいている。
 もちろん、自分たちディアボロスも含めて、入学の権利を奪い合う関係にあるのだが、同じこの場所に集った縁もあるのではないか。
「人は、出会いと別れを一期一会に繰り返す。それは、まるで……」
 ドナウ川の青さに、夕焼けのさす風景が浮かんできた。
 早苗が心をまかせると、その唇から自然と歌が紡がれる。アカペラのまま、絵画に向かって進みゆく。紺色のロングスカートのドレスも、イメージにぴったりだった。
 周囲では、芸術家たちの起こす喧騒がとぎれない。
 調子の出てきた仲間のサポートに、天才アミリアスはホロパソコンのキーボードを叩いた。
「丁度、使いたい発明品もあることだし、明日法。君はオタ芸は得意かい?」
「はぁッ? それと非リア充とを混同しないでもらおうか! ……何をすればいいの?」
 ペンライトにしか見えないアイテムが、サブアームから渡された。
 歌の雰囲気にあわせて、ふたりでゆっくりと振りながら、芸術家たちのカオスを整理する。
「あ~あ~♪」
 時には、通りすぎた街々を顧みることもあるだろう。
 時には、未来の知人に想い馳せることもあるだろう。
 いつのまにか、受験生たちは、早苗の歌に聞き惚れていた。
「う……、うう……」
 明日法は加えて、ホロパソコンの光にネットの友を思い出し、いつか彼女イナイ歴の途切れる日がくるだろうかと涙ぐんで、情けない表情をつくった。
「そこの者たちは合格だヨ! 今日は以上!」
 通知はあっけなく、ディアボロスはひとつのユニット扱いになって、淫魔絵画への転送がはじまる。
 残された人々は消沈することなく、挑戦する勇気を得ていた。早苗の置き土産だ。
「フフフフ。明日から本気だす、いいじゃないか」
 アミリアスは、また白衣の袖を口元にやった。その姿も、学園へと消える。

 入学してすぐ、白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)たちは、予知にあった練習室を探り当てることができた。
 ソプラノのアリアが廊下まで聞こえている。
 独唱のあとに続けて早苗は、自分も高音域を響かせながら部屋への扉を開いた。
 案の定、板張りの室内では豊かな体型の女性が仲間の前で歌っており、入ってきたディアボロスたちに目を丸くした。
(「止めないで、そのまま」)
 と、早苗は身振りで伝える。こっそり、『友達催眠』も潜ませて。
 ふたつのパートは一緒になり、斉唱に転じた。
 歌いきると、双方のグループから拍手が送られる。女性は何かが吹っ切れた様子だ。
「高音に納得できたのは久しぶり! あなたが引っ張ってくれたおかげよ」
「私のほうこそ、ありがとね。……特別授業を目指して練習を?」
 彼女らが打ち解けるにつれて、芸術家たちもみな、ディアボロスを受け入れた。
 聞けば、いま取り組んでいるのはオペラの一曲で、女王が勇者に悪の大蛇討伐を命じる、という場面らしい。
「大蛇……だと?」
 丸眼鏡の奥からのぞく、鋭い眼光。カドレクス・フェニカルス(ベドグレインの魔人・g03110)の知識欲が跳ね上がる。
「俺は、対竜魔術師だ。その悪しき蛇とやらも、我が仇敵の眷属と言えよう。ドラゴンはころす」
 自信たっぷりで拳を握るしぐさに、背の高い男性は惹かれたようだ。
「いい。とてもいい詩だ。なんだか、俺まで勝てる気がしてきた」
 勝利の凱歌の二段重ねである。
「女王さまかぁ。ボクは女帝の経験ならあるよ。参考になるかな」
 アンジェリー・ビーティリィ(インセクティアの航空突撃兵・g00570)が胸をはると、小柄な少女のほうが口をあけた。
「体型は申し分ないけど、男の子みたいな喋りかたね。かわいい」
 役作りの面でもアンジェリーに興味を持つ。
「ねーえ、アタシの練習にも付き合ってよ。勇者に道案内する少年役なんだ」
 床に転がっていた半ズボンを手に取ってみせてくる。
 こうして練習室での交流が始まり、3日が過ぎた。カドレクスはディアボロスの仲間に首尾をたずねる。
「バーバラの特別授業とやらには参加できそうか」
「ボク、練習は上手くなったよ。ゲイジュツセイは、どうだろう?」
「アンジェリーの心配はもっともだけど。きっと内実は、バーバラに気に入られるかどうかで誘いが決まるんじゃないかな」
 早苗は、ソプラノの女性との相談で決めた衣装、うんと開いた自身の胸元を見下ろした。
 予想は的中し、歌劇場を使った特別授業へと誘われる。
 舞台のあるフロアは、楽屋や演出装置を備えた地上階よりも、数段高い。裏手であっても、柱一本たりとて装飾の豪華さに抜かりがなく、並んで通路を歩きながらアンジェリーは、満足した。
「ボクの宮殿を思い出すよ」
 構造もよく把握しておく。
「逃げ出すときには、落下耐性が役にたつかもだし、早苗が言ってたように、オペラ教室の舞台上は、バーバラにとっての後宮、ハーレムみたいなもんだね」
 男女が誘われているが、誰も彼もどこか耽美さを感じさせる。
「よく来たネ。さぁ、芸術を爆発させてヨ!」
 絵の具まみれの作業着をひるがえし、ジェネラル級淫魔が出迎えた。
 一般人の役者たち。長身の男性も豊かな体型の女性も、半ズボンの少女までもが、くるくると回りながら、『獄彩のバーバラ』に引き寄せられていく。
 その過程で、着衣の丈は短くなり、襟ぐりはますます広がった。
 『コンステラシオン・ルージュ』への変異が始まっている。
 ディアボロスたちも、次の行動を開始した。

