大丁の小噺

大丁です。読み方はタイテイが標準です。※大丁は、株式会社トミーウォーカーのPBWでマスター業務を行っています。ここで関連する告知を行うことはありますが、マスター契約時の規約により、ゲームに関するお問い合わせは受け付けられません。ご了承ください。

全文公開『赤の大実験室』

赤の大実験室(作者 大丁)

 天井絵画は美しく、豪華なシャンデリアがいくつも設えられていた。
 部屋の壁は白い。薄浮彫の装飾がぐるりと囲んでいる。にもかかわらず、ソファなどの調度品は血のような真っ赤だ。
 そして、赤いドレスの少女たちが、くすくす笑いながら、腰かけていた。
 見上げているのは、シャンデリア。
 から、さらに吊り下げられた、逆さの人間たち。
 茨で足首を縛られ、両手も後ろに戒められている。この状態に長時間さらされた人体は、循環器に負荷がかかって最悪、死亡する。
「ほらほら、がんばんなさいよ」
「もう、頭に血がのぼっちゃった?」
「気絶したら、許さない」
 はやしたてるなか、少女のひとりが席から立ち、床から1mくらいの高さで左右に揺れている、青年男性の頭のところまで進み出る。
「わたくしたちが時間を割いて、観察してやってるのよ?」
 今度は青年の顔を見下ろし、言葉を降らせた。
「それとも、また靴先でも舐めたくて、わざと参ったフリをしてるの……」
 バレエのように脚をピンと伸ばしたまま、前に振りだす。
「かしらねぇッ!」
「モガァっ」
 赤い靴が、青年の口にねじ込まれた。

 ディアボロスたちの身体に、寒さがこたえることはないが、ドアを開け放たれたままの車内は、いささか気温が低かった。
 新宿駅グランドターミナルのホームは、屋根だけの吹きさらしだ。
「攻略旅団の提案により、『吸血ロマノフ王朝』のウクライナ方面を探索したところ、新たな大領地『吸血実験室』の存在が判明しましたわ」
 ファビエヌ・ラボー(サキュバス人形遣い・g03369)は、ドア横の車両中央に立ったまま、時先案内を行う。
「この大領地を支配するジェネラル級は『創造伯アレクセイ・K・トルストイ』で、一般人のヴァンパイアノーブル化を推し進めるために非道な実験を繰り返しているようです」
 実験は、アレクセイ公伯爵配下のアヴァタール級がそれぞれ管理し、ロマノフ各地から送られてきた一般人に施行しているらしい。
「皆様には、大領地に向かい、犠牲にされようとしている一般人たちの救出と、クロノヴェーダの撃破をお願いいたしますわ」

 現地の略図が示される。
「『吸血実験室』は、ウクライナ地域にあるようですが、その範囲は大領地にしては狭く、幾つかの実験施設が点在していると思われます。周囲に集落などは無く、一般人はすべて施設内の牢に囚われています。今回、向かってもらう実験室は、貴族の屋敷を改装したものとなり、牢は半地下の倉庫に鉄扉、鉄格子をはめた構造です」
 ここに入れられている人々は、まだヴァンパイアノーブル化していない。
 管理者のアヴァタール級、『少女愛ナボコフ』の撃破によって、施設が爆発するので、そのタイミングで脱出できるよう、鉄扉か鉄格子、あるいは鍵を無力化すればいいらしい。
「ただし、天井から逆さ吊りにされて、コウモリとの親和性をあげるという実験を何度も経験しています。その過程で、『人面コウモリ』へと変化している他の一般人の様子も目撃しているので、その恐怖からくる心の傷に、一定のケアは必要かもしれません」
 案内人は、唇を結んでから、続きを話す。
「屋敷の居間が、『赤の大実験室』と呼ばれ、トループス級『赤い靴の乙女』たちによって、逆さ吊り実験が行われている場所です。残念なことですが、皆様が突入したとき、すでに『人面コウモリ』化している一般人は、体はトループス級となってしまっており、助ける事は出来ません。呼びかけにより、意識を取り戻す可能性はあっても、本物のトループス級になる前に葬るのが、せめてもの手向けかと存じます」
 吊り革を指でつついて、ファビエヌは、段取りの確認をした。
 一番目は、半地下室で一般人脱出の手立てを整えること。二番目は、赤の大実験室に突入し、『赤い靴の乙女』を撃破すること。このトループス級は、実験に夢中でディアボロスの侵入に気がついておらず、こちらが先手をうてる。
 三番目が、『創造伯アレクセイ・K・トルストイ』がウプイリと呼んでいる実験体、『人面コウモリ』への対応だ。
「最後に、『少女愛ナボコフ』が、赤の実験室に乗り込んできますので撃破し、作戦を終了させてください」
 四つ目の吊り革が揺らされた。

