大丁の小噺

大丁です。読み方はタイテイが標準です。※大丁は、株式会社トミーウォーカーのPBWでマスター業務を行っています。ここで関連する告知を行うことはありますが、マスター契約時の規約により、ゲームに関するお問い合わせは受け付けられません。ご了承ください。

全文公開『氷結令嬢は迷路でズルをする』

氷結令嬢は迷路でズルをする(作者 大丁)

 歴史を感じさせる調度品が並ぶ室内。氷結の令嬢『オリガ・アポーストル』は赤いソファに身体をうずめた。
「待っているだけなのも退屈よぉ。ねぇ、本国からの指示はないの?」
 配下は、『黄金騎士団』。
 金の鎧に赤の飾り紐や総を垂らしている。
「はッ、お嬢様。なんの連絡もないばかりか、援助物資も滞り、革命軍は立ち行かなくなっております」
 団長は、少女にペコペコしながら、厳つい顔に焦りをにじませた。
「そう……」
 オリガ嬢は関心なさそうにそっぽを向き、座面の上で90度まわった。背中と足裏で、ひじ掛けをギシギシ押している。
「ま、この本部は吹雪の迷宮に守られているから安全だけど……。おまえ、ちょっと迷宮の外に様子を見に行ってちょうだいよ」
「私がですか?!」
 凛々しい眉が、ハの字に下がった。
「道順を覚えるのは、けっこう大変なんですよ!」
 ハルバードの石突で床をコンコン叩き、鎧のかぎ爪をガチャガチャ言わせる。絶対服従のはずの騎士が、露骨に拒否しているが、指揮官は別に怒らない。
「あら、簡単じゃない。最初はわたしも楽しかったけど、すぐに飽きちゃったわ」
 ひじ掛けの間に収まりながら、胸元のカメラをいじる。
 騎士団長は、なおも不平を言った。
「お嬢様は迷路でズルするからです。氷の壁を支配したら迷宮をつくる意味ないじゃないですか!」
「ふふ。団長、いまのは面白かったわ」

 出現後のパラドクストレインは、時先案内人によって調査がなされる。
 『吸血ロマノフ王朝』行きと判明した車内で、ファビエヌ・ラボー(サキュバス人形遣い・g03369)が依頼を行っていた。
「『七曜の戦』を乗り越え、最終人類史に多くの大地を奪還する事に成功しましたわ」
 大きな勝利に、目を細める。
「ですが、わたくしたちディアボロスの戦いは、まだ終わりではございません。再び、ディヴィジョンに分割された世界で、虐げられる一般人を救い、大地を強奪したクロノヴェーダに復讐を果たしてまいりましょう」
 両手を胸の前で合わせてそう言うと、開いた十指には人形繰の糸が結わえられている。
 ぬいぐるみたちが、地図や資料を持ちだし、大きく変化した勢力を示した。
 これからは、『七曜の戦』後の状況に合わせた、作戦を展開していく事になるのだ。眺める依頼参加者たちは、表情を引き締めた。
「吸血ロマノフ王朝は、派閥争いなどもあるようで混乱しているご様子。この状況を利用するのはイイコトですわ。革命軍の本部が、『吹雪の迷宮』に守られているという予知がいくつか得られています。当列車の依頼でも、そのひとつを叩いていただきます」

 ぬいぐるみたちが差し替えた地図には、本部の位置が記されていた。
「今回の吹雪の迷宮の入り口は隠されていません。ストックホルム近郊に吹雪の激しい場所があり、そこを抜けると、氷のブロックで組み上がったまさしく迷宮が建っています」
 内部も、氷の壁で仕切られた、いわゆる巨大迷路となっている。
 来た道を覚えて、正しい道順を通らなければ、進むことも引き返すこともできなくなるという。
 迷路を抜けてはじめて、革命軍本部に侵入できるのだ。
「革命軍のヴァンパイアノーブル、重武装したトループス級『黄金騎士団』と、彼女たちに護衛されたアヴァタール級、氷結の令嬢『オリガ・アポーストル』を撃破してください。それで、依頼は完了ですわ」

 ファビエヌは迷路の正解までは予知できなかったといい、吹雪の迷宮の攻略方法を相談するように促した。
「吸血ロマノフ王朝の根幹を支える組織であった革命軍。壊滅させられれば、今後の戦いできっと、イイコトが起こりますわ」