「フィンク、引き留めておくなぁん」
 下手(しもて)の舞台袖からミィナ・セレイユ(夢蛍・g07038)が『照明』を焚いた。
 スフィンクスに命じ、広げた翼から光を放たせる。舞台装置のものよりも、はるかに明るい。灯油と日光の違いは歴然だ。
 上手(かみて)の淫魔に引き寄せられていた生徒たちは、舞台の中央あたりで歩みを止めた。
 その場で回っている。
 獄彩のバーバラはポカンとしたあと、上機嫌になった。
 「誰がそんな機材を持ってたの? 美しさが引き立ってる。それはそれでいいネ」
 男女にかかわらず、紅い扇情的な衣装に変わっていく姿を、頷きながら眺めている。ジェネラル級が認めたことで、ミィナは一般人の足止めに成功した。
 そして、眩しさは別のものを隠す役にもたつ。
 白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)は、光が生み出す影をたどり、トループスの成りかけを追い越して、淫魔のそばへと達した。
「あまり時間が無さそう。でも、バーバラと接触するチャンスは限られてる。ここは賭けに打って出るしかないか……!」
 敵の前にパッと飛び出し、ターンをきめてから頭を垂れた。
「一目見た時からお力になりたいと思っていました」
 胸の大きさと、用意した衣装の露出度は、淫魔の配下にふさわしいもののはずだ。
 谷間を強調しながら、グイグイと寄った。
「ぜひとも私をあなたの右腕にしてください。『目標』を果たすのに十分な、戦力増強を担ってみせます」
「陛下の戦にキミごときが?」
 白ビキニの淫魔は、目線はちゃっかり早苗の膨らみに落としながら、蔑んだ口調で言い放った。
「ちゃんと変異してないじゃん。単位すらあげられないヨ!」
 取り入れば、もっと情報を引っ張れるかとわずかばかりの期待もあった。それに、淫魔絵画内では撃破ができず、いつも去られてばかりなのも、赦せない。
 バーバラは、舞台中央をグイと指差す。
「あの子たちのほうが役にたちそうだから……アレ?」
 いつの間にか、変異していない者たちが、なにやら接触を図っている。
 ミィナとフィンクの照明が、生徒たちを直接照らしていて、サティニフィア・ネイバーライト(スゴ腕情報屋・g00008)が、アンジェリーと共に、半ズボンの少女に語りかけていた。
 淫魔から話を聞こうとしても埒が明かないと悟ったものの、バーバラの相手をしていたぶん、今度は自分が陽動になったと、早苗は安堵した。
 敵の仕掛けを破るには、皆のところに持ちかえって相談でもしなければならなさそうだ。いま、この舞台上でがんばってる味方は、芸術家たちの説得に集中している。
「あんた、勇者の道案内なんだろ。そのカッコはなんだい、役を間違えてんじゃねぇの?」
 サティニフィアは、わざとガラの悪いよそおいをした。
 いや、下町っ子なのは確かだけど。
 スゴ腕情報屋というのも伊達ではなく、芸術家たちの悩みやポリシーも、この3日間でよく調べてあった。
「ほら、ここにいるアンジェリーから習ったろ? 『ボク』って言ってみようぜ」
「ボク……はっ、アタシどうしたんだっけ。うーわ、オッパイがデカくなってるぅ」
 意識を取り戻した少女だが、身体の自由はきかない。
 笛型の武器で、ディアボロスたちを攻撃してきた。けれども、説得の通じた相手なら、撃破で覚醒を止められる。
 舞台の上は、言葉と技とが入り乱れた。