 冷たい風の吹き抜けるプラットホームから、パラドクストレインの出発を見送るファビエヌ。
「救出した一般人は、ウクライナの人里まで逃れて、なんとか自活してくれることでしょう。既に、人面コウモリ化された一般人は、そうとはいきません。安らかな眠りを与えてあげてください。お願いいたしますわ」

 石組みの床で、与えられた毛布にくるまりながら、人々は震えていた。
「泣き叫んだとて、許されるわけもない」
「なんなんだ、あの女たちは。耐えていればいるほどちょっかいをかけてくる」
「勇敢そうだったあの若者も、ついにコウモリにされちまった!」
「ああ、何度も靴をかじらされていたっけな。目には抵抗の色があると、俺は希望をもったものだったが……」
 中年の男性が涙ぐみ、あとは言葉にならず、背を丸める。
 半地下の牢が寒いこともあるが、次にくる『実験』の順番を思ってである。

 白壁の屋敷を発見し、ディアボロスたちは枯れた木立に身をかくした。
 見た目は裕福そうな建物に、ルィツァーリ・ペルーンスィン(騎士道少年・g00996)は唇を噛む。
「ろくでもない実験をしているとは聞いていたが……まさか此処までとは……」
「まだ救える人々が残っているのは、不幸中の幸いだ。怪物へと成り果てる前に救わなければな」
 ロザーリヤ・ユスポヴァ(“蒐集卿”・g07355)が、少年の背に声をかけてやる。怒りによる肩の震えはいくぶん収まり、冷静になったようだ。
「うん。今迄倒してきた『棺輸巨狼』たちも、似たような非道のせいだとしたら……これ以上犠牲者は出す訳にはいかないからな」
 落ち着いた身のこなしで仲間を先導し、ルィツァーリは貴族の館に似た実験施設と、その周辺を探る。四条・塵斗(幽・g00002)が、指差した。
「半地下の倉庫は厨房に繋がっているようです」
 建物裏手に勝手口のような構造があるのでは、と分析する。
 はたして、塵斗の言葉どおり、潜入に使えそうな扉があった。ウツロ・ジャレット(無頼の道化・g02611)は感心したふうで、彼女にむかって笑いかける。喉と頬の傷跡が目立った。
「お前さん、特級厨師なんだってな。俺は、すぐに腹がへっちまうたちなんだ。任務後に得意料理でも食わせてくれよォ」
「はい」
 了解してくれたものの、返事そのものは素っ気ない。ウツロは、余計なおしゃべりを足す。
「ついでに、只今彼女募集中だぜ……」
「いいえ。……ですが、どちらかと言えば荒事は苦手ですので、そちらを頼めましたら」
 塵斗は扉へと、忍んでいった。
「見張りが巡回している」
 内部に侵入し、通路をすすむ途中で、ルィツァーリが知らせた。壁に張り付き、装飾品の陰に身を屈めた一行に、ウツロが『光学迷彩』を施す。
 万が一の際には手早く撃破するかと構えてもいたが、クロノヴェーダディアボロスたちに気付かなかったようだ。
「……これでいいかい? 俺は、通りすがりの切り裂き犯、なんでね」
 ウツロが笑うと、口端の裂けたような傷跡がなお目立った。
「特に問題ないと思いますが」
 塵斗もまた、真顔でこたえる。
 そのあと、口元に手を当てたので、ロザーリヤには、ひょっとしてウツロのジョークで塵斗が笑ったのかとも思えたが、本当の感情はよくわからなかった。
 それよりも、と下った階段のさきに鉄の扉を見つけて、精神を集中させる。
「旧ユスポフ家所蔵品目録:収蔵品512号……」
 曲刀を実体化させる。
 鉄扉は一刀両断、真っ二つとなった。
 音をたてないように支えながら、切れ目から入り込むと、そこは牢だ。毛布にくるまった一般人が、驚いた顔を見せている。
「静かに。大きな声を出せば、奴らに気付かれる。ぼく達はあなた方を助けに来た革命家の一団だ」
 ロザーリヤは、仲間をそう紹介した。
 中年男性が立ち上がり、他の者に対して、この人たちの話を聞こう、と身振りで伝えてくれた。ルィツァーリは、彼の目を見て、手を握ると、用意してきた小袋を持たせる。
 大きさの割に、疲弊を和らげてくれるだろう食料、飴だ。
 その一粒ずつが、一般人の手に渡るのを確かめ、同時に『活性治癒』も効かせた。
「此の非道を止め、奴等を、そして何れは今回の首魁トルストイを討ちます。耐えてきた貴方達の頑張りに報いる為にも!」
 小さくとも、糖分の多い飴のように、ルィツァーリの演説は、囚われの人々に希望を与えた。ロザーリヤからは、一番近い集落に目印をつけた地図が渡される。
「逃走経路を確認してくれ。それから……」
 新宿島から持ち込んだ携帯食料を取りだすと、塵斗に目配せし、『口福の伝道者』の発動を頼む。
「元気が出てきたなら、これを食べながらでも」
 ディアボロスが食事を摂ると、同じ食事が食器と共に複数出てくる残留効果だ。
「なら、喰う役は俺に任せてくれよ」
「はい」
 ウツロが口を開き、塵斗は効果だけ起こした。
 説明は、こう続く。
「我々はこれから実験室の管理者を殺すが、その時に屋敷の自爆装置が発動する。そうなる前に、戦いの音が聞こえたら逃げるのだ」
 両断した扉を、見た目だけ閉じあわせる。
「敵は全てぼく達が引きつけておくから、安心してくれたまえ」
 ロザーリヤらは牢から出た。中年男性をはじめ、大きく頷く人々の表情が、印象に残った。

