走れエウレカ(作者 大丁)
シチリア島南東部の都市に、奇習が蔓延し始めた。
「エウレカ!」
「エウレカ! エウレカ!!」
住民たちが、奇声をあげながら街を走っている。入浴中の姿で。
つまりは体中に泡だけまとって、往来を行き来しているのだ。男女の区別はなく、両手を高くさしあげて、表情は恍惚。
「エ、エウレ……いやあん!」
しかし、この異様な景色のなかにあって、『普通』の反応をみせる人間もいる。家屋から飛び出し、数歩すすんだところで、うずくまってしまった。
裸身に、両手を巻きつけるようにして縮こまっている。
通りかかった全裸の男性が、正気に戻った声でささやきかけた。
「お嬢さん、いけない。堕落のフリだけでもしないとル・シャヴォーヌ様の配下が……」
男性はすぐに立ち去った。
角と翼。
いつからそこにいたのか、淫魔の一団が目を光らせていたからである。
新宿駅グランドターミナルに断頭革命グランダルメ、シチリア島行きのパラドクストレインが出現した。
依頼参加のディアボロスたちが乗り込んだ状態で待っていると、プラットホームから案内人の声がする。
「ごきげんよう。ファビエヌ・ラボー(サキュバスの人形遣い・g03369)です」
開け放たれたドアから、子どものぬいぐるみ型の操り人形が二体、飛び込んできた。
「探索作戦の結果、シチリア島には、TOKYOエゼキエル戦争のジェネラル級アークデーモン『有角公アムドシアス』が漂着しており、断片の王ナポレオンと取引をして、シチリア島を支配している事が判明しましたわ」
本人は、戸口に隠れて声だけ出している様子。
「攻略旅団の提案により更に調査したところ、アムドシアスは、シチリア島全域を、『信仰』『畏怖』『堕落』によって支配し、エネルギーを生み出す牧場としようとしている事がわかりました。シチリア島の牧場化は、まだ完成していない為、多くのエネルギーが大陸軍の手に渡ったという事は、まだないようですが、このまま放置すれば、収穫されたエネルギーが、ナポレオンの元に届けられてしまうでしょう。その前に、シチリア島の人々を牧場化から救い、人々を支配するクロノヴェーダを撃破してください」
概要は判ったが、ぬいぐるみがしゃべっている感じで奇妙だ。
どうやら、今回の案内は人形劇になっているようだ。
「シチリア島の町は、アムドシアスと同様にTOKYOエゼキエル戦争から漂着した、『大天使』や『アークデモン』の他、現地で配下にしたらしい『淫魔』達によって支配され、『信仰』『畏怖』『堕落』の状態を強制され、エネルギーを搾り取られようとしています」
少女型の人形が角と翼をつけて、淫魔に扮していた。
少年のほうがシチリアの住民役らしく、淫魔に操られたり、惑わされたり、逆らったりしている。
その過程で、予知にあった奇習の様子も伝えられた。
「抵抗した一般人もいましたが、そういう人々は捕らえられて牢に繋がれているようです。クロノヴェーダの支配に抵抗した人々は、一般人としては強い意志の力を持つ……という事で、アムドシアスが直々に何かに利用する……という為に、殺さずに捕えているようですわ」
今回の現場は、シチリア島南東部の都市のひとつだ。
劇の合間に、ぬいぐるみたちが地図を掲出する。
「支配しているのは、アヴァタール級淫魔『ル・シャヴォーヌ』と、取り巻きの『武装淫魔』。まずは、バレないように奇習を真似て潜入し、『堕落』を強要されている住民に接触してくださいませ。囚われている一般人の情報を得るのです」
ファビエヌの声は、するっと言ったが、つい驚いてしまった参加者もいた。
「囚われている人は強い意志を持っているので、彼らを助け出すことが出来れば、解放後の街を良い方に導いてくれるはずです。情報を元に収容場所に向かい、脱出の準備をしてあげてください。実際に脱出するのは、アヴァタール級を撃破したあと。囚われているあいだにある程度見聞きしているので、ル・シャヴォーヌらの居場所も得られましょう」
なるほど、牧場計画の阻止と、街の再建。
人形劇を見終わって、この任務のアブナイところと重要さが共有されたようだ。
ぬいぐるみたちは、ドアから外へと出て行った。
「この事件を解決していけば、黒幕である『有角公アムドシアス』に決戦を挑む事もできましょう。どうかお気をつけて、頑張ってきてください。わたくし、その健闘の一部でもわが身のようにして祈ってますわ」
時刻が来た。
パラドクストレインが走り出すと、ホームで見送るファビエヌの姿が窓ごしに見える。
ル・シャヴォーヌなみの。
鉄格子がはめられ、石造りの遺跡のような建物だった。
着衣を許されないまま放り込まれた人々は、男女さまざまだったが、背中合わせの円陣で座っている。
どうやら、互いの羞恥心を気遣ってのことらしい。
「淫魔の誘惑は強力だが、きっとオレたちのように跳ね返せる者がほかにもいるんだ」
ひとりが壁に向かって言った。
「そうとも。その者は我々を助け、人々にも救いを与えられるに違いない」
「救いか。まずは着るものだな」
応じた二人目に、三人目はおどけた調子で続けて、皆を励ました。
「フフ。……ええ。きっと来ますわ。勇者は来ます」
凛とした、美しさを想像させる声が、牢に響く。
街は港を持っていた。
ディアボロスたちは湾の向い側に降りる。
「きたぜきたぜ、久々に淫魔と遭遇できる依頼が!」
打ち合わせのあいだ、アッシュ・シレスティアル(蒼破拳・g01219)は背中でそれを聞く態勢をとり、市街地の観察役を勤める。
住民への心配をふくんだ仲間の声。川屋・ゆきの(封印の退魔巫女・g03290)だろう。
「アークデーモンと、それに率いられる淫魔……。未だ囚われていない方も含めて助けたいものです」