 背景を描いた幕が波打つ。風に乗って飛翔するソラス・マルファス(呪詛大剣・g00968)だ。大剣をふりかぶり、着地と同時に淫魔の成り損ないを両断した。
「全員を無事に逃がしてやらねぇとな。そら、一人目だぜ」
「あ、ありがとー!」
 『コンステラシオン・ルージュ』の姿から戻った少女は、礼を言ったものの、動揺は隠せない。
 自分で触って、胸のサイズを確認している。
 ソラスは、先ほどの斬撃の重さが嘘みたいに軽やかな手つきで、小さな肩を下手(しもて)へと押し出した。
「あんたの出番まで、もうちょい待っててくれ」
「うん! ……みんなをお願い!」
 半ズボンは、舞台袖に引っ込む。
 上手(かみて)ではそれを、『獄彩のバーバラ』が惜しそうに唇を噛んで見ていた。白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)はわざとその視界に割り込み、冗談めかして宣言する。
「私を選ばなかったことを後悔させるね」
「なんだって?! キミは……」
 ようやく、バーバラが関心を寄せた時には、早苗の姿形は、変異中のトループス級に混じり、舞台中央まで遠のいていた。
 ここで釣られて追わなかったのは、さすがジェネラル級が持つ審美眼である。
 もう、逃げる構図を描いているのだ。
 大崎・朔太郎(若返りサキュバスアイドル・g04652)ら、ディアボロスたちも、役者たちを助けることに注力していた。
「アイドルだって演技の勉強はしてますからね。オペラなら……」
 手近な『コンステラシオン・ルージュ』に伝える。ダンスと歌唱で。
「君の武器は何? 役者としての情熱と魂のありかは?」
「いい。詩が……」
 キャミソールドレスを纏った華奢な身体が、悩ましげに反り返った。
 その腰を支えて朔太郎は、そらんじた。
「僕の大事な人よ。神に僕達の愛をお見せしましょう」
 『恋人演技(ファンサービス)』を発動させ、本気の恋に挑む。
 芸術家たちを説得するには、やはり創造性が必要なのか。まごついて、キョロキョロする沢間・ミライ(time conductor・g03184)だ。
 学園内でも、入学試験と同じようなことを繰り返さないといけないなんて。
「そうですっ! ファビエヌさんは確か……」
 イイコトになるよう祈っている、と言った。
 ならば、ミライにとってのイイコトを思い描き、祈ったなら。
「……」
 目を閉じ、空を飛ぶ自分をイメージする。『創造の翼(クリエイトウイング)』、背に羽根が造形された。
「ミライにもできました! みなさん、本当にやりたかったコトを取り戻してくださいっ!」
 滑車や照明器具の吊ってある高さまで上昇すると、トループスたちに言葉を広める。
「鳥……、鳥売りの道化役」
「囚われの王女は」
 皆が口々に芝居を語り始めた。正気になった者を確認すると、ソラスが大剣を振るう。
「トドメは任せとけ! ミライ、もうひと吹きしてやる。舞い上がれ、『谷風(タニカゼ)』!」
 創造の翼は、心に響いたが、淫魔と化した身体は紅色の風を放ってくる。
 早苗は、『紅の淫夢』を見させられ、淫らな振付の舞を踊る。
「私たちが演じたかったのは、違うよね。ソプラノの女王の、アリアはもっと透き通った声だった」
 共に練習したワンシーンを、自由の利かない肉体と精神で演じようとする。
「答えは、あなたの中にあるよ……。扇がれる『鸚鵡の鏡(オウムノカガミ)』!」
 もう、ほとんど変異が完了していたが、相手があの豊かな体型の女性であると早苗には判っていた。
 精神のパラドクスが押し返す。
 ふたつのパートは再びぴったりと一緒になり、淫魔のドレスは剥がれ落ちる。
 朔太郎の恋も成就した。
「大事な人よ、元の姿に戻り給え」
 細くなっていた腰にずっしくとした厚みを感じ、抱いた腕の中で朔太郎と同じくらいの背丈まで大きくなった。
「いい。とてもいい詩だった。諸君らの魂を感じた……」
 長身の男性は身を起こそうとしてふらつく。芸術家たちのなかで、変異が最も長かったからかもしれない。
「よく、がんばりましたね」
 サキュバスのアイドルは、またしっかりと抱きとめた。
 ふたりの愛は、役の上でのことだったが、顔は近い。
 学園の支配者は望まぬフィナーレに負け惜しみを言った。
「見込み違いだったヨ。キミらまとめて、退学ッ!」