「彼等に約束した様に、此の非道を止める!」
 半地階から戻り、ルィツァーリ・ペルーンスィン(騎士道少年・g00996)は、決意を新たにした。あの、赤の大実験室となっている居間が、ここより上階のどこかにあるのだ。
 一階の廊下を経て、ディアボロスたちはカーペット敷きの階段に差し掛かった。ロザーリヤ・ユスポヴァ(“蒐集卿”・g07355)は、仲間に考えを打ち明ける。
「外道を狩る時に正々堂々とぶつかりあう必要もない」
 『コウモリ変身』を用いて先行し、なるべく目立たぬ経路で居間に入るというのだ。
「アタシはイイと思うわよ」
 劉・月(ホタルノヒカリ・g06902)が、賛成した。
「アナタってば、不意打ちも厭わず、って顔してるもの。それに牢の人たちに会う前からこの館、嫌な空気に満ちてたし。さっさと片付けましょ。拙速を尊ぶ、よ」
 赤毛から飛び出した、蛍型の触覚が揺れている。
「ロザーリヤさんが奇襲を仕掛けるなら、囮がいればよりやりやすくなるだろう」
 何度か頷きながら、ルィツァーリも動きを宣言する。
「俺は正面から行かせて貰う」
「じゃあ、私も。こっちも頑張ってくわね!」
 イリス・マーフィー(人間のリアライズペインター・g03321)が元気に答え、月もこのまま足で行くこととする。
 小さな姿になったロザーリヤは、吹き抜けをパタパタと上昇し、梁に彫られた装飾の隙間に消えた。
 堂々と廊下を歩きだすと、意外に警備の巡回には出くわさない。
 そのまま、居間に通じる扉の前まで来てしまった。ディアボロスのひとりが先導になって、引っ張られる感じになったのかも、とはイリスの言。
 ルィツァーリは、金ぴかに光るドアノブを掴むと、躊躇せず開け放った。
「一方的に蹂躙させて貰う!」
 戸口が吸い込んだかのように空気の流れが起こって、デーモンの少年は居間の高い天井に翼を広げる。
 シャンデリアの下に、赤いソファがぐるりと取り巻いていて、そこにヴァンパイアノーブルの少女たちが気だるげに腰かけ、あるいは寝そべっているのが見下ろせた。
 風とともに電撃が、内に秘めた魔力から放たれて、白壁の薄浮彫を破壊する。少女たち、トループス級『赤い靴の乙女』はそれだけで、うろたえる。
 月は、インセクティアの翅で跳躍し、ふんぞりかえっていたドレスのひとつに蹴りを叩きこんだ。
 『飛天流星脚』の衝撃が、クロノヴェーダの腹から背に抜け、ソファに縫い付ける。
「ぐ、ふぇあっ」
 奇声をあげ、手で宙をかく同胞のことなど放っておいて、赤い靴の乙女たちは無事だった者だけで立ち上がり、優雅な踊りを始めた。
 この舞踏の輪は、靴と同色の茨を生み出し、月とルィツァーリを包囲するためのものだ。
 まんまと、調度品から離れて背を見せたトループス級らに、変身を解除したロザーリヤが、『バットストーム』を放つ。
 オーラでできた無数のコウモリが、赤いドレスの首もとを裂いて喰いつく。
「一体でも多く、吸血し尽くしてやろう」
 ロザーリヤは宝玉を埋めた愛剣、『死せざる■■■■■』を抜くと、乙女が赤い靴を振りだして作った茨を、切断した。
「こんなもので、血を奪うつもりだったのだろう? 吸われる側になったのは、どんな気分だ?」
 ほとんどがカーペットに転がって呻いているなか、首の皮膚ごとコウモリを引きちぎったやつがいた。
 乙女は、血染めの手を口元にあてて、笑う。
「ほほほ。人間コウモリの実験体は、もうじき完成よ。あなたこそ、出来損ないのコウモリを使って挑んでくるなんて、のろまもいいところですわ」
 部屋に侵入したときからロザーリヤにも、シャンデリアからぶら下がっているものが見えていた。
 顔だけは、若い人間の面影を保ったままの、1m大のコウモリを。
 今また数瞬だけ、ディアボロスの視線がそちらにズレた隙を狙い、赤い靴の底に仕込まれた刃が、高々とあがった足とともに襲い来る。
 ガチン、と金属同士のぶつかる音が響いた。
 靴の凶器は折れて飛んだ。
 赤い靴の乙女がもう一体、鏡合わせのように蹴りを放っていた。
「間に合ったわ、ね!」
 イリスが、ペイントツールを何本も握って笑っている。
「服のヒラヒラがたくさんあって、描くの大変だったんだから。さずが貴族さま、夜会に着ていくのは、いいお召し物ね」
 嘲りでなく、褒めそやすと、『リアライズペイント』で複製された乙女は、クロノヴェーダにむかって二段目、三段目のキックを放つ。
 刃が折れた個体も、まだ息がある者も、実験体を観察するどころではないと、ようやく悟ったようだ。
 大実験室の成果を奪われないためか、むしろ部屋の中央を護るように布陣しなおした。
「ナ、ナボコフさまーっ!」
少女愛卿よ、襲撃です、助けてください」
「わたくし、死にたくありませんわ」
 戦うよりも、懇願に近くなってくる。
「お前達は彼等に慈悲をかけたか?」
 もちろん、ルィツァーリに付き合うつもりはない。
「ならば俺がお前らにかける慈悲等毛頭ない事も判るだろうに!」
 『双翼魔弾』が、部屋を駆け巡った。
「『赤い靴』の作者、アンデルセンデンマーク人だろう?」
 舞踏めいた最後の抵抗を見て、ロザーリヤは語りかけた。
 誘導された魔弾は、部屋の装飾を壊した雷撃にまぎれて飛んでくる。
「ならば、お前たちも北欧にいるべきではないかね」
 乙女は一体ずつ、魔力に侵され、くずおれていった。ロザーリヤの心も、しだいに彼女たちから離れていく。
「……いや、真にいるべき場所は地獄か」
 ディアボロスたちが見上げた先に、トループスもどきが数体、吊られている。