「はい。まだ住民が洗脳され切っていないなら、付け入る隙はある筈」
テレジア・ローゼンタール(魔剣の騎士・g01612)が応えた。
「信仰、畏怖、堕落。天使や悪魔どもの常套手段ですね。……淫魔が関わっているので予想はしていましたが、また全裸ですか」
深いため息が続く。
「ふっ、お誂え向きでは?」
なぜだか自信満々なのは、リン・エーデルリッター(爆弾魔のテロリスト・g01691)。
「ストリーキングに及んでしまっても、構わないのだろう?」
すると、若い男が、困り気味で話す。
「叫びながら風呂のカッコで飛び出すってどこぞの偉人のエピソードじゃないんですから……。あっちの考える事は良く分からないですね」
大崎・朔太郎(若返りサキュバスアイドル・g04652)だった。そこでアッシュは振り返る。
「郷にいっては郷に従えってわけだ。淫魔と戦うためならこのたゆんスレイヤー、奇習をマネながらの情報収集ぐらい軽くこなしてやるぜ!」
威勢はいいが、同性にだけ視線を向けるように注意していた。
「……ところであの恰好には何処でなるんだ?」
「都市に入ってからでいいでしょう」
問われた朔太郎は、皆に聞こえるように言う。
「まあ僕の場合、ほぼ別人の体になってるからそこまで恥ずかしくは……多少ありますが他の人が苦労するのもアレなので頑張りますよ」
『光学迷彩』を持ってきたことを明かした。
隠れながらの侵入をすれば、着衣でいることを発見されにくくなる。
「そ、そうだったのです?!」
最後に眼鏡を外すかどうか迷っているところで、テレジアが驚く。
「準備が早いですね……」
むしろ、提案するのが遅かった、と朔太郎は顎に手をあてる。
「尻込みしていても事態は好転しない」
テレジアは、身体をくの字によじっている。その姿を目の端に、アッシュはもっと気になることを、ついに尋ねた。
「つか、ゆきの嬢は新宿駅からその恰好だったよな?」
「え、えと、ファビエヌさんの仰っていた通りに。一糸まとわず市内を探索することになるので……。腕の封印は流石に残していますが」
消え入りそうな、小さな音量を聞き取る。テレジアが補足した。
「ゆきのさんには事情があるのです。……そう言えば、あの時は淫魔大樹の堕落世界だったが、今回は現実世界で、か」
またため息をついているものの、着なおしたりはしないようだ。
アッシュも声量が下がってくる。
「……泡だけじゃ隠し通せる自信ないんだがタオルとかって使っちゃダメか?」
「周りが全裸民ばかりで、オンになっているから?」
いつの間にか、リンが泡だらけの姿で、アッシュの前にしゃがんでいた。
恥ずかしがるでも、笑うでもなく、真顔である。
「リン嬢のようにさばさばしてくれると助かるぜ。品がないかもしれねぇが、図星だ」
「いま、見てるぶんは、貸しにしておくよ」
やれやれと、アッシュは天を仰ぎ見た。
「討伐対象でないなら、それなりに遠慮はしたい。嬢の言う通り、周囲がみんな同じ状況ならしゃーねぇが」
とはいえ、情報収集は分散して行い、あとで合流することとした。
「落ち合う場所には、俺が『平穏結界』を張っておこう」
海岸線に沿った道をしばらく歩き、市街にはいると流れ解散になった。
「エウレカ―!!」
アッシュの声は気合が入っていた。
通りにはほとんど人はいなかったのだが、すぐに数人とすれ違う。やはり、両手をあげて叫んでいる。
男性のほうが多そうだ。
だが、ふくよかなものをお持ちの女性が、上下に揺すって走ってくると、依頼に関係なく、大声が出た。
「エウレカ―(見つけた)!!」
「きゃっ……!」
女性は、気合のデカさで驚いたのか、つい悲鳴をあげてしまう。
つまり意思疎通ができるのだ。よりにもよって、デカい人が。
こちらも正気を保っているとアピールし、接触をせねばならない。アッシュは、目線のみ合わせて、訴えかける雰囲気を出した。
コクリ、と頷かれる。
そして来た道へと方向を変えた。ついていくと、女性の自宅であり、そこでなら着衣は許されているらしい。
案の定、お互いにすっかり落ちてしまった泡の上から布を纏うと、手短に話を聞いた。
彼女の夫が捕まっていることと、救出しなければならない人数の情報を得る。
「エウレカエウレカ」
リンは、適度に叫んで市内を徘徊していた。
泡だけを纏って公然と、堂々と。
表情の恍惚さだけは演技でつくる。他に通りを行く裸体からは、今のところ注意をひかずにすんでいる。
かわりに、そうした『通行人』と数度しかすれ違わない。
「一応観察すればまともそうな現地人も見つかる……のだろうか?」
例えば、相手の目線だ。
仲間の男性がやり場に困っていたように、自分のこの体型がいきなり現れたら、多少正気であれば反応するかもしれない。
「路地裏がある。一旦、隠れて観察するか、人が来たら飛び出してみるか。それとも、呼びこんで……」
なんだか、妖しい気持ちが湧き上がってきたので、その小路は通り過ぎた。
「オンになられてもな。……まぁ。暫くうろついていれば多少の地理もわかるだろう。そこから脱出させるルートを考えて行こうじゃないか」
幸いなことに、人通りが少ない地区には、遺跡が点在していた。
ほかに情報があれば、牢を特定できるかもしれない。
「エウ……レカ。ハァ……ハァ……」
テレジアは、すぐに息があがってしまった。
どうやら、住民たちは発作的に自宅を飛び出して、ひとまわりして戻っている。ずっと走り続けるわけでもない。
外出の用事のある者も、手は上げてゆっくり目で駆けている。
なので、その気になれば、テレジアと並走することも可能なのだ。諸手を掲げていては何処も隠すことはできず、そうした住人たちの視線が集まってくる。