 巨大迷路というと、刻逆まえの観光地に、そのようなレジャー施設があった。正方形のマス目を基板に、壁だけで通路をつくり、スタートからゴールまで人間が通り抜ける遊びである。
 氷結の令嬢たち、革命軍本部を守る迷路は、難易度を増していた。
 まず、マス目が正三角形だ。
 次に壁の氷は、透明度や反射率に種々あって、通行の可否が分かりにくい。
 そして、正三角形を基板に氷壁が組まれると、壁が互いを映しあい、より景色を惑わせるのだ。
 単純な方法では、分かれ道を覚えておけないのである。

 ディアボロスたちは、準備に抜かりなかった。
 手分けして、『完全視界』と『寒冷適応』を発揮させ、激しい吹雪も難なく突破する。
 迷宮についても、氷の宮殿といった外観から入り口はすぐに見つかり、内部に侵入できた。敵の見張りや通行も考慮し、聞き耳や忍び足も使う。
 だが、本番は今からだ。
「これは……厄介なものを作りましたね」
 一歩踏み入り、レイラ・イグラーナ(メイドの針仕事・g07156)は思わず感嘆の声をあげた。
「奥まで続いているように見えるこの道も、実際には氷の壁であり、あちらの通路が反射して映っているだけ、と」
 道や通路と表現するしかないのだが、どこまでも続く、広間のようでもある。
 眺めていると、最後は白っぽくかすんで消えていく四方に、頭を揺すられている気分だ。
「ふむ……。敵ながら面白い仕掛けだなあ……」
 エトヴァ・ヒンメルグリッツァ(韜晦のヘレーティカ・g05705)は、目を回す前に視線をおとした。
 掌の上に、方位磁石がのっている。
 ピタリと静止する針。
「東西南北の把握はできるな。簡単でもいいから、現在地を紙に記していこう」
「目に映るものに頼ると方向感覚を失いそうですからね。ヒンメルグリッツァ様、探索は皆で分かれて行いますか?」
 レイラの問いかけに、エトヴァは首を振る。
 壁の性質を思うと、誰かが正解を当てるまで、迷路内での合流は難しそうだ。革命軍本部のそばで大声を出し、呼びかけ合うのもはばかられる。
 ディアボロスたちは、とりあえず同行することとなり、レイラが攻略方法を提案した。
「単純な二次元構造の迷路であれば、本質的には通常のものと何も変わりません。入口から出口へと通じる道があり、そこから無数の枝葉が伸びているだけです」
 まだ、入り口しか描き込まれていないページの隣に、概念図をひく。
「古典的ですが……右手法で参りましょう。入口から右の壁に手をつき、外さないようにして反時計回りで迷路をめぐります。ひたすら右手伝いに」
 全員で右手を置けば、通れる空間を見逃したり、通れない箇所に頭をぶつけたりはしないだろう。
 加えてエトヴァは、刷毛に塗料を含ませ、右手のかわりに長い矢印を描きながら歩くことにした。
「塗料が氷の反射も押さえてくれるはず……」
 後続の者に、地図描きを頼み、塗料に沿って進んできてもらった。
 そして、宮殿の外観からは考えられないほどの距離を歩いたところで、迷路全体の外周に沿い、繰り返し同じ道をたどっていたことが判明した。
 磁石と地図の検証は後付けで、エトヴァのしているブローチが、わずかに反応したのがきっかけだった。
「壁の透過と反射は、迷宮の基本構造だ。塗料はすぐに流れて、設定した状態に氷が張り直される仕組みだ。やれやれ、儲からない仕事をしてしまったな」
「目指すゴールが迷路の外側ではなく内側にある場合、この方法ではゴールにたどり着けません」
 レイラが、左側にあった分かれ道をあたるしかない、と言った。その場合も、目印などは付けられないだろう。エトヴァが首から下げているドッグタグが、擦れて音をだす。
「道順を覚えるとはこのことか。間違えると同じところに戻ってしまうから、それを記憶していけと……」
 予知に出てきた『黄金騎士団』は、すぐれた記憶術を持っているらしい。エトヴァの能力では及びそうもなく、ドッグタグを握りしめた。
火炎放射器で溶かしたら怒られるやつかな……」
「ヒンメルグリッツァ様、そのような道具はお持ちですか?」
 問いかけに、エトヴァはまた首を振る。
 レイラは指先で、一本の針をもてあそんでいる。それは凍結の呪詛が込められたものだ。
「刺した敵は凍りつきます。ですが、氷を自由に操る、というほどの力は私にはありません」
「必要なのは火炎じゃなく、氷雪使いだったな。氷結令嬢も配下に怒られていた。迷路でズルするって」
 お守りのブローチが反応したのは、遭難を防いでくれたのかもしれない。しかし、これとて氷の壁をやぶって、おそらく中央にあるだろう本部まで直行するような、ズルするご加護はないのであった。
「地道に正解を絞っていこう」
 エトヴァたちは左の分かれ道に入った。
 結局、迷路は大まかに同心円状になっており、右手法と地図描きを併用して、内側に至る道を見つけていった。
 後になるほど、同心円の半径は短く、氷の種類にも慣れる。しまいには通路のさきに、赤い調度品が映し出されるまでになった。
 革命軍本部の赤である。