 雷撃の当たった天井画にヒビがはいり、粉のような破片がパラパラと落ちてきている。
 その微かな音が聞こえるほど静かなのに、ディアボロスたちは刻々と近づいてくる邪悪な唸りをやかましく感じていた。
 『赤の大実験室』で、トループスたちが倒されたと、管理者が気づいたらしい。
「時間はそれほど残されていないようだな……」
 ロザーリヤ・ユスポヴァ(“蒐集卿”・g07355)は、口に出して確認した。シャンデリアから垂れた蔦も、『赤い靴の乙女』の全滅によって緩まっている。結わえ付けられた逆さの影、1m大のコウモリたちが身じろぎしていた。
「人間だった……ねぇ」
 仲間にせかされているとしても、玖珂・駿斗(人間の一般学生・g02136)の抱えた重苦しさは、携帯式大型キャノン『アグニ』の砲口を、床に向けさせていた。
 ルィツァーリ・ペルーンスィン(騎士道少年・g00996)も首を振る。
「……奴等の拷問に苦しみ、人でなくされたのだ。其の絶望も悲しみも俺には慮る事しか出来ない」
 皆の心は、来るときから決まっていた。
 人面コウモリ『ウプイリ』に語りかけ、意識を戻してやったうえで、すみやかに殺すと。駿斗は、カラカラの喉から言葉をしぼりだす。
「こうなっちゃうとどうにもならない……ならせめて、恨む相手くらいは作ってやるか」
 砲身を持ち上げる。
 蔦は完全に切れて、被膜の羽ばたきが一斉に起こった。ロザーリヤは吸血マント、『星界の天幕』を翻してコウモリの噛みつきを避け、声をかける。
「ぼくは知っている。あなた方が望まずして怪物にされたことを。そして、今なお心を蝕まれ続けていることを」
 白い壁が、黒い翼に埋め尽くされていく。
「このままではいずれ、見知った人々にも牙を剥くようになってしまうはずだ」
 コウモリのシルエットのいくつかが、反応した。牙付きの顔面が、より人間らしいものへと変転してくる。
「そのような絶望を味わう前に、安らかな終わりを欲するなら……」
 ロザーリヤの言葉の先を、男性の顔がうながした。
「ぼくの手で、あなた方を葬ろう」
 白壁から黒色が剥がれて、カーペット敷きの床へと降りてくる。その数体は、首を垂れるようにして、人の言葉で喋った。
「わたしたちの望みです。どうか、殺してください」
 半分以上のトループスもどきは、飛び交っている。駿斗は叫んだ。
「どうした、ぼさっとしたまま終わる気か!」
 あえて、挑発的な態度をとる。
「死にたいやつも、理不尽を八つ当たりしたいやつも掛かってこい! お前らの敵はここにいるんだからなぁ!」
 逆さ吊りで改造された人々は、ディアボロスに対し、クロノヴェーダのような反応をみせた。すなわち、駿斗たちの、顔や首筋を狙って噛みついてきたのである。
 ルィツァーリの血がひとすじ飛び、正気でない人面をべったりと濡らした。