路地裏に入ったつもりなのに、なぜだか人が多い。それも、男性ばかり。
狭いところを走れば、身体どうしがぶつかったり、上げてるはずの手が触ってしまったりもする。
その視線に宿るのは強い意志ではなく不埒な情欲、と思える。テレジアは息がますます上がる。目当ての強い意志を持つ人々とは違いそうだが、情報収集の対象にはなり得そうだった。
持ち込んだ『友達催眠』を使ってみる。全裸に笑顔で話しかけた。
「堕落に逆らう変わり者がいた、という噂を聞いたことがあるのですが……あなたたちは何かご存知ですか?」
男たちは互いに顔を見合わせる。確かに完全には支配されていない。
テレジアからも、押しつけた。
「こんなに開放的で気持ちいいことを、どうして拒むのか気になって……」
「あんたの頼みなら聞かなきゃな」
軽く触れる程度だった手が、積極的に掴んできた。
ひとかたまりの集団は、歩く程度の速さに落ちていたが、息を荒くしながら聞いたことには、囚われの人々は一か所に集められているらしい。
「エウレカ……!」
ゆきのは、もう走っていなかった。
淫魔の警備などがいなかったので、いざとなったら解散するように含みおき、他のディアボロスと同様に、目線や態度から見繕った人々を、自分のまわりに集めていた。
大きな通りが交差する、噴水の傍らだ。
普通なら目立つ場所でも、奇習のせいで逆に自分たち以外に人目はない。
「大丈夫です。目を逸らしたりせず、見入るくらいで結構です。その方が長くオハナシできますので」
泡はとっくになくなっていたが、姿勢は崩せない。
(「ああ、内なるデーモンからの悪戯を、受けてしまいそうです……」)
溜まると、順番に放出する仕掛けか。
噴水がいきおいよく飛んだ。水面にぴちゃぴちゃと波紋をつくる。人々の注意がそちらに逸れてしまいそうだったので、ゆきのは話の続きを促した。
「どうか、見たままで結構です……から……う、んんん」
「その、牢屋ってのは石造りに鉄の格子が嵌っているらしい。人間の力では外せないが、淫魔様には苦も無いことだ」
ジョボボボボ……。
(「仲間との情報共有も同様が良いでしょうか……?」)
水音のおかげで、小声の会話が外に漏れない。
「エウレカ、エウレカ♪ ハッ!」
朔太郎は大人の集まる食堂でダンスを披露していた。
アイドルやれる位の若返った身体、旅の芸術家で話が通じた。
外出と仕事の両方なのだが、客も店員もやはり服は着ていないし、例の叫びをあげる者や、店の中でも走り回る者がいる。堕落の支配を受けているから情報源にはならない。
誘惑して釣れる相手ならば、まともな人のはず。
堕落のフリも続けなければならないので、朔太郎のダンスはあられもない恰好のまま。
しかし、それ以上に赤面させられそうになるのは、うっとり顔の泡だらけの人が寄り添ったり、密着してきたり。演技で頑張りながら、話を聞ける人を探した。
「この辺の遺跡や昔を知れる場所を聞いてみますか。囚われてるのは遺跡のようですしね」
近づいてはいけない場所、という形で手掛かりが得られた。
「『偉人』の墓、ですか?」
「ホントのお墓じゃないよ、そうあだ名されてるんだ。たぶん、連れていかれた人はそこで……エウレカ!」
どこぞのエピソードも意味はあったらしい。
理性飛び気味の人たちを押して押し切ると、牢の名前が出てきた。朔太郎は、握られてる手を振りほどくと、終演の挨拶もそこそこに、合流地点へと向かう。
結界内で、ディアボロスたちは情報を突き合わせ、遺跡『偉人の墓』のある場所へと、鉄格子を外す段取りを組む。
「何というか……色んな意味で皆さん頼もし過ぎますね」
大崎・朔太郎(若返りサキュバスアイドル・g04652)は感嘆の声をあげた。救出案については、予備や追加も練られる。
「僕はやれる事をやりますか」
「なあ、朔太郎君よ」
おなかより下で両手を重ねながら、アッシュ・シレスティアル(蒼破拳・g01219)が尋ねた。
「今ぐらいしか着替える時間なさそうだし、結界にいるうちに『アイテムポケット』内の悪魔装甲を纏っちまうけど……大丈夫だよな?」
奇習のふりして住民に接触する必要はもうない。
「ええ。また『光学迷彩』を使えばいいですし、僕も装備の服にもどるつもりでしたよ」
「それなのですが……」
眼鏡だけのテレジア・ローゼンタール(魔剣の騎士・g01612)が会話に加わってきた。
「堕落支配ははじまったばかりで、まだ正気を保っている人は多いようです。着替えるなら一応、平穏結界を重ね掛けして隠密性を高めておきましょう」
しかし、結界では移動に支障がある。
迷彩も街にはいるときに注意したように、隠れながらでなければ効果は薄い。
事情で身体を隠せない、川屋・ゆきの(封印の退魔巫女・g03290)が、おずおずと進みでてくる。
「牢の場所は解りましたが……街をだいぶ歩かないと行けないようです」
「私が一度は通りがかっているから、道案内に不安はないけどな」
リン・エーデルリッター(爆弾魔のテロリスト・g01691)が、腕組みにふくらみをのせて思案顔になった。途中で淫魔に見咎められれば、せっかくの牢破りの計画も台無しだ。
全裸の女性三人が、ぶつぶつ言いながらウロウロし、男性はさっさと服や鎧を身につける。
「これがないとたゆんスレイヤーとして気分が締まらないんでね」
青い兜のなかから、アッシュのホッとしたような声がもれてくる。朔太郎は、ミニハットつきのアイドル衣装。
「助けに来たと話してもすぐ信用はされないかもなので。この街で服を着てる意味は敵の敵で味方という事でしょうし」
王子様っぽいポーズをキメてみた。
「仕方がありませんね」
「仕方ないです……」
「仕方ないな」