「……随分と分かりやすい」
 レイラ・イグラーナ(メイドの針仕事・g07156)は、迷路のゴールにため息をついた。苦労して解いてきた割に仕掛けもなく、通路から素通しのようである。
「罠……という雰囲気は感じませんが、念のため警戒しつつ赤い本部まで進みましょう」
 ディアボロスたちは頷きあい、幾人かはまた、右手を壁に沿わせた。
 ここまで来て虚像に騙され、氷の壁とぶつかりたくはない。
「隠れる物はございません。こちらからあちらが見えるということは、あちらからもこちらが見えるということ」
 実際、氷壁を挟まない位置にまで至れば、ソファにきちんと座った少女と、護衛の陣をはった騎士たちの姿が明らかになる。レイラは室内に踏み込んだ。
 ロマノフ王朝出身のメイドには、壁紙の模様にも馴染みがあった。潜入先でのことだが。
 あれを剥がせば、反射率の高い氷が出てくるのだろう。貴族の屋敷と違うのは、部屋が六角柱型なのと天井が三角形を組んだドーム状なことである。
「趣味の悪い赤い調度品に、金の鎧の上から纏った赤い衣服。『革命軍』を名乗る者たちでお間違いありませんね?」
「いかにも。お嬢様に手出しはならぬ」
「あら? わたし、『ディアボロス部隊』なんて呼びつけてないわ」
 問うたレイラに、ハルバードを突き付けて応じる黄金騎士団長。そして氷結の令嬢が嘲笑を浮かべた。
「ふふ、ちょうどいい。退屈してて……」
「『轟雷波』―ッ!!」
 団長が、武器を振るった。
 斧刃から、黄金色の稲妻が解き放たれ、六角形の部屋に広がる。
 ディアボロスたちは散開して防御し、レイラは調度品を足場に、ドームの高さまで跳び上がった。
「因果の滴、注ぐ応報。神域の歔欷が廃都に落ちる。……『手製奉仕・雨(ハンドメイドサービス・ドーシチ)』!」
 黄金騎士団の頭上から大量の針を降らせる。
 鎧で防ぐ団長の周囲で、全身を刺されて倒れる騎士たち。一体の手からこぼれた武器が、ソファの脚にカツンとぶつかる。氷結の令嬢は、自分の足をばたつかせた。
「おまえたちぃ、わたしが喋ってるのに、勝手に戦わないでよぉ!」
「どうやら何も……本当に何も存じ上げないようですが」
 レイラは、遊び半分の指揮官に、またため息をつかされる。
「北欧の解放と人民の皆様の暮らしのため。お覚悟願います」