「だから此れは残酷な事なのかもしれない。俺の我儘かもしれない」
 まだ、逡巡していた撃竜騎士の少年は、キッと顔を上げる。
「其れでも貴方達に、奴等の思惑通りのウプイリではなく、人として逝って欲しいんだ」
 天井から急降下してくる相手に、彼も言葉を尽くした。
「幾らでも俺に其の怒りをぶつけてくれ」
 額にまた、傷ができる。頬にどろりとした感触を得ながら、ルィツァーリは、駿斗の動きに合わせ始めた。
 覚醒の難しそうな者たちを、一か所に集めるように誘導する。説得をしながら、甘んじて攻撃を受けるかたちで。
 抵抗を止めた人々に、ディアボロスはとどめを刺しにいった。
 ロザーリヤが『“蒐集卿”(ロード・ロザーリヤ・ザ・コレクター)』を発動すると、赤い調度品の居間は、彼女の特別な結界に描き変わった。
「輝かしい宝物庫の景色に眼を奪われながら、一瞬にして事切れるように」
 愛剣『死せざる■■■■■』を構える。
 宝玉と刀身の美しさを目の当たりにし、覚悟を決めた男性の表情は、しかし蒼白であった。
「ありがとう、死に、たくないッ!」
 一閃で済んだ。……はずだ。
 部屋の反対側で、駿斗にもその声は聞こえた。
「俺も、苦しまないように送ってやる」
 襲ってきていた怪物の姿は、仲間たちの協力で、ある程度の範囲に収まっている。
 普通に戦闘をしていたのでは、余分に苦痛を与えてしまうかもしれないからだ。
「最後の一人まで丁寧に、確実に。それが俺にしてやれる、ただ一つの弔いだ。焼き尽くせ、『流星爆撃弾(メテオダイブ)』!」
 キャノン砲『アグニ』が、砲弾を真上へと打ちあげる。
 ふいに、ディアボロスたちの血をつけたまま、その口元、頬、顔が正気に返ったように思えた。
 直後、砲弾がさく裂し、人面コウモリたちに降り注ぎ、焼く。
 燃える被膜と、なにか言っているような輪郭。
 ルィツァーリは、すぐに自分も『клинок Хорс(クッノホルス)』の詠唱に入る。持っているパラドクスのなかでは、最も早い。
「……我が故郷照らせし偉大なりし太陽神、病以て人を矢にて獣狩りし偉大なるホルス。彼等を苦しみから解放する為、御身が力を!」
 光の弾幕が、燃える流星に続いて降る。人の表情を見せていたものたちを、消し去った。
 残されたのは、ルィツァーリの額の生々しい出血跡。
「其の痛みと共に貴方達の存在を刻み……創造伯を倒してやる!」
 頷く、駿斗。はっきりとは判別できなかったが、犠牲者たちは最期に、家族の名を呼んでいたようだ。
「──腹立たしい」
 ロザーリヤは、愛剣をむき身のままにしている。
「この実験室の管理者、そして首魁のトルストイなる貴族もどき」
 怒りが、館を震わす。
「全て、無惨な燃え殻に変えてやろうでないか」