引き続き女性たちは、奇習のふりのままで往来を闊歩するという。
先行して淫魔がいないか確認し、残りのディアボロスを呼び寄せてくれるそうだ。
「おう、助かる。たゆんの気配も辿りつつ、偉人の墓なる遺跡へ向かおうぜ!」
鎧を着たアッシュは堂々としていて、照れたりはしなかった。
むしろ、仲間の裸体があれば、それも堂々と見ているらしかった。彼女たちは『モブオーラ』を使っているので、肌は肌の色。
「……皆さん頼もし過ぎます」
朔太郎は苦笑する。
その表情も、建物の色合いに溶け込む。
遺跡は、かなり痛んでいたものを、淫魔たちが補強したかんじだ。立方体型の部屋を、山のかたちに積み上げたような、不思議な外見をしている。
「さて、下地を作っておこうか。派手にヤる前に地味な仕事を片付けておこう」
先導してきたリンが、エフェクトを迷彩に切り替えながら確認をする。アッシュが頷いた。
「鍵が確保できそうなら、その回収だな」
鎧の物音を抑えるように、さらに慎重な移動。
「牢番が人間であれば気絶させて鍵を奪います。クロノヴェーダならば……」
テレジアは、手元に魔剣を戻している。
街の外に置いてきた衣服は、そのまま放置か。
「そう、ヒトでなければさっさと暗殺しよう」
リンが推測するところでは、囚人たちが情報を聞ける程度には、敵の出入りがあるはず。なんなら、アヴァタール級たちも、ここに詰めているかもしれない。
「たゆんの気配に備えるぜ」
スレイヤーに、敵味方の識別感知までできるかは分からないが、仲間のとは違うと主張した。ゆきのが大きいそれを、意図せず揺らしながら周囲を警戒する。
「『無鍵空間』も用意済みです……。話では鉄格子をそのままはめ込むような形での幽閉のようなので、錠前がないなら鉄格子を外せるように細工、ですね」
「バレにくくする為なら……おや?」
言いかけて朔太郎が、通路のひとつを示す。
「静かに。いまなにか話し声がしました」
「ああ。水の音もする。……たゆんが押しのけるような」
はたして、中庭のような場所に方形の風呂があり、湯気がたっていた。
人の影もいくつかあるが、ディアボロスたちが隠れた場所からでは判然としない。
「詰め所では、ありませんよね?」
魔剣を引くか構えるか、テレジアが躊躇している。リンは、首を傾げた。
「見当が外れた。牢番を黙らせたらボディチェックで、全部ひん剥いて鍵を探すつもりだったのに」
入浴しているのが誰であろうと、鍵を持ってはいまい。
抜き足、差し足。
先頭のテレジアは、中庭から離れて探索を続ける。
今度は鉄格子のはまった石壁を発見した。
「我々は皆さんを助けに……いえ、違います、私は淫魔ではありません。確かに服は着ていませんが」
「ええと、こちらへの潜入の都合と言うことにしておいていただけると……はい」
ゆきのとふたりで弁解することになる。
囚人たちは中にいる。しかし、窓枠が小さく、王子様がオンステージで誘惑演技の披露とはいかなかった。
悪魔を模してはいるものの、いかつい恰好が裸と真逆。アッシュが鉄格子の前に立ったところで、むこうも大人の男性が顔をみせ、味方と理解してもらえる。
なにより、アッシュが情報をもらった女性の夫だったのだ。確かに、強い意志を持つような風貌をしている。
「もし、着るものをもっていたら、分けてくれないか?」
男性がそう言ったものの、牢の奥で数人から、服があっても裸でなければ、また罰を受けてしまう、と嘆きが聞こえる。
ディアボロスたちは、手早く相談した。
アヴァタール級の撃破の混乱に乗じて逃げてもらうつもりだったが、パルマ公国の断頭台やドイツでの改造実験などとは状況が違う。配下のトループス級は小規模で、裸で街を見回ったところでは警戒は手薄だった。
やはり、クロノヴェーダの方針転換で、支配の基盤がまだ確立していない。
いますぐに囚人を脱獄させて、男性の家にかくまってもらうことは、可能ではないだろうか。
「頼む。オレたちはみずからを律し、街の人々にも服を着てもらうよう、訴えかけていくつもりなんだ」
「強い意志を持つ人々……。『有角公アムドシアス』が、彼らをどう利用しようとしていたのか。いまはそれよりも」
テレジアの言葉をついで、ゆきのが尋ねた。
「ここの担当淫魔らしい、ル・シャヴォーヌの拠点は、わかりませんか?」
「私、知っていますわ!」
凛とした、女性の声が聞こえた。
中庭の浴場が、まさに敵の居場所だった。
「結局、派手にヤるか!」
リンが、鉄格子の爆破を準備する。さっきの湯煙シルエットがアヴァタール級なら、取り巻きもいっしょのはずだ。戦闘をしかけて撃破すれば、逃がした一般人たちを再び捕らえることはできない。
アイテムポケットに収納していた、衣類やタオルを取りだして、鉄格子のあいだから提供するアッシュ。朔太郎も、だぼだぼのシャツなどを渡しつつ、リンに指示する。
「バレにくくする為なら、『建物復元』を持ってきていますから、好きなだけ中の人が怪我しない程度に壊して大丈夫です。流石に墓だか遺跡だか分かりませんが壊したまんまはアレなので」
「まかせな」
爆発音は小さめだった。
一般人が心配で、量を絞りすぎたらしい。
「エウレカエウレカ……アルキメデスに由来する奇習の都市で、アルキメデスの記した原理を用いて住民を救助とは、因縁めいていますね」
テレジアが、ぐらついた鉄格子に魔剣を挟み込み、てこの原理で破壊する。
ようやく服を着られた一般人たちは、中庭を避けて通路の反対方向へと逃げて行った。そのあいだ、テレジアとゆきのがお尻を見せ、いや庇うように通路に立ち、朔太郎が破壊個所の修復をしている。
最後に男性が、アッシュと握手をかわした。