 六角柱型の囲いに内張りされたリビングで、ディアボロスは陣形を組む。ヴァンパイアノーブル『黄金騎士団』と刃を交えた。
 迷路の突破に記憶術を使っていたらしいが、なるほど鉤爪の連続攻撃は的確だ。
 騎士団員は、レイラたちのパラドクスを覚えてすぐに反撃してくる。
「ハハハ、革命軍は健在ナリ!」
 勝ち誇るトループスの背後に、ダークグレーの影が立った。黄金鎧の腹部から、片刃の切っ先が飛び出す。
「ぐふぁ、だ、誰ダ!」
「申し遅れました。都庁から参りました私は……」
 現代日本のオーダースーツ姿。
 宇都宮・行(一般的な地方公務員・g03895)が身分を明かす前に、彼の『アサシネイトキリング』によって、騎士の一体はこと切れる。
「不意の増援には対応できねぇってか。後からの参戦にも意味はあったな」
 傍らで、ツールを携えた河津・或人(エンジェルナンバー・g00444)が、解析を行っている。
「まぁ、エミュレートの腕は俺のほうが上そうだぜ。吹雪の迷宮にしたって、このゲーマーにお任せあれ、ってな」
「或人様、迷路の正解がわかったのは、救援機動力により適切な……」
 真面目に説明しながらも、行は打刀を振るって戦いを始めた。
 『日光』の刀身は、奇しくも騎士団の『轟雷波』と同じ、黄金色に輝いている。本部への二段階の侵入が、今度こそ不意打ちとなり、ディアボロス側の陣形が騎士団を圧倒していく。
「よお、チートの令嬢ってのはあんたかい? 俺もたいがいなグリッチプレイヤーだが、ここでは正攻法で行かせてもらうぜ」
 或人がツールをブレード型に変形させた。
 宙に、青白い描線でヘクスのマス目が広がっていく。
「ステージの形に相性を感じたんでね」
 しかし、赤いソファとのあいだに、騎士団長が割り込んでくる。
「お嬢様に手出しはならぬと、言ったはずだ!」
「聞いてないよ」
 ハルバートの斬撃と正面からぶつかり、或人は相手の実力を認めながらも、ブレードを押したてた。『ブレイブスマイト』の一撃が、騎士の兜を割る。
「お嬢……さ……ま」
 騎士団長は、額から鮮血を飛び散らせ、仰向きに倒れた。
「トループスはクリア、っと」
「ロシア……ロマノフ王朝もまた、情勢が動いて複雑化しているようですね」
 行は眼鏡を押し上げ、ソファの少女を冷ややかな目で見る。
 靴のかかとが床につき、傘を支えに、氷結の令嬢『オリガ・アポーストル』は立ち上がった。
「誰よ、吹雪の迷宮に守られているから安全なんて言ったのは」

「地図を書くのは手間だった」
 アグニス・シュヴァラ(記憶欠けし竜撃の女・g05700)は、竜骸剣を突くように使って、アヴァタール級にいどむ。
「だから、防御施設としてはそれなり、だったと思うが?」
 相棒のミニドラゴン、『ヴリト』もけん制に加わり、室内を飛び回る。この本部の場所を突き止めるため、エトヴァから預かった方位磁石を、両手の爪でしっかりと保持しながら。
「でもぉ……。あんたたち『ディアボロス部隊』を通しちゃったら意味ない」
 氷結の令嬢『オリガ・アポーストル』は、閉じた傘をくるくる回して、アグニスの切っ先をかわす。
 妖刀『血染め』を抜いた、東海林・留加(鬼人の鬼狩人・g04824)は、安易に打ちかかったりせず、やや引いて下段に構えている。
「仕掛けてくるぞ、みんな腹に力を込めろ!」
 ディアボロスの全員が、同じ防御姿勢をとったわけではないが、留加の見切りは当たっていた。
 突如として傘が、床に激しく叩きつけられる。
 絨毯が氷漬けになって、ひび割れた。
 アグニスは忠告をうけて飛びすさり、凍結の一撃、『Мне уже скучно』を喰らわずに済む。
「あら、残念。退屈な迷路で道に迷ったのなら、もっと覚えの悪い人たちかと思ったわ」
「人生に決められた道などなく、私には過去の記憶もないが……」
 竜骸剣の刀身が、傘をはじき上げた。
「共に戦う仲間がいる! 『屠竜撃』!」
 ドレスにかすっただけで、竜を屠る衝撃が起こる。少女をソファの背もたれにまで飛ばした。
 その機を、留加が見逃すはずがない。
「完膚なきまでに、叩き伏せるぜ!」
 片手で妖刀を振りかぶりながら、もう片方に『差金』、板状の棍棒を握る。
 アヴァタール級は、逆さまになった姿勢から、背もたれの上部を掴んで、その後ろにすべりこんだ。
「『悪鬼粉砕撃』!」
 留加の妖刀と棍棒が、赤い家具を粉々にした。
 氷結令嬢は、背もたれを凍らせて防御としたらしいが、それも破られ、尻もちをつく。
「痛ぁい。……まったく、護衛もなしに戦わされるだなんて」
「当然だろ、おまえの指揮の結果じゃないか」
 ヴァンパイアノーブルが意外に頑丈で、死んでないことに不満を感じながらも、留加は二振りの武器を上下太刀に持つ。
 彼によって砕かれた、赤い木片と布張りが、まだ室内を漂っていた。