 ロビーの吹き抜けに出て、アヴァタール級のヴァンパイアノーブルは、中央の階段へと急いでいた。
「わたしの乙女たちに何かあったぞ。『赤の大実験室』に急がねば……。ハッ!」
 もっと近くに危険を感じて、飛びすさる。
 少女愛ナボコフは、玄関扉に背をつけるまで下がると、階段の踊り場を見上げた。見知らぬ貴婦人がいる。
「我は幸福と快楽をもたらすモノである」
 マリアベル・フィレンツァ(慈愛深きサキュバスの女王種・g09069)は、そう自己紹介した。
「幸福と快楽……。だと?」
 言葉を繰り返し、ナボコフは口のはしを歪める。
「いかにも、わたしは、美少女にそれらを求める。だが、おまえでは、どちらも満たすことなどできぬ。『ルージン・ディフェンス』よ、現れよ!」
 足元に血だまりができ、ロビーの大理石に広がっていった。
 赤黒い人型が十数体、液体の中から起き上がり、兵隊のように動き出す。階段を、最初だけ二段飛びしてマリアベルに掴みかかった。
 布地の裂ける音がする。
 血の兵たちが、婦人に乱暴をはたらいているように見える。
 禿頭のヴァンパイアノーブルは、満足そうに高説をたれた。
「『ニンフェット』には程遠い、大人の女ではないか。胸や腰によぶんな肉をつけおって。それに、上流階級のような服を着ていても、ロマノフの役には立つまい。いっそ剥ぎとって、無様な姿を枯れ木にでも吊るしてやる。凍えて死ね!」
 ガラス窓の外を指で示した。枝々には、雪が積もっていた。
「我は幸福と快楽をもたらすモノである」
 兵のあいだから、マリアベルの声が響く。
 手をあげていた人型が次々とくずおれていく。
 着衣に乱れはあるが、それは鋭利な刃が彼女の肉体から生えたためであった。
 切り刻まれた兵隊の身体が、1階の床まで転げ落ちてきて、血だまりに還った。