「ありがとう。オレは淫魔に抵抗する。……そうだな、セリヌンティウスとでも名乗っておこうか」
「ディアボロスの蒼破拳、アッシュだ。がんばれ」
通路を逆向きへと別れた。
中庭の水音は、まだ続いている。
「待ちに待った淫魔とのお戯れ、心が躍るぜ!」
意志の強さと勇気を持つ人々を送り出し、リン・エーデルリッター(爆弾魔のテロリスト・g01691)は片目を閉じた。
「さて、避難時の安全確保もしておこうか。こう見えて真面目なんだ」
戦闘を仕掛ければ、敵から脱走者を引き離すことにもなる。素肌のうえから、いつものコートだけを着て、装備を整えた。アッシュ・シレスティアル(蒼破拳・g01219)も、悪魔装甲の腕部にブーステッドフィストをはめている。
「久々の淫魔ちゃんとのご対面って事で、まずは武装淫魔からと行きたい」
「そう、取り巻きから叩いていこうじゃないか。まぁ、コッチは少人数で済むだろうけど」
ディアボロスたちは、中庭を覗いた。
あいかわらず、湯気がたっている。大崎・朔太郎(若返りサキュバスアイドル・g04652)は、眉根をよせて困ったように言う。
「しかしお風呂とは呑気というか」
「ル・シャヴォーヌ麾下らしいといいますか……」
川屋・ゆきの(封印の退魔巫女・g03290)が、顔を赤らめた。朔太郎は、クロノヴェーダの習性を頭に描いたようだ。
「まあボス次第なんでしょうね、その辺は」
「多くの淫魔が討ち取られている現状で、なおも生き延びている者たち……」
テレジア・ローゼンタール(魔剣の騎士・g01612)は、誰に言うでもなく。
「たとえトループス級であろうと油断はならない」
「そうでしたね。……ある意味で主の居場所を守る親衛隊なのかもしれません。気をつけましょう」
赤面したままだが、ゆきのは真剣みを増す。アッシュの青い兜がぐらついて。
「てことは、ル・シャヴォーヌも恐らく一緒に風呂入ってるんだよな? だとすると迂闊に突っ込むべきじゃ無いんだろうが……い、いかん。体が勝手に風呂の方に……」
装甲の襟部分を後ろから掴むリン。アッシュの身を留めながら、作戦を問うた。
「敵の気を引く為に堂々と打って出るのもいいんだが、どうする? 私たちの格好で出て敵と判断されるか、味方の淫魔と思われるかは知らないが」
片手で、コートのまえをパタパタやった。
眼鏡に魔剣のテレジア。
「復讐者の襲撃かと思えば淫魔と同じ格好、一瞬でも困惑してくれれば御の字……」
けれども、囮を務めるなら、誰かひとりだろう。
装備数がいちばん少ないのは、ゆきの。仲間から注目されると、彼女は小さく頷いた。
「奇襲される方たちから気を逸らすために、ちょうどいいパラドクスを使えます……」
「僕たちはまた、『光学迷彩』といきますか。入浴中の淫魔に忍び足で近づいて、皆さんで一緒に攻撃しましょう」
と、朔太郎の衣装が石壁と同じ色になってきた。
「湯煙で姿ははっきり見えなかったが、それは向こうにとっても同じ筈。隠密性を強化すれば、きっとうまくいきます」
テレジアの言う通り、白くたっているものの中へと紛れ込むと決まった。
鎧の襟からリンの手が離れ、アッシュも奇襲組に加わることにする。
ゆきのは、頭の後ろに手をやったまま、中庭を進んでいく。笑い声や話し声が大きくなる。
確かに呑気だ。
「この姿でもコレだけは――。『為神懸而・天門開帳(カミガカリシテ・テンモンノトバリヲヒラク)』」
最古の神楽といわれる舞いを模した術である。
封印縛布が解かれ、振り付けのために両腕が自由になった。踊るうちに、白い帳に封じられていたモノがはっきりしてくる。中庭に方形の湯船があり、泡だらけの女性が数人いた。
クロノヴェーダなので、外見だけの話だが、ひとりだけ年上そうなのがアヴァタール級であろう。トループス級の淫魔は、名に反して武装していない。やはり、ボス次第ということか。
舞踊術の、敵の意識を強制的に向かせる能力が、こうして姿を明らかにしたのだ。淫魔たちは一斉に注視し、笑い声を高くする。
代償として、ゆきのも全開、明かさねばならない。
(「……あきらかに奇行ですが、手持ちの術で広範囲に有効なのはこちらなので致し方ありません……」)
腰の前後動の激しさに、膝までガクガクと笑いはじめた。
一陣の風が吹く。
忍び寄っていたテレジアが、ダッシュからの突撃に転じる。
「突き穿つ――!」
魔剣に纏う、赫怒の想念を転換した破壊の魔力。
全裸なれども、槍騎兵のごとく。
少女型淫魔の背に、切っ先が深々と刺さった。
「きゃああ!」
悲鳴にふりかえった淫魔たちが、テレジアの格好に驚いているのかは定かではない。リンの裸コートも、別の個体の肌へと、爆弾を貼り付けたところだ。
「ま、せいぜい派手にやろう。反撃の狼煙は派手な方がいいしね」
計画通りにことが運んでいる。ツキもあったろう。
テレジアは、チャンスを手繰り寄せようと、泡のあいだからよく見ていた。舞いをはやし立てる動きを。
「幸運が味方するのはそちらだけではない。『暴虐の殲刃(タイラント・ディザスター)』!」
正確に、敵を逃さず、必ずや刺しとおす。
(「撃破自体は皆さんに任せ、相手の妨害を優先していきましょう」)
ゆきのは、舞い続けた。
見物の輪を解こうとしても、パラドクスなのだから、淫魔たちは意識を持っていかれたままだ。
その状態から、一体の淫魔が出来合いの武器を探し、泡を手にとった。
「『溺愛☆ラッキーストライク』!」
「く、うう。目を……」
実際には、赤フレームの眼鏡に、白い泡がついていた。魔剣の切っ先が逸れる。よろよろ下がるテレジアに、淫魔は舌なめずりをした。
「そーんなかっこで、戦いを挑んでくるなんて。まさか、ル・シャヴォーヌ様に支配されたままかなぁ?」