 舞台が、幕が、客席が振動し始める。
「また逃げられちゃうか……」
 白臼・早苗(深潭のアムネジェ・g00188)は、もはや慣れたふうで周囲を見渡した。今いる場所は、見た目は劇場だが、淫魔学園の中心部にある校舎の一種だ。
 生徒たちは、元の姿に戻ったとはいえ、舞台そでに固まって震えている。入ってきた側の壁はもう、瓦礫がつみかさなって通れそうにない。
 歴史の重みがあるようなデザインだったから、あの大げさな柱が崩れて塞いでしまったのだろう。
「本物じゃなくてただの絵なのにね」
 その淫魔絵画が、皆の夢を弄んでいる。早苗はまた唇を噛んだ。今度こそ、バーバラ不滅の仕組みを攻略したかった。
 悔しがるのは塵が降ってくる僅かのあいだのこと。
 バルコニー型に張り出した客席が崩落してくる。開いた大穴のその先に、別の校舎の壁面が見えて、早苗は脱出経路に定めた。
 なにより、今いる人たちの命には代えられない。
 抜け穴に向ける視線を横っちょから捉えただけで、大崎・朔太郎(若返りサキュバスアイドル・g04652)は、仲間の意図を察した。眉根をさげて笑顔で声をかける。
「さて、少数精鋭で一気に行きましたが、このまま全生還エンドに駆け抜けていきましょう」
 危機的状況においても、あえて軽くふるまうほうが人を勇気づけられることもある。
 アイドルを務めているならなおさら。
「このまま学園と運命を共にしたらダメですよ。皆で行きましょう!」
 すでに、『勝利の凱歌』は複数が積み上がっている。男性も女性も少女も、それから授業の直前にクラスメイトになった芸術家たちも、互いに支えあって立ち上がった。
「僕等が集まって、生まれた『Bravesブレーブス)』♪」
 朔太郎の歌声に、生徒たちは導かれる。確かに、歩いて渡るには勇気が必要そうな道。
「バーバラがこの絵画を放棄した以上、主がいないなら好きにさせてもらうよ」
 落下したバルコニーが、早苗によって石材となり、いびつな坂をつくっている。もちろん、外につながる大穴に登れるようにだ。
「いまは進んでいくしかない。朔太郎さん、みんなをお願い」
「さあ、怖がらないで♪」
 オペラを演じるのに、身体能力を高めてきた人たちが、ひとたび行動に出られたなら、建物の一階や二階くらいは乗り越えていける。
 大穴をくぐって、崩壊する淫魔学園から、全員が逃げおおせた。
 ディアボロスたちは、城壁外での無用な混乱を避けるため、練習室メンバーからそっと離れる。
「いつかはみんなも、本物のウィーンで才能を発揮してくれるといいな」
 物陰から、早苗がつぶやきかけると、朔太郎はまた笑って言った。
「ええ。みなさんに芽生えた勇気と希望で次にやるべき事が見つかりますように。ほらまあ、あれだけ人がいるなら劇団とかやってけそうじゃありませんか?」

『チェインパラドクス』(C)大丁/トミーウォーカー

 

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