 サキュバスの妖気が、玄関ロビーにあふれ出す。
 マリアベル・フィレンツァ(慈愛深きサキュバスの女王種・g09069)は、ドレスの破れ目から突きだした、刃のひとつを握って引き抜く。
「我が肉体は豊穣を約束する母なる大地」
 手元で愛用の武器、『断罪の大戦斧』となる。
 階段を下って近づいてくるマリアベルに、アヴァタール級『少女愛ナボコフ』は、憎々しげに言った。
「だから好かぬのだ。豊満すぎる体つきめ。やはり、わたし自身の手で首から切り離してくれる。……むむっ!」
 ヴァンパイアノーブルは、視線を上にむけた。
 吹き抜けを取り囲むバルコニーに、次々と見知らぬ者たちが姿を現したのだ。
 『赤の大実験室』で、犠牲者を弔ったあとのディアボロスたちである。玖珂・駿斗(人間の一般学生・g02136)は、手すりから身を乗りだした。
「あんたが元凶か。……落とし前、付けさせてもらおうじゃないか」
 いまだ排熱しきらない、携帯式大型キャノン『アグニ』を抱えている。
 ルィツァーリ・ペルーンスィン(騎士道少年・g00996)は、つとめて冷ややかな声をだす。
「……漸く、此処の首魁に会えたな」
 雷鳴の弓を引き絞る。
 青龍偃月刀を振りかぶるのは、加奈氏・コウキ(妖一刀流皆伝・g04391)。
「この地にも、非道を繰り返すクロノヴェーダがいるか。その首、貰い受ける」
 3人が飛翔を発動し、欄干を踏み越える。
 ナボコフは、血のしたたりを増やして、チェス駒の騎士や僧侶を放った。憎しみの眼は彼らにも向けられる。
「さては、おまえらか? わたしの乙女たちに手を掛けたな。許さんぞ」
 身振りで駒を指揮すると、それは天井まで並ぶ窓に張り付いた。飛翔するディアボロスへ、立体的な布陣で対抗してくる。
 バルコニーを踊り場まで降りてきたもうひとり。
 愛剣『死せざる■■■■■』をたずさえた、ロザーリヤ・ユスポヴァ(“蒐集卿”・g07355)だ。
「お前がこの実験室の管理人かね?」
 声をかけられ、そちらにも駒を差し向けようとして、少女愛卿の動きが止まった。
「さよう、わたしこそが当館の主であります。……美しき『ニンフェット』」
 貴族は、急に礼儀正しくなる。
 ロザーリヤの年齢を推定し、容姿も気にいったようだ。
「そうか。つい先ほどまで、此処を隅々まで見学していたのだが……いやはや、滅多にお目にかかれない研究を見させてもらったよ」
「光栄ですな。ぜひ、もっとお近くに」
 伸ばした手から『カメラ・オブスクーラ』、闇のオーラを沸き上がらせる。ロザーリヤはそれを、剣で斬りはらった。
「──心よりの返礼として、恐るべき死をくれてやろう」
「できますかな。わたしが先に、墜としてごらんにいれますよ。盤遊戯は得意なので」
 すると、両者のあいだに、まばゆい光が割って入る。
「我が肉体におのれの杭を撃つ甲斐性も無きものよ、せめて灰となって我が大地の潤いとなるがよい」
 マリアベルの『祈り』が、十字架型の聖光を発したのだ。ヴァンパイアノーブルは、袖口で顔を覆うと、彼女への態度にもどって言った。
「またお前か。さきにクイーンを墜とせというか」
 魅了の視線を、半ば仕方なく向ける。マリアベルは、十字架の光を発しながら、徐々に引き寄せられてしまう。