泡のついた手で、露わな膨らみを下からすくい上げようと近づいてくる。
「や、やめろ……!」
「さいしょはぁ、ビックリしたし、仲間も殺されちゃったけどぉ。おねーさん、お胸がかっこいい……」
言いかけて、淫魔の髪が逆立った。
後ろから、アッシュのブーステッドフィストがあてられている。
パラドクスによって発生した電撃を両腕に纏わせていたのだ。全身をしびれさせて、その個体は湯の中へと倒れ込んだ。テレジアは、無事だった胸元をちょっとだけ隠しかけて、眼鏡の泡だけ拭き取った。
運よく、連携で撃破できたようだ。
アッシュは、背を向ける。
遠慮ではなく、今のような戦いかたは、まだ本番じゃない。次こそと、『たゆん』を探して湯に歩を進める。
湯気は払われていく。
それどころか、温度も下がってきていた。
「『仁愛☆アッシュクラッシュ』!」
淫魔がウインクすると、爆発が起こる。しぶきを浴びながら、朔太郎は指摘した。
「火薬もお風呂でしけってもパラドクスなら燃えるんでしょうが」
見れば、淫魔は着火のための準備を撒き散らしている。
「こっちもパラドクスの『ウォータースライド』で、流し切ってやりましょうかね」
朔太郎のサキュバスミストが変質していく。
温度低下の原因がこれだ。
互いの姿を隠していた湯気はなくなったが、武装淫魔は気配を消すことにも長けていた。アッシュはまだ、標的を見つけられない。
爆発を起こしている淫魔には、朔太郎が煽り続けている。
「風呂上がりに魔力の籠った水流は湯冷めどころじゃないでしょ?」
ミストが水流となって、湯船の底を洗った。
レガリアスシューズの『源氏蛍』で滑走すると、ウインクする間もあたえずに連続キックをたたき込む。
「ああん。着なくたってへーきなのぉ。でも、蹴っちゃいやん!」
ディアボロスに圧倒される淫魔だが、上手く隠れた個体はアッシュに死合いの一撃をくらわせていた。
「『死愛☆トゥルーサイトラブ』! 夜遊びはお好きかナ?」
「ふ、ふぉぉぉ!」
悪魔装甲に、細腕が通じる感じはしない。せいぜい、叩く程度なのだが、場所が悪かった。
湯船に沈んで、頭上を通りかかったところへと、下から突き上げたのだ。
「ややや。あちらが男だから、オンになってる部分には惹かれるかな?」
心配というか、アッシュの恥ずかしい状態に、自分も興味を寄せるリン。
「一気に倒して皆さんを解放させてもらいますよ! はたから見ても相当恥ずかしい事になってたんですから!」
アイドルは、街での調査を気にしていたらしい。
裸を平気と豪語した淫魔は、朔太郎の格闘攻撃を受けてくず折れた。湯上りの姿のまま。
残るは、湯に潜んでいた一体と、リンの相手だ。
取り巻きらしく、アヴァタールのそばを離れずに、爆弾攻撃もかわしていた。
「不意打ちの判断は見事だが、たゆんの声を聞くことができる俺には通用しないぜ?」
アッシュは、股間を押さえるかわりに、ピンポイントでねらってきた淫魔の両手首を、ガントレットをはめた両手でつかみ、引っ張り上げる。
再び逃げられないように。
『電撃拳(エレクトリックブロー)』の電気を流し込んだ。
「ああ、ああああ、ああん!」
「やっぱ淫魔相手だとパワーの高まりが段違いだぜ!」
バンザイのような姿勢をとらされた武装ナシの武装淫魔は、押さえつけるものもなく、しびれて動くたびに揺らしてしまう。
「たゆんの鑑賞もしっかりして、たゆんスレイヤーとしての力を高めていくぜ!」
「結局、そうなったか。まぁ、どのみち殺すんだけれども」
リンが、自分の攻撃を繰り出しながらも戦局をみる。
傍らには、仲間も集まって来ていて、いよいよ眼前の一体が最後のトループスのようだ。
「相手の出方で……」
もうひとつ、踏み込めないでいたのは、この取り巻きがディアボロス勢を警戒し、隙あらば指揮官を逃がそうとしていたからだ。
当方の人数が十分となったからには、アヴァタール級が遺跡から去っても、すぐに追える。
皆が、同意の頷きを返してきた。
『悪意の爆弾(マリス・ボマー)』を手にする。
「派手にドッカンとやろう」
「ル・シャヴォーヌ様、ここは引き払ってぇ!」
「仇はとるわ、さよなら」
見た目の爆発範囲は無暗に広い。
全裸の淫魔が、その炎に焼かれたあと、黒煙のむこうに、大人っぽいお尻が去っていくのが見えた。
中庭を突っ切り、出口の方向からリンにはすぐ見当がつく。
「噴水のある広場だな。みんな、行こう!」
コートの裾が広がるままに、駆けだす。
「パワーも十分、たゆんは逃さねぇ」
「『源氏蛍』には、もうひと働きしてもらいますか」
装備を身につけた男性は、すぐさま続く。もちろん、ゆきのとテレジアが、従わないはずもなく。
「た、大変なことになりました……」
「またですか……」
術式で封印縛布が巻き直される。
両腕を頭の後ろにおいた状態で、川屋・ゆきの(封印の退魔巫女・g03290)は仲間を追いかけ、そのディアボロスたちは、アヴァタール級淫魔『ル・シャヴォーヌ』についていった。
「逃げ足はえぇな!?」
アッシュ・シレスティアル(蒼破拳・g01219)は、淫魔の尻尾とお尻を眺めているうちに、遺跡から出て街路に達してしまったと驚いている。
日はまだ高い。
「大丈夫、道順は判っているからね。女王様をやっつけにいこうか」
ロングコートの前は完全にはだけていて、それでもリン・エーデルリッター(爆弾魔のテロリスト・g01691)は、どこかウキウキしながら追跡している。
「なんならやっつけられてもいい。ヒールでないのが残念だよ」
「いやいや、街中だと支配にかかってる一般人に、戦闘を邪魔させてきたりってパターンがあるんじゃないか?」
走りながらも、アッシュは周囲に注意を向け始めた。