「留加さん。この指揮官は、随分な自信家なのかもしれないよ」
 エトヴァ・ヒンメルグリッツァ(韜晦のヘレーティカ・g05705)は、こわばらせた身体をほぐしながら言った。
「部下が倒れるまで高みの見物ですから。……行さん、或人さん。もう少しお付き合いください」
「ええ。出張が長引くのは経験済みです」
「ボスステージを中途で切断するやつはいないぜ!」
 合流組が合図し、迷路を突破した仲間たちは、連携を取りつつ、アヴァタール級に攻撃を仕掛けていく。
 その最中にも、エトヴァは観察を忘れなかった。
 パラドクスの応報が激しくなるにつれ、留加の鈍器が壊した以外にも、調度品の破片が増える。革命軍の象徴は徹底的に赤だ。
(「……目立ってる。ディアボロスの名声を利用しようとした策といい、考えたものだ」)
 安定しないところはあるが。
 自らは退屈と言い放ったくせに、迷路を抜けられないと高をくくっているなど、やはり自信家なのか。
(「革命軍も物資の補給が乱れている。そろそろ、決着へ駒を進めたい」)
 本部をひとつずつ潰す。
 令嬢『オリガ・アポーストル』は傘を捨てて、オーラを氷晶化し氷柱を操りだした。エトヴァは、タイミングを見計らって魔力障壁を展開する。
 盾のうしろに隠した仲間、レイラ・イグラーナ(メイドの針仕事・g07156)に、詠唱をしてもらう。
「砂塵の清泉、水面の月光。揺らめく踵が虚を翳す……」
 メイドの姿がブレはじめた。
 氷柱を撃ち尽くし、オリガは首からさげたカメラを、慌ただしく調整している。口からはブツブツと文句が漏れる。
「なんでよ。もうイヤだ。退屈でも本部に籠ってれば、危険はなかったはずなのに……」
「さて、それは存じ上げませんが……。私見ですが、この場でその程度の危機意識だったのは貴女のみではありませんでしたか?」
 レイラが、すぐそばまで接近していた。
 ゆらり、と残像を伴っている。
「ひっ……!」
 小さく悲鳴をあげ、令嬢が走り出すと、その額がゴンと固いものにぶつかった。
「か、壁ぇ? 氷の壁が!?」
「彼女の力でもズルはできないやつだな」
 『Realizing Imagination(リアライズィングイマジネーション)』が発動していた。エトヴァが空間に絵筆を走らせ、描き出した氷の迷路だ。
 赤い部屋は壁紙も剥がれ、そのなかにオリガお嬢様を閉じ込めている。
「方位磁石も持っていないだろう。……『ヴリト』、私たちも行くとしよう」
 アグニスは、仲間のつくった迷路にはいり、その死角を借りてヴァンパイアノーブルを刺し貫いた。
「私のイメージした物語では、雪男の徘徊する迷宮なのだけど」
 エトヴァが描画を足す間にも、竜撃の女だろうが、地方公務員だろうが、わけへだてなく襲撃にくわわっている。
 行は先ほど、ロマノフの情勢について口走っていた。
 銀の針を手にし、レイラはそのことを思い出している。
「そうですね、この吸血ロマノフ王朝は色々と……色々と複雑になっております」
 描かれた迷路を進む。
「ですがこの北欧においては非常に分かりやすい。人民を不当に虐げ、私たちの名を、そして革命を騙る革命軍を討ち果たす。これのみで十分です」
 右手で支えずとも、氷結令嬢の居場所にたどりついた。
 カメラを必死に構えている。
「ピ、ピントが合いませんわ……!」
 残像と鏡像だ。氷雪使いも役に立たない。
 レイラは、『手製奉仕・幻(ハンドメイドサービス・プリーズラク)』を施す。
「私たちを革命軍の一部隊だと宣うのであれば……私たちを止めてみせると良いでしょう。力づくでも」
 ファインダーを覗き、視野の狭くなった『オリガ・アポーストル』の死角より静かに、確実に、急所へと銀の針を突き立てる。
「わたしの、氷結世界が……あぁ」
 一度だけシャッターがきられた。
「言ったでしょう。貴女は何も存じ上げないと」
 消滅していく敵の亡骸を、レイラはじっと見下ろす。
「秘境偵察の際に見かけたトループスの軍団の方が、まだ危機感がございました」
「……吹雪の迷宮の堅牢さに甘んじたな」
 エトヴァが呟くと、氷壁もゆっくりと分解が始まった。
「これでまた一歩、北欧の開放へと近づきます」
 迷路だったところを直進するレイラ。エトヴァは、天井を透かして吹雪のやんだ空を見た。
「北欧の地にも春が訪れるように……。その時に、偽物の革命軍はいらないよ」

『チェインパラドクス』(C)大丁/トミーウォーカー

 

tw7.t-walker.jp