 その隙に、ナボコフ自身は、無数の吸血コウモリに分身し、ロザーリヤを直接ねらいにいく。
「ふははは! チェックメイトだ!」
「キングでチェックはできないだろう」
 コウキが、窓枠の駒軍団を、文字通り真正面から引き受け、『戦覇横掃』にて薙ぎ払いながら降りてくるところだった。
「人々を脅かす絶対悪。貴様らは皆殺しだ」
 青龍偃月刀が、大将首を目指して突き進む。
 この相手に、力でのぶつかり合いは避けるべきと判断したのか、駒は盤上に散った。
「覚悟しろよ外道!」
 ルィツァーリの弓から誘導弾が放たれる。
 駒が退いたあとの窓ガラスを割り、魔力によって、枯れ木に積もった雪を吹き込ませた。
「貴様は全力で叩きのめす! もう二度と誰も貴様らに苦しめさせはしない! 騎士として絶対にだ!」
 チェス駒たちは、氷雪にさらされたせいなのか、動きが鈍ってくる。元は、血だまりだ。固まってしまったのかもしれない。
 悪魔の翼で飛翔しながら、ルィツァーリは本命の『双翼魔弾』をコウモリ群に放った。
 『戦覇横掃』の刃も届きはじめ、群体はナボコフの声で恨みごとを吐く。
「『ニンフェット』への僅かな距離を、どうあっても邪魔するのだな」
「距離が近いのは、お前のほうだ」
 駿斗は、駒兵のあいだを抜けて、すぐそばまで来ていた。
「得意とか言ってたのによぉ。慢心むき出しの攻めじゃこの程度だ。蝙蝠に化けて散開した所で間に合わねぇよ……!」
 すでに発射されていた砲弾が、『流星爆撃弾(メテオダイブ)』となって降り注ぐ。
「無念とか、弔いとか、そんな大層なもんじゃない」
 分身が集合し、焼けた匂いを発しながら、アヴァタール級のすがたが現れてきた。駿斗は、それを逃さず、砲口を向ける。
「お前が気に食わない、だから潰す。今、ここで……!」
「あぅ、あぐう。……トループスは、なにをしているのだぁ。わたしを護れぇ」
 少女愛ナボコフは、『赤い靴の乙女』を気遣うようなそぶりをみせていたのに、所詮は配下の扱いにすぎなかった。マリアベルは、もう興味がなくなったかのように、冷めた視線を送る。
 一般人の実験体であれば、いっそう粗雑にしてきただろう。なおも抵抗を続けるクロノヴェーダに、ディアボロスたちは己の怒りを再確認させられる。
 ロザーリヤは、敵の闇より尚濃い闇を生み出し、ナボコフの視界を奪った。
「み、見えない。わたしの、愛しの、美しい……」
 『ニンフェット』とやらへの寵愛も疑わしいものだ。あるいは、見えないのは幸いなのかもしれない。龍と悪魔が入り混じった魔人の如きネメシス形態に、変じていたからだ。
 龍頭を象った二振りの魔剣を握り、魔人のロザーリヤは『魔性契約『夜の来訪者』(デモニックパクト・デッドリーヴィジット)』を発動する。
「謹んで受け取りたまえ。これがお前の弄んだ、死だ」
 背後から双刃でX字に斬り裂かれ、赤の大実験室の管理人は、バラバラになって滅びた。
 館が鳴動を始める。
 コウキが、つぶやいた。
「最後は大爆発時の脱出だな」
 窓も玄関扉も、ルィツァーリの誘導弾で粉々だ。枯れ木の茂みまで走るのは、余裕だった。

『チェインパラドクス』(C)大丁/トミーウォーカー

 

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