すぐ脇で、テレジア・ローゼンタール(魔剣の騎士・g01612)が同意の声をあげる。
「堕落した民による妨害……徒党を組んで壁にされるだけでも厄介」
「ちょっとマズイかもですから、『避難勧告』で普通の人は逃がしましょうか」
大崎・朔太郎(若返りサキュバスアイドル・g04652)が提案したところで、あの奇声が聞こえてきた。
「エウレカ!」
「エウレカ! エウレカ!!」
蔓延している奇習だ。
すでに、淫魔による堕落支配とわかっており、両手をあげた全裸の男女が、前方を走るル・シャヴォーヌに次々と合流してきて、彼女のお尻どころか、翼の先も見えなくなる。
どうやら、アヴァタール級が近いと支配も強くなるらしい。
「とりあえず、俺は『飛翔』を使って空から追跡させてもらうぜ」
アッシュの装甲の背部は、青い光状の翼を展開できる。
街路をはさむ建物よりも高く、上昇していった。
「僕は『避難勧告』してみます。皆ハイテンションなら変に迷わず短絡的に逃げそうですし」
朔太郎が試み、テレジアも手伝う。エフェクトにより、サイレン音は聞こえた。
アヴァタール級との距離のせいか、それとも残留が不足しているのか、奇声は騒がしく、一般人の数は減ってくれない。
避難に苦慮しているふたりを追い越し、ゆきのは噴水広場に到着した。
ル・シャヴォーヌは、円形の囲いのなかにいて、もう逃げてはいない。
ゆきのは、立ったまま腰をつきだすような姿勢で、話しかけた。
「この街は開放させていただきます……とはいえ、貴女たちは一体何を企んでいるのですか?」
人々を守るため、淫魔の気を反らしたい一心だった。
答えはなく、かわりに水面が見えないほどモコモコと、石鹸の泡が立ってくる。敵の不敵な表情からも、武器の補充がかなったのだとわかる。
「街の地理は、リンが詳しいんだった」
飛翔では小回りが利かなくて、遅れて到着するアッシュ。広場の上をとっている状況を利用して、改めて宣戦布告をする。
「我らはディアボロス、邪智暴虐の王を除くものである!」
その声量は奇習を凌ぎ、街路の端々にまで響きわたる。
テレジアも、心を動かされた。
(「人々から見えるように戦うのは、『支配者を打ち破る復讐者』という構図を印象付けるのに適している。躊躇ってなどいられない、ここで確実に討ち取らねば」)
ほとんどは、自分を納得させるための理屈であったが。
それに大声は得意だ。『士気高揚』も使う。
「我らは悪しき支配を破る復讐者! 刮目して見よ!」
見られた、みんなに。
ゆきのとふたり、広場の真ん中ですっぱだかを。
その印象は、さざ波のように伝わり、クロノヴェーダの堕落支配とディアボロスの残留効果が衝突するきっかけとなる。一般人たちは広場から去らず、かといって戦闘に巻き込むほど近くにはいないという、微妙な距離で輪となり、噴水を取り囲んだ。
ル・シャヴォーヌは掌に泡をのせると、ゆきのにむかって吹きかけてくる。
泡は、肌に触れたとたんに大爆発を起こした。
転倒しないよう、ゆきのは足を開いて踏ん張る。先頭を走っていたはずのリンの姿が、広場に来たら消えていた。暗殺者らしく、どこかに潜んで機会をうかがっているのだと、ゆきのには判っている。
「『衆生一切斯く在るべし――虚空天・阿迦奢形成(コクウテン・アカシャケイセイ)』!」
存在の一切を統括する領域へと接続した。
敵の意識を、自分に引き付けておく。周囲の一般人も、もろ手を挙げてより注目してきた。なんとはなしに、お揃いの格好になりつつある。阿迦奢領域だけでなく、この世界の祝福を受け、ゆきのの能力は強くなる。
淫魔は、不機嫌そうに片眉を持ち上げた。
「私たちが何を企んでいるのかと聞いたわね? あなたこそそんな姿で、似たようなことを企んでいるのではないかしら? みんな裸で過ごしましょうよ」
「わたしは、好きでしているのではありません!」
はっきりとした物言い。
なにかに気がついたのか、ル・シャヴォーヌは髪をかきあげる。
「『堕落』ではなく、『畏怖』? 『有角公アムドシアス』様と同じアークデーモン、いやこの娘はデーモンね……」
思い至ったのは、ゆきのの事情、能力の源だが、淫魔は思考に溺れてしまっていたようだ。
「私からのプレゼントさ。遠慮なく受け取り給え」
リンが、脱いだコートを投げつけてきた。
裸身から裸身に覆いかぶされたものは、『秘密の贈り物(シークレット・プレゼント)』により、爆発物にかわる。
水柱が上がり、噴水の囲いから、殺意にまみれた泡とともにル・シャヴォーヌははじきだされた。
「『ブースト、スマッシュ』!!」
飛翔から、急接近してきたアッシュが、身をおこした淫魔に拳を叩き込み、揺れる膨らみを動体視力で捉えつつ、上空へと戻る。殴られた側が、下からの相手の影を目で追うあいだに、テレジアが眼前へと踏み込んでいた。
「『戦覇横掃(せんぱおうそう)』!」
魔剣での薙ぎ払いだ。
陽動と、隙をついてのディアボロスの攻撃がきまる。
ル・シャヴォーヌも観念したわけではなく、石畳を裸足で踏むと、妖艶なダンスの動きで渡り合ってきた。
朔太郎は、サキュバスの魔力を込めて、誘惑の手を伸ばす。
「貴方を……僕の物にしていいですか?」
オンステージ衣装で王子様のポーズをとった。
淫魔の女は、まんざらでもない顔でその手をとろうとするが、それは『シャヴォン・グロン・バル』につながる振りつけで、指先からシャボン玉を撒き散らしてくる。
手持ちマイクスタンドを旋回させ、朔太郎は虹色の球体を壊すものの、範囲が広がりすぎて対処しきらない。
「完全回避は……厳しいかな」
「ふっ……これは無理だね!」
いつのまにかリンが、ル・シャヴォーヌの足元でジタバタしていた。シャボン玉にすってんころりんしたうえに、コートも無くなった身体を、足指でいじられている。
「接近戦は不得手なんだ」
逃れることを即諦め、小声で付け加えた。
「性癖的にオイシイけど。悩むところだが……」
仲間に向かって、彼女も手を伸ばした。
「朔太郎君、助けてェ!」
「ええ、はい、ただいま……ああっ!」
王子様も、シャボン玉に当たって転倒してしまった。ル・シャヴォーヌはクスクスと笑っている。
「そこそこかっこ悪いかもですがやり切ってやりますか」
滑りながらも朔太郎は、シャボンを発する敵に近づいていく。
お返しとばかりに、淫魔を抱きとめた。『恋人演技(ファンサービス)』を発動すれば、相手を拘束できる。
「二人とも泡だらけになっちゃったね、でも二人でくっつけば自分の意志と違う触れ方になって素敵だよね?」
「ああ、私も見つけたわ、エウレカ……」
うっとりしはじめたル・シャヴォーヌから、精気を吸収する朔太郎。
その隙に、地面を這って脱出するリンに、結局つきとばされて拒絶された朔太郎が衝突し、噴水でがんばっていたゆきのも巻き込んだ。
「いらっしゃい、ホホホ♪」
アヴァタール級の声が歌唱に変わる。甘い香りを発し、伸びた爪を天に差し出す。
滞空していたアッシュが、急降下してきたのだ。
「たゆんは存分に鑑賞できるが、奇襲は効かないってことかよ!」
すれ違いざまの攻撃は、クロノヴェーダも狙っている。というか、見上げられた時に部位に気付かれていた。
『パルファン・シャンソン・ダ・アムール』は、香りで弱体化させた相手を爪で切り裂く技のはずだ。淫魔の手つきは、なにかを掴んで上下させてるみたい。
「先の一撃で既に若干弱体化してる気もする急所を……。ええい、ブーストぉ!」
怒りが増幅され、拳に破壊の魔力が充填される。
地上ではテレジアが、大胆な姿勢で魔剣を構えている。
「淫魔のパラドクスは弱体化を前提とした技、真っ向から全力のぶつかり合いならこちらが有利な筈!」
武器を使って薙ぎ払うことで風を起こし、匂いの魔力を吹き飛ばしてくれた。
「スマッシュ!!」
アッシュの渾身だ。殴打によって、アヴァタール級の体内へと破壊魔力を送り込めた。
「う、私のなかに……!」
内側からのダメージに、ル・シャヴォーヌは膝をつく。
光翼を地面に接触させてしまい、バランスをくずしてアッシュは石畳を転がる。
香りを除いた横薙ぎの勢いのまま、テレジアは魔剣で敵を斬った。
トドメになってもおかしくない。だが、ル・シャヴォーヌはその攻撃を凌駕して、立ち上がってくる。
「あ、あなたも裸でしょう。どうか、私をも仲間に入れてくださらない?」
聞く耳を持たず、テレジアは魔剣を腰だめに構え直した。
ふたりの肢体を無駄にしっかり観察していたリンが、騒ぎ出す。
「本当にすまない。実は泡の中に爆弾を置き忘れてしまったんだ。ゆきのさん、朔太郎君。探してくれないか」
「え? は、はい」
ゆきのは、なぜか淫魔の言葉に耳を傾けてしまっていた。
朔太郎はカッコ悪い姿勢になってでも、泡をかき分けてくれる。そして、指差した。
「あれじゃないんですか」
淫魔の足元に、コートの端切れが残っていた。見ているあいだに、テレジアの殺意をうけて炸裂する。
体勢をくずしたル・シャヴォーヌを、魔剣は今度こそ両断する。
水音をたてて、この都市の支配者は倒れた。
「淫魔どもと関わって、良いことなどありません」
テレジアはまた、眼鏡についた泡を手でぬぐう。
「とりあえず街の人に拭く為のタオル貸して貰えるか頼みますか」
朔太郎は、徐々に正気に返っていく人々の様子を見ている。
戦い終わって皆泡だらけだ。
「いくらディアボロスが頑丈と言ってもこれ以上は新しい扉を開きかねんし、婿にいけなくなっちまう……いや行く予定はないけれども」
上体を起こしたアッシュ。
鎧の急所部分をわずかにそれて、淫魔の爪の跡が刻まれている。テレジアが支えにきた。
「邪智暴虐の王……。良い例えでしたよ」
「ああ、……セリヌンティウスって名前聞いてからずっとある本がチラついててな」
すると、支配からの解放に気がついた者たちが、沸き立ち始めた。
「市民が噴水に集まる前に……ああ、ダメみたいですね……」
ゆきのは、姿勢を崩せない。
「せめてみなさんがわたしのようにならずに済んだことと、わたしの心配は無用なことと、しばらくご迷惑をかけることを謝っておきましょう……」
彼女のなかのアークデーモンは、口だけは封じずにいてくれたようだ。
泡のおさまった水面に、噴水の波紋が広がっていく。
「……歓待はありがたいですが、まずは服を――」
テレジアは言い切ることもできず全裸のまま胴上げされる。
開いた両足が、頭よりも高く投げ上げられている。
そばにいたアッシュは、鎧が重くて持ち上がらない。市民は勇者に肩だけを貸す。
「鼻フックとか以外なら大体何しても可!」
リンは、素直にお祝いを受け、お返しもする。
「バンザイ、バンザイ!」
歓声があがる広場に、衣服を身につけた少女が戻ってきた。朔太郎は、用意してくれた布を受け取り、もうじき完全に正気にかえるから、みんなにも渡してもらうよう、頼んだ。
ウインクと引き換えに。
「あのう……」
少女の遠慮がちな声に、胴上げをしていた市民たちは我にかえる。
「あれ? うわ、なんだこの恰好」
「ゴメン、オレ知ってた。調子のった」
「いやぁん」
支配から脱したのだから、服を着なければ。
ゆきのもテレジアも、そしてリンさえも、素にかえった人々のまえではまごついてしまう。
「本のとおりになったな……」
アッシュは兜を脱いで、頭をかいた。
復讐者たちは、今回の依頼を通してもっとも顔を赤くした。
『チェインパラドクス』(C)大丁/トミーウォーカー